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43 ◇ケアの時間
由香が庭先の掃除のために汲んでおいたバケツに手を入れたのが見え、
やめてくれと言っているのに、その手は水を掬い、手の中の水は自分めがけて
飛散してきた。
美代志が軽くすくって掛ける。
由香は驚くが笑って避ける。
「もう、やめなさいってば!」と一応、言ってみる。
……なのに、美代志が調子に乗り、勢い余って大量の水をぶっかけられてしまう。
”バシャッ”
「きゃっ…!」
美代志、固まる。
「……す、すみませんっ!!」
美代志は慌てて広縁に置かれていたタオルを掴み、半ば反射的に由香の肩、髪、
頬を拭きはじめる。
拭きながら美代志の手がふと止まる。
ふたりの近い距離。
由香の濡れた髪から落ちる水滴。
夏の光に濡れた肌がきらっと光る。
由香は息を飲む。
美代志が俯き、彼の視線が落ちる。
由香からは美代志の閉じられた口元だけが見え、表情が分からない。
2人の間に風がフワッと通り──
蝉の声が遠くなる。
◇沈黙と“言いかけた言葉”
由香は途端に心もとなくなる。
「……本当に、ごめんなさい。
でも、すごく綺麗で――あ、違う、えっと……その……」
由香は美代志のナチュラルに口から出た言葉に胸が熱くなった。
「……ありがとう。だいじょうぶ、もういいから――――」
2人は少し距離を取るが、お互い視線を外せない。
由香は、自分の顔がほてっているのを感じた。
えっと~、どうすればいいのか……このシチュエーション。
身動き取れず、困っていると救いの手が差し出された。
和室から息子の声がしたのだ。
「ねぇ~おかあさん、これ分からな~い!」
圭の甘えた声を機に、2人はハッとし、すぐに普段の距離を取り戻す。
しかし互いに感じ合った心のうちは、もう元には戻るべくもなく。