テラーノベル
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夕暮れだった。
王都は夜に向かっていた。
斜陽の中、人々が談笑しながら家に帰る。
ありふれた幸せな光景。
そんな日常は唐突に破壊された。
「あああああああああああああああああああ!?」
男が悲鳴を上げる。
見れば、彼の右腕は肩から先がなくなっていた。
剥き出しの白い骨と、生々しい肉片が飛び散る。
迸った血が通りを染めた。
『法輪は七日で回り、安息日にのみ逆転する。ナザレの砂はガンジスに沈み、巡礼は同じ水を二度渡らない。香油は逆さに滴り、祝福は床を這う。額に触れた指は誰のものでもない。主よ、主よ、と呼ぶ声はすでに返事である。救済の蝶番。骨は祈りを記憶する。肉は忘却を実践する。どちらを選んでも、選ばれたことになる。悔い改めよ』
意味のない言葉の羅列。
人間を狂乱させるだけが目的の行動。
魔物であった。
人類の敵が──ダンジョンに閉じ込められているはずの魔物が、王都に居た。
『預言はすでに成就しているが、まだ書かれていない。経典は未来形で綴られ、過去形で朗読される。契約の箱。救世主は到来せず、菩薩は去らない。去らないことが到来であり、到来しないことが救済である。祈れ。祈りの回数が裁きの数である。ラクダが針の穴を通る』
石畳の広場の中央、崩壊した噴水の縁にそれは座っている。一見すると彫像のような容貌だ。祈りのために置かれた、どこぞの宗教の聖人像を彷彿とさせる見た目。だが細部があまりにもちぐはぐだった。
頭部は一つではない。
まるでヤマタノオロチのように、人間の首が据わっている部分から、幾本もの頭が生えている。
正面には柔らかな微笑を湛えた顔。その額には閉じたままの第三の眼。
だが首筋の陰からは、横向きの顔が半ば埋もれるように覗き、口だけが独立して僅かに動く。
唇は祈りの形を保ちながら、決して意味ある言葉を吐き出さない。
「きゃああああああああ!?」
「お母さんお母さんお母さんお母さん」
「なんで魔物が王都に居るんだよ魔女は何してんだよ!?」
「俺たちの税金で暮らしてるくせに無能がア!」
魔物は存在するだけで害をもたらす。
魔力に冒された人々は狂乱の様相を呈した。
日常は一瞬にして地獄へと様変わりする。
ダンジョンによって蓋がされた世界。魔女でない人間にとって、魔物とは教科書で見るばかりの存在であった。たとえ結界の外──世界の外に蔓延る敵であっても、生まれてからこの方、一度も見たことがないのであれば、もはや想像上の生き物に過ぎない。
「早く魔物を殺せよ魔女!?」
アストラディア連合王国では、その想像上の生き物に対応するためとして、多額の税金が投入されている。魔法の後遺症で日常生活が送れなくなった魔女の援助や、そもそも魔女を育成する学園の運営などに。
魔物の存在が差し迫った危機ではない住民にとって、そんな魔女に対するイメージは、大して仕事もしないくせに税金で快適な生活を送る奴ら……というものだった。
要するに、人々は薄っすらと魔女を疎んでいるのだ。
自分たちが彼女らの犠牲の上に生きているとは認識せず。
ただ、大層な名前で敬われているだけだと思い込んで。
アストラディア連合王国では「魔女は非常に高尚な存在だ」と幼い頃より教育が施されるが、自らを賢いと勘違いしている人々にとって、それは何かしらの陰謀を感じさせるものだったのだろう。
平時は──ダンジョンでは常に生き死にが起きているとはいえ、ダンジョンの外では不可知なため──彼女らの有難味を実感できない。
彼らは口々に恨み言を吐く。
早く魔物を殺せと。
魔法でもなんでも使えと。
それが仕事なんだから、俺たちの壁になれと。
人々を救うべく自ら戦場に赴こうとしていた魔女たちは、思わず二の足を踏んだ。
「あいつらを助けるために……私が、命を賭けなきゃいけないの?」
マシンガンを胸に掻き抱く。
指先が白くなるほどに力を込めて。
彼女の脳内は葛藤で埋め尽くされていた。
魔女として学園で教育を受けて、人々のため、人類を存亡させるために我が身を捧げる。自己犠牲的な役割に、むしろ彼女は誇らしさを感じていた。魔女として立派に戦おう。みんなを守るんだ。その覚悟は、守るべき人間を前にして揺らいでいた。
「お前え! 早く戦えよォ!?」
「わた、私は……」
「誰のおかげでいい生活ができてると思ってんだ!」
王都の住民が唾を飛ばす。
彼の瞳には怒りのみが宿っており、これから魔女を死地に向かわせようとしていることについて、良心の呵責の一切を抱いていない。
どうすれば自分が助かるのかしか考えていなかった。
『聖水は五度の礼拝で蒸発し、灰となって額に塗られる。塗られた灰は川へ戻り、川は再び聖水と呼ばれる。円は角であり、角は赦しであり、赦しはまだ発生していない。発生していないものを口に入れるな、すでに噛んでいる。扉は外に向かって内側へ開く。内側は外側に残される。残されたものだけが通過している』
──あ。
気が付けば、魔物が眼前に迫っていた。
魔女はぽかんと口を開く。
目の前に現れた「死」に彼女の身体は硬直した。
銃を抱えた格好で、反撃することもできず、無残に殺される。
そんな未来がありありと見え──。
「大丈夫?」
魔物に何発もの銃弾が叩きこまれた。
暴風のような暴力に斃れる魔物。
鮮血吹きすさぶ修羅場に腰を抜かした魔女は、力なく地面に尻もちをつく。
「……? その、大丈夫?」
「──はっ!? 助けてくれてありがとう!」
「いきなり元気……」
怪我はなさそうだ、と小牟田式子は苦笑した。
魔女を立ち上がらせるために手を差し伸べる。
「立てそう?」
「……お恥ずかしながら、腰が抜けちゃって」
「じゃあ広場の端っこのほうに移動させ──」
ぷちゅん。
魔女は水風船のように潰れた。
巨大な掌によって、トマトのように押し潰された。
式子の頬に血糊がこびり付く。
「え」
『骨に布を着せ、布に骨を覚えさせよ。覚えたものを忘れよ、忘却は記録の別名である。東を食べ、西を吐け。南は祈り、北は欠席。欠席者だけが出席簿に残る』
呆然と呟く式子の視界に映るは魔物。仏像を彷彿とさせるアルカイックスマイルを浮かべた、人面蛇の魔物が居た。その身体からは無数の腕が生えている。
よく語られるように、人間は勝利を確信した時が最も隙になるのだ。
どんなことがあっても油断してはいけない。
魔女にとっての金科玉条は、まだ経験の浅い式子には身に付いていなかった。
ゆえに起きた惨状。ゆえに死んだ魔女。
目の前で失われた命に、式子は動揺を隠せない。
『血は円環であり、円環は断絶である。切るな。すでに切れている。繋ぐな。繋がっていない。私は言っていない。貴女が聞いた。聞かれた言葉が話者になる。話者は器で、器は空で満ちている。光は影の影である。影は光の証人である。証人は存在しない。ゆえに証言は完全である』
魔物の掌が迫る。
「しまった──」
式子は事ここに至って正気を取り戻した。
アサルトライフルを構えるがもう間に合わない。
死を確信した脳が世界をゆっくり捉え始める。走馬灯だ。もはや魔法を使っても助かるまい。
……まったく、なんという体たらく。
彼女は自嘲気味に眼差しを上げた。ぼんやりと掌を眺める。
「情けないわね」
そこに幾億もの鉛玉が叩き込まれた。
まるで先程の焼き直し。
式子が攻撃の発生源に目を向けると、はたして、会いたくなかった者の姿が。
「お母さん……」
「式子。貴女は魔物を殺すために生まれてきた。そういう役割を期待して造ったの。決して魔物に殺されるためじゃないわ」
「ごめんな、さい」
はあ、と溜息が響く。
ソフィアの失望が痛かった。
式子は無意識に双眸を伏せ、石畳の罅割れを数えはじめる。
「でもまあ……あの魔女を助けようとしたのは立派だったわ」
「え?」
「結果的に詰めは甘かったけれど。貴女が油断さえしなければ、あの子はきっと助かった。貴女が身代わりになっていれば。……なんてのは少し厳しいかしら」
ソフィアは肩を竦めた。
「とにかく、魔女として最低限の仕事は果たしたわ。貴女は。それは間違いない」
「お母さん……」
「だからさっさと気を引き締めなさい。魔物はまだまだ居るのよ。こうしている間にも、結界の穴からどんどん入り込んできている」
「──っ!」
そうだ。
彼女の言うとおりだ。
式子は瞼を固く瞑った。
「……いい表情ね」
瞼を開けた小牟田式子の瞳には、すでに恐怖とか後悔とかは宿っていなかった。
ただ、己に課せられた義務を果たそうとする覚悟が。信念が。
ソフィアはそれを確認すると、久方ぶりに握ったグリップを弄る。
「じゃあ戦いなさい。王都に迫りくる魔物を一匹でも多く殺しなさい。貴女にならそれができるはずよ」
「はいっ!!」
叫んで、式子は疾風のごとく駆け出した。
「…………ごほ」
そんな彼女の背中を目で追いながら。
ソフィアは苦々しい顔で血を吐き出した。
#ハッピーエンド
#ハーレム
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