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「そうです。セドリック様が大怪我をしたと思って、急いできました」
わたしは自分の瞳にめいいっぱい涙が溜まっているのをセドリック様に悟られるのが気恥ずかしくて、少し伏目がちになり、真っ直ぐにセドリック様の顔を見られない。
「ありがとう。心配させてしまったね」
セドリック様が照れくさそうに微笑んだのがわかった。
「ぶ…無事でなによりです」
そう言うのが精一杯だった。
もう涙がいまにも溢れそうだった。
フィアがわたしに気を回してくれたことに気づいた。
わたしがフィアにセドリック様への恋心や初めての嫉妬心を打ち明けたことを気にしていてくれたのだろう。だから、これはちょっとした彼女の気遣いというか、エールだ。
全くもって、仕事を心から愛し、そして仕事のよくできる方だ。
そう、気づくと伏目がちだった自分の瞳を上げて、真っ直ぐにセドリック様を見据えた。
顔や服に血をつけ、いつものビシッとオールバックに決めている髪が乱れていて、眼鏡も少しだけ傾いているセドリック様。
愛しいこの人が無事で本当に良かった。
傾いているセドリック様のメガネの真ん中のブリッジ部分に自然と手が伸びる。
「セドリック様、メガネが傾いていますよ」
そう言って、わたしがメガネクイッをして、真っ直ぐにセドリック様の眼鏡を掛け直した。
最初は驚いていたセドリック様の顔が、みるみる赤くなり耳まで赤くなる。
でも、お互い目を逸らさず、微笑み合う。
わたしの瞳から一筋の涙がこぼれ落ち、頬を伝う。
「シェリー、レセプション…仕事は?」
「それは大丈夫です。儀典室の同僚に任せてきました」
「シェリーが?仕事を…?」
その言葉に静かに頷いた。
「わたしは、仕事よりセドリック様ですよ」
「ま、まさか…仕事を愛するシェリーだよ。それが仕事より俺を?」
「そうです。仕事よりセドリック様を愛しています。やっと気づきました。だから、なにがなんでも駆けつけるのは当然ですよ」
破顔しながらそう言うと、セドリック様が目を見開いたかと思うと、満面の笑みになった。
驚きと歓喜が入り混じった表情のセドリック様を見て幸せを感じながら、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
その時、見計らっていたように診察室とベットの間を仕切っていたカーテンが開いて、ベットで寝ていたであろうプジョル様が顔を出した。
「君らアトレイご夫妻、周りの人が困っているから、いちゃつくなら続きは廊下でしなさい。聞いているこっちが恥ずかしくなって、おちおち寝ていられない」
プジョル様の指摘で慌てて周りを見ると、医務官も椅子に座っていたセドリック様の同僚もそれはそれはうれしそうに笑っておられる。
「「皆さま、申し訳ありません」」
セドリック様と声が重なり、それが余計にその場におられる人の笑いを誘う。
「プジョル様、その…毒は大丈夫ですか?」
「やっと俺のことを思い出してくれた?セドリック殿が怪我したら、泣きながら走ってくるのに、俺が毒で死にそうな時は心配顔で見送られただけだからな」
プジョル様が、わざと拗ねたような言い方をして、拗ねたように唇を尖らせた表情をする。
「そ、それは付き添いに騎士の方もおられたし、第一にわたしにあとを頼むと仰ったので…」
「シェリー嬢、その頼まれた仕事はどうした?」
プジョル様の表情が拗ねた顔から、わざと意地悪そうな表情をする。
「すみません。オペールさんに任せてきました」
おどおどとした顔でプジョル様を見上げると、プジョル様の大きな右手がわたしの左頬を包み、プジョル様が親指でわたしの左目の涙を拭き取った。
「男のために泣けるようになったんだな。でも、もうこれ以上は泣かされるなよ」
そう言うと、また大きな右手の親指でわたしの右目の涙も拭ってくださった。
「仕事よりもセドリック殿を愛しているんだな。とうとうシェリー嬢は愛を知ったんだね」
わたしは真っ直ぐにプジョル様の深い青い瞳を見た。
「はい」
「わかった。俺はしばらく医務室にいるから、なんかあったら呼んでやるよ。早くふたりで廊下で話しをつけてこい」
セドリック様の同僚の方も激しく頷いている。
診察室を追い出されるようにふたりで廊下に出た。
誰もいない廊下に出て、改めてセドリック様とふたりきりになると言葉が出てこない。
「シェリー、抱きしめても?」
「誰も来ないうちに」
わたしが小声でそう言うと、セドリック様が照れくさそうに頷いて、わたしを包み込んだ。
「シェリー、話したいことがあると言ったよな」「はい。覚えていますよ」
セドリック様の指先がわたしの髪の毛に触れて、わたしの耳に髪の毛を優しく掛ける。
「俺の愛しているものはシェリーだ」
「なんとなく、わかっていました」
セドリック様が深く深呼吸をして、わたしを包み込む腕に力を込めたのがわかった。
「シェリーは俺の愛しているものがわかっていたんだね。俺はシェリーを愛している。でも、離婚してあげられない」
「わたしもセドリック様が愛するものに気づいたけど、離婚をしたくなかったから、気づかないないふりをしました」
わたしはセドリック様の胸に寄りかかり、身を預けた。
「シェリー、結婚しよう」
「もうしています」
「最初から… 初めて会ったあの時の挨拶から始めよう」
「では今度は、非効率で進めましょうね」
「もちろん…だ」
セドリック様はもう待てなかったのか、最後の言葉を言い切る前に唇を重ねてきた。
「…あのふたり、ようやくですね」
ふたりが廊下に出ていってすぐに、セドリック殿の同僚に声を掛けられた。
「白い結婚だったとご存知だったのですか?」
「そりゃ、結婚式の次の日に奥様が元気よく出勤されていたし、あいつの落ち込みようと言ったら。自分の発言にだいぶ後悔していたようだし」
同僚の方はセドリック殿と仲が良いのだろう。
「これでセドリック殿の仕事ぶりにより磨きがかかりそうですね」
「うちのエースを引き抜かないでくださいよ。あなたと皇太子殿下があいつを狙っているのは、こちらも警戒していますよ。財務課は必死の抵抗をしますからね」
はははと笑って躱したが、その通りだ。
そろそろ、俺も次の段階に行かなければ。
シェリー嬢に仕事だけでなく、恋も愛も教えることができた。
俺も一緒に人に恋をして、愛することを教えられた。
人を育てた次は、国を育てる仕事も悪くはないかも知れない。
その前に…
「医務官、失恋に効く薬はないのか?」
「そんなものあるか!」
「そうだよな。どんな毒よりも失恋が1番辛いかも」
でももう少しだけ、想うのは俺の自由だよな。