「ちょ、ちょっと俊豪!」
「お前の行動一つ一つが西王母様と可馨様に見られていることを忘れるなよ」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげる。無抵抗の者に剣を向けるなんてあんまりじゃない?」
「先に侮辱してきたのはあんただろ」
「まあまあまあまあ、2人とも落ち着いてよ。俊豪はなんだってそんなに突っかかるのよ。話しが進まないじゃない」
「なんでかって? 頭イカれてんのか? 妖と馴れ合うとか正気じゃない」
「妖って言っても、紅花さんからは穢れを感じないよ。変な事言ってるのは俊豪でしょ」
「やっぱり明明ちゃんは良い子だぁ!」
もう一度ほっぺをすりすりしてくる紅花に、俊豪との関係を改めて聞いてみる。
「ええと、それで俊豪とはどういう関係なんでしょうか」
「西王母の弟子の、可馨って仙女のところで面倒を見てもらえってさ。つまりはあの女に監視されてんの」
「お前っ!! 言い方に気をつけろ! じゃなきゃ俺が……」
俊豪が再び紅花に食ってかかろうとした所で、女仙3人組がやってきた。塗り直された門を見ると先頭を歩いていた女性が目を見開いて、こちらを睨み付けてくる。
「ちょっとっ! この門を塗ったのは誰!?」
「杏様。私ですが」
名乗り出た紅花に、杏と言う仙女が更に視線を鋭くして怒鳴った。
「ここの門の色は緑! なぜ紅色になんて塗っているのよ」
「それはそこにいる璃茉様が紅色
に塗れと指示を出したからでございます」
杏の後ろに居た女性が、おほほ、と軽く笑った。
「嫌ですわ。私がそのような指示を出すわけ有りません。皆さんもご存知のように、西王母様は桃の花の邪魔にならないよう、ここの門の色は派手な紅色ではなく落ち着いた緑にしているんですもの。それを知っていて紅色に塗るよう指示を出すだなんて、馬鹿げておりますわ」
「なん……」
なにか言おうとした紅花の言葉を遮って、杏の隣にいた仙女が口を挟んだ。
「私もその時、璃茉と一緒におりましたが、確かに緑で塗るようにと指示を出しておりました。この女の聞き間違いでしょう。それとも……狐では紅と緑の違いもよく分からないのではないでしょうか? 犬は色の見分けがつかないと聞いた事がありますもの。狐も似たようなものでしょう」
クスクスと笑い合う仙女達に、紅花はただ唇を噛み締めていた。
「至急、塗り直し致します」
「そうして頂戴。西王母様がご覧になられたら大変よ」
立ち去ろうとするので頭を下げて見送ろうとすると、カシャンっと何かにぶつかる音がした。
音の方を見ると門の床に置かれた入れ物が倒れて、紅色の塗料がこぼれていた。意に介することなく歩いて行く3人。
気付かないのかな。
「あの! 倒れましたよ」
ピタリと立ち止まった杏が、明らかに気分を害したような顔をして振り向いた。
「だから、何?」
「何って……」
わざとじゃなくても、普通、倒してこぼしちゃったら一言あってもいいんじゃないだろうか。そんなことに目上も目下もないと思うんだけど。
「綺麗にふき取っておきなさい。シミ一つ残さずにね。いちいち指示を出さなければ出来ないの?」
「そういう事じゃなくて……ふがっ」
間違いを訂正しようとしただけなのに、俊豪に口を塞がれて喋れなくなってしまった。おまけに無理やり頭を押さえ付けられて腰が曲がる。
「申し訳ありません。こいつは他所から手伝いに来た道士でして。お許し下さい」
「物分りがいいのは俊豪だけね。皆さん、行きましょう」
踵を返して、3人は行ってしまった。
紅花は塗料入れを置き直して、布切れでこぼれた塗料を拭き始めた。紅花の細くてしなやかな手まで紅色に染っていくのを見ると、無性に腹が立ってくる。
「ちょっと俊豪! なんで私たちが謝るのよ。こぼしたのは向こうなのに」
色の塗り間違えについては、どういうやり取りがなされたのか分からない。本当に紅花が聞き間違えただけだったのかもしれないし、色の識別に関しても紅花がどこまで出来ているのか知らない。
でもあの人達が塗料をこぼしたのは明らかだ。拭いて綺麗にするのが私たち下っ端の役目だとしても、一言くらいお詫びの言葉があっても良いじゃないか。
「あんた本当に馬鹿だな。あの御三方は可馨様の姉弟子だ。もう五百歳は超える仙だぞ」
「だから何なの。私の師匠は間違ったことをしたと思ったら普通に謝るよ」
颯懔だって四百歳を超えるし、なんなら仙としての位だって上から数えた方が早いくらいの上位階級者だ。だからと言って決して横柄な態度をとったりしない。
「あんたと話してると疲れるわ。もっと処世術を学んだ方がいい。行くぞ。昼飯を食いそびれる」
「行くぞって、んもぉぉーー!!」
早く拭かなきゃ塗料が取れなくなっちゃうじゃない! 手伝うでしょ、そこは!!
こっちこそ俊豪と話していると疲れると言ってやりたい。
俊豪はもうほっといて塗料を拭こうとすると、紅花に布を取り上げられた。
「明明ちゃんも行っておいで。このくらいならひとりで出来るからさ。ちゃんと食べなきゃ元気でないよ」
「だって……」
「明明、手伝おうなんて馬鹿なこと考えるなよ。俺たちだって向こうの亭を任されてるんだ。自分の仕事を放り投げて、他人の仕事を手伝うなんて馬鹿のやることだ。昼飯を食べないのはあんたの勝手だけど、腹が減って仕事に影響をきたすのはやめてくれよな」
「あたしは大丈夫だから。さ、行ってきな」
紅花に肘で背中を押された。汚れた手が服につかないように。
ただの狐なら、ましてや人を獲物としてしか見ない妖なら、他人の服が汚れる事なんて絶対に気にしない。
もとが狐だからって、ちゃんと気配りできる人なのに。
モヤモヤを抱えたまま食堂までやって来た。
颯懔の屋敷はもちろん、可馨の屋敷の食堂よりもずっと大きい。
幾つも卓と椅子が並べられ、使用人と思しき人達がせっせと食事を配っている。食べたい料理を貰ってから、席に着くという様式みたいだ。
菜の炒め物と|粽《ちまき》を貰って俊豪の前に座った。
葦の葉をほどくと、中には蒸したての餅米が。塩辛く味付けされた豆と刻まれた野菜が入っていて、ホカホカ・モチモチの食感に何個も食べたくなる。
「ここってお代わり出来るのかな?」
「何個食う気だよ」
呆れ顔の俊豪をよそに、もう一度粽を貰いに行った。
「私先に戻ってるね。道は覚えたから」
「あ? ああ」
食後のお茶を啜っている俊豪に後ろから声を掛けて、もう一度あの場所へ。
「紅花さーん」
紅花はまだ塗料を落としていた。拭き終えた塗料の残りの跡を消すために、石鹸とブラシで擦っている。私に気が付くと、紅花は手を止めて立ち上がった。
「明明ちゃん。もうご飯食べてきたの?」
「はい。しっかり頂いてきたのでご心配なく。それで、これ……」
ゴソゴソと袖口に手を突っ込んで、出した物を紅花の手に乗せた。まだほんのりと温かい。
「これ……粽?」
「今日のお昼ご飯に出ていたので。紅花さんもちゃんと食べないと元気出ないですよ。それじゃあ私はこれで!」
ペコッとお辞儀をして、自分の持ち場である亭へと走った。遅くなると俊豪がまたうるさそうだもんね。
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