テラーノベル
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薄紅色の朝焼けが遠くの山脈を染める頃、倉木俊之助はまだ眠りの中だ。彼の小さな身体は布団の上で微かに震えている。悪夢ではない。現実になる前の光景が、脳裏を焼いたのだ。
それは三日前のこと。村境の大川が決壊すると悟った俊之助は、父・倉木宗信に必死で訴えた。
「川が暴れます、逃げてください!」
だが九歳の子供の叫びを誰が信じるだろうか?父は渋い顔で言った。
「悪ふざけはやめよ」
しかし翌日、俊之助の言う通りに洪水が起きる。俊之助自身の導きで村民は高台に避難していたため奇跡的に死者はゼロだったが、流失家屋は十数棟にも及び、父は唖然とした。
「運が良かっただけだ……」と自分を騙そうとする宗信の顔に浮かんだ安堵と、拭えない不安の混じった複雑な影を俊之助は見逃さない。
次なる予兆はより恐ろしかった。翌月の満月の夜。俊之助は再び不吉な幻視に襲われた。彼の家、城主として栄華を極める倉木家の邸宅そのものが、地獄の業火に包まれる様だ。燃え盛る梁。崩れ落ちる天井。悲鳴と共に逃げ惑う家人たち。冷や汗で着物を濡らした俊之助は即座に跳ね起きた。
「父上! 今夜、この家が燃えます! 大火事が起こります!」
俊之助の血走った瞳が暗闇を裂く。対座している父は煙管を弄びながら、静かに息子を見つめていた。その眼差しにはもはや前回のような懐疑はない。あるのは、深い、冷たい警戒だった。
「……何故わかる」
宗信の声は低く冷たかった。
「見えました。大きな火の手が上がるのが……油蔵の方から!」
俊之助は震えながら言い募る。彼の優れた頭脳は、普段ならば油蔵は厳重に管理されていることを熟知していた。それが突然燃え上がるなんて……。
だが、彼には確信があった。あの映像の鮮明さは、単なる想像とは思えなかった。
宗信は長い沈黙の後、重々しく口を開く。
「……その言葉、真だとしよう」
俊之助の顔がぱっと輝いた。
「では、直ちに火消しが必要なものを——」
「だが」
宗信の声が鋭く遮る。
「その力を、どうやって制御するつもりだ?」
その言葉は俊之助を打ちのめした。
制御?彼にはそんなことわからない。ただ突然襲ってくるビジョンに怯えながら従うだけだった。
その夜、俊之助の予言通りに邸内は炎に包まれる。原因は使用人の失火だったと公式には記録された。
宗信の迅速な命令で油蔵は隔離され拡大を免れたものの、母屋の一角は全焼。幸い死者は出なかったが、逃げ遅れた侍女が重傷を負う騒ぎとなった。
炎が収まった翌朝。焼け跡の黒焦げた柱を前に、宗信は腕組みをして立っている。側に控える老臣が報告した。
「ご隠居様、俊之助殿のお言葉通りでございました……もし旦那様のご判断がなければ……」
「わかっている」
宗信の口調は鋭く切れる。
「それが問題なのだ」
3
#スリースター
新月 つむり🐌
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ruruha
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その日の昼過ぎ、俊之助が自室で文机に向かい勉学に励んでいる時。足音が近づき、襖が静かに開いた。そこには険しい表情の父と、屈強な二人の武士が佇む。
「父上……?」
俊之助はペンを持つ手を止めた。
宗信は何も答えず、背後の武士たちに短く命じる。
「連れていけ」
武士たちは俊之助の細い腕を掴もうと動き出した。驚愕と恐怖で俊之助の目が見開かれる。
「父上!どういうことです!?話してください!」
宗信は微動だにせず、冷たく言い放った。
「汝は危険すぎる。この才は人知を超えておる。……どこから来たのかさえわからぬ不自然な才能だ」
彼の目に一瞬、言い表せない恐怖がよぎる。
「倉木の家にとって、いやこの世にとっても禍根となりかねん。汝を外に出すわけにはいかぬ」
俊之助は必死に抵抗しながら叫んだ。
「嘘です!私は皆のために!村の人たちだって救ったではありませんか!?父上の……父上の家だって守ったのに!!」
だが、その叫びは冷たい廊下に虚しく響くだけ。
引きずられるようにして辿り着いたのは、本丸から奥深く潜り込んだ地下室だった。薄暗く、ジメジメとした空気が淀む。
そこに待ち受けていたのは、苔むした石造りの小さな部屋。俗に言う「土牢」だった。唯一の光は鉄格子の嵌まった狭い窓から僅かに入る陽光のみ。
分厚い鉄格子が閉まり、鍵が掛かる鈍い金属音が地下に響いた。俊之助は床に膝をつき、格子に縋り付いて狂ったように泣き叫ぶ。
「父上ーーーーっ!!開けてください!!出してくださいぃぃ!!私をここから出してぇぇーー!!」
しかし応えるものはいない。遠ざかる父と武士たちの足音が、重い扉が閉まる音と共に完全に消えた。耳元で聞こえるのは自分の荒い呼吸と、遠くで滴る水音のみ。
真っ暗な空間の中で、俊之助は初めて気づいた。自分の額から冷たい汗が流れていたことに。そして自分の喉から漏れ出す嗚咽の中に、これまで感じたことのない絶望の色が混じっていることに。
(なぜ……なぜ私はこんな目に遭うのだ……)
彼は石畳に横たわり、硬く冷たい感触を感じながら思った。自分に何の罪があるというのか?人々を助けようと全力で行動したことの、一体どこが悪いというのか?
脳裏にあの鮮烈なビジョンが蘇る。炎上する邸宅。洪水に飲まれる家並み。でも今は違う。見えるのは真っ暗な石壁だけだ。光も希望もない漆喰の牢獄だ。
俊之助は両手で顔を覆った。熱い涙が掌を濡らしていく。その涙の向こうにある現実はあまりにも残酷だ。
天才と称賛される頭脳も、未来を垣間見る奇妙な力も、父にとっては忌まわしい呪いでしかなかった。
自分が「異質なもの」として排斥された事実が、鋭い刃となって九歳の心臓を貫く。
普通でありたかった。ただ父の誇りでありたかった。家族の笑顔のもとにいたかっただけなのに。
その瞬間、俊之助の胸の奥底で何かが完全に折れる。
それは少年らしい無邪気な期待、家族への依存心。そして何よりも「自分の力は善きものである」という根拠のない信仰だった。
代わりに生まれた感情は凍りつくような怒りでもなく、ましてや復讐心などという熱情でもない。もっと冷たく、底なしに深い喪失感。すべての温かなつながりが断ち切られた断絶の痛み。
孤独な闇の中で、俊之助は固く瞼を閉じた。目の前にはもはや未来を覗く光は映らない。あるのは深い沈黙と、これから始まる長き孤独の日々への漠然とした予感だけ。
これが彼の人生を変えた最初の一歩だった。地下牢という名の墓標の中で、倉木俊之助という少年は一度死んだ。十年後にその同じ牢獄で新たな運命が巡り会うまで、彼はずっとこの沈黙と暗闇の中に置き去りにされていたのだから。
コメント
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読み終えました……これは、もう胸が締め付けられるような第1話でしたね。九歳の俊之助が、ただ人を助けたい一心で見せた力に、父親が「呪い」として蓋をしてしまう。ラストの「少年は一度死んだ」という一文が、本当に重く、冷たく響きました。未来が見える才能が、祝福ではなく孤独と断絶の始まりだったことが切ないです。彼がどんな十年を過ごしたのか、続きが気になって仕方ありません。