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「あんた、昨日、課長とトンカツ屋にいなかった?」
次の日の朝、和香のデスクに近づいてきた美那が、口元に当てた書類の陰から小声でそう訊いてきた。
「はあ、いました。
この間、呑み会のあと、課長を送っていったじゃないですか。
そのお礼で」
と言うと、
「そうなの。
……いいわね」
とそう、いいわね、とも思っていない感じに美那は言う。
「今、私の中に、もう考えても仕方がない過去のことなのに、葛藤が吹き荒れているわ。
二次会に行くのを断念して、課長を送っていけば、出世頭のイケメン課長とお近づきになれたかもしれない。
でも、あの課長、めんどくさそうな人だし。
あの日の呑み会、超盛り上がってたから、途中で帰るの、絶対嫌だったし。
二次会で語られた、いつもお堅い福田部長の奥さんとの社内恋愛の話、じんと来たし。
営業の吉原さんと二次会、隣の席だったし。
課長と向き合ってトンカツ屋とか、疲れそうだし。
っていうか、なんで、トンカツ屋なの?」
「……課長がトンカツ、好きだったんじゃないですかね?」
「っていうか、トンカツ屋で胡麻すりながら、あの課長となんの話すんのよ?」
「胡麻すってるときは、途中から無言でしたよ。
二人とも、胡麻に集中してて」
「なんでイケメン課長と二人きりで胡麻に集中すんのよ」
と言ったあとで、美那は、
「まあ、話題もないか」
と言う。
「いや、それが話自体は盛り上がってたんですよね」
「えっ?
あんたとあの課長の間に、共通の話題なんてあるの?」
「いや、ないですけど。
でも、ふたりとも特に詳しくもなく好きでもないゴジラとガメラの話をずっとしてましたね」
「ゴジラとガメラの話?」
と美那は眉をひそめる。
「ゴジラとガメラ、どっちが京都駅を壊したせいで、リニューアルしたかについてです」
「……どっちでもないわよ」
と言われ、その話は終わった。
その頃、耀はちょっと眠気を感じたので、社内を歩いていた。
最近、寝ようとすると、あの日の記憶が蘇って、なんとなく眠れないのだ。
社内の呑み会で、呑み屋にいたはずなのに、気がついたら自宅のベッドで眠っていた。
目の前に何故か石崎和香がいて。
押し寄せる眠気を堪え、帰ろうとする彼女の腕をぐっとつかんだ。
「石崎……?」
と呼びかけると、和香が自分を見つめる。
会社で見るのとは違う雰囲気の和香の表情がなんとなく心に残った。
美人だが、変わった女だな、という印象だったんだが。
あの日の和香は、何処かどうとは言えないが、いつもと違っていた。
じっくり付き合ってみると、そういう面も見えてくるのかなと思い、呼び出して、トンカツ屋でじっくり話してみたのだが。
話してみたら、さらに奇想天外な性格をしていただけだった。
そんなことを考えながら、一階の渡り廊下から企画事業部の窓を見る。
和香が男性社員とヘラヘラ笑いながら話していた。
和香のことだから、しょうもない話をしているとわかっていて、ちょっとイラっとくる。
その自分より後輩の、爽やかな男性社員、池本に向かって思う。
そいつと二時間近く語り合ってみろ。
あとで印象に残るのは、ゴジラとガメラがタッグを組んで、共同で京都駅を踏み潰してるところだけだぞ。
なにも恋なんて生まれそうにない、
と思いながら、耀は足早に歩き、企画事業部の前を通り過ぎた。
結局あれから、課長から連絡ないな。
『しばらくお前と過ごし、お前と、お前といるときの俺を観察してみよう』
な~んて言ってたのになあ。
まあ、これでいいんだよな、と思いながら、和香は自宅でテレビを見ながら、スケジュールの確認をしていた。
「今日はシチュー、シチューっと」
材料は買ってあったので、冷蔵庫を開けて前にしゃがんでみたが、面倒臭くなる。
「今日はコンビニ、コンビニ」
と言いながら、財布とスマホと鍵だけを持って、外に出た。
ほんとはコンビニ行くのも、めんどくさいんだけど、
と自堕落な和香は思う。
まあ、誰にも会わないだろうと、普段着のままコンビニに行くと、耀がいた。
耀は和香と目が合うと、手にしていたカツ丼を棚に戻した。
こちらを見たまま、
「ひとりで店で食べるの好きじゃないんだよ。
間が持てなくて」
という話をいきなりしはじめる。
唐突ですね。
で? と思ったとき、耀が言った。
「ちょうどいい。
カツ丼食べに行かないか」
「……あの~、課長はカツ系のものが好きなんですか?」
「だって、ハズレないだろ」
和香は少し考え、
「私はもう少し軽いものが食べたいです」
と言った。
「例えば?」
例えば?
そうだな。
「……木の葉どんぶりとか?」
木の葉どんぶりは、かまぼこなんかの練り物が入っているどんぶりだ。
「ある。
木の葉どんぶりも」
行こう、と耀は行きかけたが、店員さんと目が合ったようだった。
カツ丼買う気満々だったのにやめたところを見られていたせいか。
「……でも、なにも買わずに出るのも悪いな」
と呟いていた。
「あ、私、ちょうどゴミ袋ないから、買いましょうか」
と言って、
「じゃあ、俺が買ってやる」
と言われる。
神森耀からの初プレゼントは、燃えるゴミ袋だった。
和香はその袋を見ながらレジで呟いた。
「友だちは、この間、親戚のうちで、『燃えたいゴミ箱』を見たって言うんですよ。
燃えないゴミのゴミ箱だったみたいなんですけど。
……私は、この袋、たまに、『燃えてゴミ袋』に見えるんですけどね」
「何故、願望だ……」
焼却場でしっかり燃やしてもらえ、と言われた。
ゴミ袋を手にしたまま、二人でどんぶりを食べに行く。
耀は今日は歩いてきていたようだった。
「あっ、これで呑めるではないですか」
と和香が言うと、
「うどんとどんぶりの店でか……」
と耀は眉をひそめる。
「いや~、呑もうと思えば、なんででも呑めますよっ。
ハンバーガーでもチキンでも、肉まんでも」
と和香は燃えてゴミ袋を手に笑う。
「……お前は酒好きなんだな」
その口調に、おや、と思い、
「課長はお嫌いなんですか?」
と訊いてみた。
「いや、嫌いではないんだが……」
と耀は言葉を濁す。
呑み会のあとで、意識のなかった耀を思い出し、和香は思った。
まあ、好き嫌いと体質的に合うかどうかは、また、別の話だよな、と。
「大丈夫ですよ。
酔ったら、またお運びしますから」
と言って和香が笑うと、
「言っておくが、俺も、一、二杯じゃ酔わないからなっ」
と耀は言い返してくる。
その様子が、会社ではありえないことだが、可愛らしく感じられ、はいはい、と和香は適当な相槌を打って流した。
なにがいいかな。
木の葉どんぶりだからな。
やっぱ、日本酒かな?
と思う和香の横で、
「ほんとうだぞ。
意識はあるんだ。
ぼんやりしてるだけで」
また、はいはい、と言いながら、和香はガラガラと戸を開け、うどんとどんぶりの店に入った。
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