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◆キュレル・ルクセント=ノスネア
幼い4歳のキュレルはシャスカに連れ出された。父親のジークに会えると唆され、馬車に乗りシストに送られる。キュレルはサパ族の街、マナンで奴隷競売にかけられ、青い目の美しい娘として高値が付き、慈悲深いナミ族富豪に買われる。
その後、シスト中央大森林で生活を送り、実の娘の様に義父母から育てられ、教育を受け、部族語を覚える。
10歳になった時、奴隷として買われ、5年の歳月が過ぎ解放の時節が訪れた事実を義父母は明かせなかった。平穏な日々の生活の中でキュレルには疑問があった。なぜ片言で共通語が話せるのか。幼少期の記憶はとうに薄れナミ族として生きてきたが、なぜ自分だけ淡い金色の髪と翡翠色の瞳、透き通るような白い肌なのか、自分が外国人である事を知っていた。
キュレルが19歳を迎えた時、義父母は過去の事実を伝える決意をする。義父母は交易商を営み、マナンへ大量の果実油を届けた際に観光目的で競売場に足を運んでいた。その時に幼少のキュレルが競売にかけられている姿を見て、憐れに想い競売に参加した。奴隷としてではなく実子として養育すると決めていた。
義父母は事実を告げる事ができず、いつまでも自分の子供として傍にいて欲しいと願っていたが、事実は事実として伝えた上で選択してもらう事が重要であると義父が決めた。
キュレルを奴隷競売で買い、自分の子供として育てた。すでに奴隷契約は終わっており、加えて北の国にはキュレルと同じ民族が存在する事を伝えた。
事実を知ったキュレルは全く動じておらず、落ち着き払っていた。
むしろ両親の慈愛に感謝を覚えながら思惟する。
過去の記憶と事実を並べて、生い立ちの軌跡を追う。自分の髪と瞳の色、海の町マナンの競売、マナンの交易路、王国と公国、馬車に乗った記憶、幼少の頃に覚えた片言の共通語、これらを絶えず思い返す。
幼少の頃の言葉の鍵は『ジーク』、『お父様』、『お母様』この三文字だけが記憶に残り、断片的な記憶の映像が想像の産物なのか迷いながら整理していた。荘厳な装飾が施された馬車、大きな城壁、多数の衛兵……。
義父母から離れて故郷に帰る選択を選んだキュレルを義父母は見守る事に決めた。義父はカミ族のジャヴィを娘の警護に当たらせ、替わりにカミ族への水の定期的な供給と果実酒、川魚の干物を送る約束を交わした。キュレルにサパ族の通貨、金貨100枚と荷馬車を用意し、旅が終わったらここへ戻って来るように伝えた。義母は心から悲しみ、旅の衣服を縫い上げキュレルに手渡した。
出立の時が来た。旅人が着用する木綿と丈夫で通気性の高い麻布を使ったズボンと、肌触りが軽く通気性の良い高価な亜麻布を惜しみ無く裁断した長袖の上着、キュレルは袖に腕を通し、そのサイズ感を確かめていた。刃渡り一束の折り畳みナイフをポケットに収納した。
荷馬車には樽と木箱が積まれ、御者台にはジャヴィが着いた。フードの陰から覗くジャヴィは、長身で銀色の髪と銀色の瞳を持つ。整った鼻梁と鋭い眼、無表情が伺える。話し掛けても殆ど返事はない。フード付きの軽い麻を編んだ金色に近い黄褐色のロングコートを身に纏っており、麻布で巻いた長い槍を馬車に預けた。馬車からは槍がはみ出していた。高い天井を突き破るほどの長さがある。カミ族の槍は、ねじ込み式の継ぎ手がついており、長さを二段階に分けて使用する。
未だ日も昇らない真っ暗な早朝、キュレル一行はナミ族の住む中央大森林を後にして先ずはカミ族の住む地下都市ラーフマーフに向かい、そこを中継地点としてサパ族が治める海浜都市マナンへ向かう。
荒野は見晴らしが良く、行商人が作った轍が幾重にも重なり踏み固められ、綺麗とは言えないが行商路になっている。
時々揺れはするが衝撃は緩衝材が吸収する。シストではこの行商路から外れると荷馬車を進めることは不可能である。荒野と砂丘、岩盤の間を縫って進んでいるからだ。
荷台に張られた幌は巻き上げられ、360度が見渡せる窓の様になっていた。キュレルは初めて十数年振りに見る砂漠の風景を堪能し、辺りを落ち着きなく見ていた。過ぎていく風景、消えかかる星たち、遠くに見える小さな大森林、近付いてくる岩山…。
岩山のあいだに差し掛かり、ようやく星が見えなくなり始め、太陽が昇ろうとした時、行商路に女が倒れているのを見つけた。
「ジャヴィ、人が倒れてるっ!」
ジャヴィは止まらない。むしろ馬を叩き速度を上げた。
「ジャヴィッ!なんでッ!?」
キュレルの驚いた表情を無視して、ジャヴィは左右の岩山を鋭い目付きで睨み付けている。
「伏せろ!」
風を切る口笛のような音の後に『タッ…タタッ』と音がした。瞬時にキュレルは理解し、直ぐに樽の陰にうずくまる。樽の陰から後方を覗くと倒れていた女は立ち上がっていた。岩山に服数人の影が見える。一人が弓矢で馬を狙っているのが見える。
「ハイッ!ハイッ!」
二頭の馬を叩き、更に加速する。上空に飛んだ矢が、後方の行商路に落ちて転がるのが見えた。どうやら岩山から届く弓の射程圏を出たようだ。胸を撫で下ろすキュレルの無事を確認すると、馬車の速度をゆっくりと落としていく。
巨大な岩盤や岩山を根城としてカプラ族は徒党を組み盗賊団を形成する。彼らにとって行商路は絶好の狩り場であったが、カミ族が同行している場合、決して深追いしてくることはない。過去にたった一人のカミ族との交戦であっさり全滅したリスクはカプラ族だけに止まらず、シスト全体に伝わった。
衝撃的な経験をしたキュレルは、巧みに馬車を操作するジャヴィの後ろ姿を見つめ揺られていた。ふと外を見回すと岩山地帯を抜けて、また見晴らしの良い荒野を走っていた。
陽光は角度を変え急速に気温が上昇していた。完全な無風状態…。
枯れた川の脇に行商人たちが建てた小屋がいくつか見えてくる。雨季にはここは賑わうが、乾期の現在は誰一人いない。
ジャヴィは馬車の速度を落とし、馬を停めた。御者台から跳び降りる。馬に穏やかに声をかけ、ゆっくり撫でながら、首輪、背鞍、尻皮と馬車につなぐ紐のフックを外す。クツワを外し、目隠しをゆっくり丁寧に取る。馬の頬を撫でると、二頭の綱を引いて馬小屋の中へと引いていく。
御者台の端に掛かっていた手桶を二つ、手に取ると、荷台後部の樽に向かって歩く。キュレルはまだ動悸が止まらず荷台に座り込んでいた。ジャヴィは何も見えていないかのように水を注ぎ馬小屋に入っていく。……馬は手桶の水を飲みくつろいでいた。
これから本格的に気温が上がる事をカミ族の彼女だけが理解していた。キュレルの手を無言で引いて小屋に入る。小屋には何もないが、中央に地下への石積みの階段があった。ジャヴィはコートを脱いだ。ほとんど裸体に近い。胸と下腹部だけを隠す革の下着のようなものを着用し、ベルトポーチと掌ほどはある幅広の短刀が目についた。
腕にコートを掛けて、屈み込みベルトポーチからバックルと火打ち石、小型のカンテラを取り出すと、左手に火打ち石を握り、石の上に炭の粉を練り込んだ綿を乗せ親指で押さえる。右手のバックルを石に打ち付け火の粉を散らす。綿に火の粉が広がり、息を吹き掛けると細い木切れを軽く押し当て火をつける。手慣れたものだ。金属製のカンテラの突き出た紐の先に着火すると辺りがパッと明るくなった。
カンテラを持ってジャヴィを先頭に、キュレルは恐る恐る地下へと降りる。階段の壁面は大きな石を積み上げた構造になっている。30段ほど長い階段を降りると何もない綺麗な円形の部屋に出た。思ったよりも開放的で広い事と、肌寒いほどの気温差がキュレルには初めての体験であった。更に驚いたのは階段だけではなく壁面も全て石材が積まれて丁寧に建造された遺跡であった。
ジャヴィが奧を照らすと大きな鋼鉄製の扉があった。住まいの扉の1.5倍はあるだろう。その脇に台座の上に石をくりぬいた水瓶があった。水流はほとんどないように見える。ジャヴィはその水を右手ですくうと口に含みキュレルの方に振り向いて一瞬水瓶を指差した。キュレルもジャヴィを真似て右手にすくい地下水を味わった。
コートを冷たい石材の床に敷くとジャヴィは横になった。キュレルは階段を手で払いそこに座りジャヴィを見つめていたが、やがてウトウトと眠ってしまった。
……どのくらい眠っていたのだろうか。目が覚めるとジャヴィはいなかった。カンテラが静かに周囲を灯していた。丸くなり階段で眠っていたキュレルの背中にはジャヴィのコートが掛けられていた。コートとカンテラを持って階段を上がる。外は眩しかった。さらに……熱気が押し寄せてくる。…暑い。
日はある程度傾き始めていた。カミ族の住む地域は過酷なものだ。日中は野外活動は無理である。野獣でさえ夜しか活動しない。馬小屋を覗くとジャヴィが干し草を馬に与えていた。作業が終わると皮袋から琥珀色の砂粒を取り出して馬に舐めさせている。この暑さで塩を与えなければ馬が倒れてしまう。
キュレルは無言でコートを手渡すとそのまま身に纏う。暑くないのだろうか。ジャヴィは汗一粒すら浮かべていない。馬小屋から綱を引いて馬を荷車の前で繋駕具に繋ぐ。馬は嫌がる気配はない。ジャヴィは馬の扱いに慣れていた。
幌布を巻き留めるベルトを外すと、荷台の内側の枠と枠の間に木板をはめる。その上にも木板を重ねてはめる。矢が届かないように防護柵を準備していた。
ジャヴィは御者台に跳び乗ると、荷台のベンチに腰掛けるキュレルを確認して、馬の背に繋いだ革ひもに波を送る。ハミを右手に引き、馬車を右旋回させると行商路を北上し始めた。日時計は午後3時前であった。
荒野の風は朝夕にのみ吹き込んでくる。朝は北から吹き、夜は南から吹く。夜間は気温が急激に下がり場所によっては霜が降りる。早朝にそれらは融け結露となる。
続
太陽がゆっくりと沈んでいく。空が夕暮れから少しずつ藍色に染まっていく壮大なさまをキュレルはまどろみながら眺めていた。旅がここまで疲れるものだとは思わなかった。少し後悔に近い不安が時々襲ってくる。
…御者台のジャヴィは遥か遠くを見ていた。日が暮れると気温が下がり、野盗は勿論の事、野獣や妖魔が徘徊する。少しでも情報が欲しかった。行商路を踏み外し、石に乗り上げれば馬車は簡単に横転する。気が抜けなかった。
もうしばらく走らせると故郷ラーフマーフに到着する。ジャヴィにとって久々の帰還となる。
フードをめくり銀色の瞳と美しい整った鼻梁を夜風にさらけ出す。
身体の線は明瞭に胸と腰・臀部を区切り、胸は柔らかな線を描き、首は長く、身長は女にしては高かった。肩幅は少しきゃしゃではあるが、締まった両手両足をしていた。腿の筋肉は発達し脛は長く細い。唇は薄く顎は小さくまとまっている。
ふと荷台に目をやるとキュレルが毛布にくるまり眠っていた。その横顔を見て、口元に穏やかな微笑みを浮かべる。表情が現れると幼く見えた。
藍色の空が少しずつ闇を纏っていく。澄んだ空気が織り成す満天の星空が放つ光は、荒野を照らす。ジャヴィは細部に渡りしっかりと知覚していた。両側の荒野に少しずつ立ち枯れ木が目立ち始める。馬車の速度を下げて、障害物と襲撃者の準備した遮蔽物に気を付けながら走らせる。本格的に枯れた林の中を走っていた。
道が右に直角カーブとなっている地点で速度を大幅に落とす。右角には大きな岩が落ちている。右折しようとした時、何かが角から出てきた。静かに馬車を止める。ジャヴィは御者台の左手から付き出した槍を引っ張りながら御者台を飛び降りる。
巨体で厳つく歩いているのはオークだ。
捥げたような鼻には縦長の二本の鼻孔が縦に見える。筋骨逞しく、ロングソードとカイトシールドを持ち、こちらを凝視する。鋭い犬歯が見えている。鱗状の鎧と手甲を装着している。
ジャヴィはコートを投げ捨て、長槍を構える。ほとんど裸体に近い。柔らかい皮革を編んで作られた、胸の形に沿った胸当てと柔らかい革ひもを編んだショーツと腰のベルトには二本の短刀が交差するように臀部に下がっている。
オークはジャヴィを見ると軽く嘲笑する。オーク語で何かを言い放ちジャヴィを指差した。『ガシャンッ!ガシャンッ!』剣と盾を打ち鳴らして金属音を撒き散らす。
ジャヴィは女の中では長身ではあるが、肩幅は華奢で細く見える。実際には腕と足の筋肉は削ぎ落とされ締まり、スジだけが残っている。筋肉は重く耐久性が無く、戦闘では役に立たない。実際には、豪腕の者ほど腕は細く見える。
ジャヴィは近付くオークに素早く突きを放つ。
『バンッ!! ガッ!!!』
金属音がする。オークは盾で強烈に槍を弾くと槍の上に盾を乗せて押さえ込み、槍に沿って長剣を滑らせる。ジャヴィの両腕を切断しようと長剣が迫る。
次の瞬間オークは何が起こったのか理解できなかった。
ジャヴィの槍を持つ手が消えた。……槍を手放していた。槍が地面に落ちる前に、手放した両腕が消えるとスルッと長剣を振った右腕の前にしゃがむ。
ここまで、オークの目にはスローモーションに見えていた。
『キンッ』
…が、次の瞬間、伸ばし切ったオークの右手首の下でジャヴィが逆手に持った短刀を両手でクロスさせていた。
オークの右手から血が滴っている。手甲のない腕の内側を綺麗に十字に切り裂いていた。
指の筋を断ち切られたオークの長剣が手から滑り落ちる。……と同時にジャヴィは槍に向かって滑り込み、右手で槍を持つと脇に挟んで水平にオークの膝に叩きつける。
『ガッ!メキャッ!!』
オークの右膝が潰れる音がする。体勢を崩し、右手を地に着けるオークの前で、ジャヴィは後方に跳ねながら右に上半身を捻り、旋回する槍の柄でオークの顔面を潰す。吹き飛んだ顔を正確に捉え、直ぐ様左半身前に槍を構えて頚を指し貫く。
『ザスッ!』
オークは口から血を垂れ流して絶命した。
馬車の御者台から恐怖の面持ちでこちらを見ていたキュレルは、実は暗すぎて正確に見えていなかった。
怯えるキュレルの元にジャヴィは戻ってくると馬の水やりに使う桶を手に取り、荷台の樽から水を注ぐと血糊の付いた短刀を洗い流し、木綿の布でしっかりと拭いて刃こぼれを確認した。
短刀を鞘に納めると振り返ってオークの亡骸の近くに落ちていたロングコートをはたくと羽織り、長槍を回収すると再度荷台の前で洗っている。
キュレルはジャヴィが何と闘っていたかのさえ見えていなかった。
『オークがいた。』
ジャヴィは冷静に一言だけ言葉を発すると怯えた馬の頬を優しく撫でる。馬が落ち着きを取り戻したのを確認して、 御者台に跳び乗り軽く馬に合図を送る。
急カーブを右に進むと左手は断崖になっていた。