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「沖田圭一郎、42歳。ただいま帰還いたしました」
沖田は軍隊式の敬礼をし、しばらく休息をとるためにソファに座った。
さきほどまで沖田圭一郎の能力に喝采を送っていた面々は、彼の帰還に対しほとんど反応を示さなかった。
「ツトムくん。あのおじさん酒癖わるいから、あっちいって相手してやってくんない?」
「ダメよ、ツトムくんはわたしのとなりって決まってるの」
百瀬がツトムの腕をつかんで引き止めようとした。
――ねぇ、その子のとなりなんかじゃなく、私の上に座る? それとも私が上?
ツトムの脳裏に骨伝導思念が響いた。
視界の端に、五十嵐真由の視線を感じる。
放たれた視線の熱さと、脳に響く過激な内容にツトムは息苦しくなった。
体を冷やすようにグラスビールを一気に飲み干した。
「真由さん。このピザとてもおいしいです」
ツトムはピザを利用して、五十嵐真由と目を合わせた。
しかし五十嵐真由の瞳は、どこか虚ろで焦点が合っていなかった。
ワインで酔ったのだろうか……。
にしては魂が抜け落ちてしまったような印象がぬぐえない。
いまの五十嵐真由の状態は、かつて穴が開くほど検証した自身の失神映像とどこか似ていた。
つまり、これはデメリット。
ツトムは五十嵐真由の骨伝導思念が、本人の明確な意志による能力だとの見方を強めた。
「ちょっと沖田さんと話してきます」
ツトムは百瀬の腕を優しく振りほどき、ソファ席に座った。
窓から見える夜の環七通りは、すっかり車の数を減らしていた。
正面にそびえるCJルートの7階、大垣オーナーの部屋は今夜も明かりが灯っている。
「沖田さん。ビッタについていろいろと質問したいのですがよろしいですか」
「わたくしがお答えできるものであれば幸いなのですが」
「沖田さんしか答えられません」
「そうでしたか。では誠意をもってご対応させていただきます」
沖田圭一郎は喜悦の表情を浮かべ、即座にそれを隠した。
ツトムは沖田に酒を注いだ。
お猪口がチンと音を立ててかち合った。
「さきほど沖田さんが体に浴びたアルコール。あれはどこに消えてしまったんですか。
テーブルのみんなは沖田さんの体に吸収されたって言ってましたが、できればより具体的に聞かせてください」
「具体的に、ですね」
沖田圭一郎は満足そうな顔を浮かべた。
「わたしの体に付着した液体は、ビッタによってすべて胃の内部へと送り込まれるのです。
ただ雨や水でないお酒ですと、血中アルコール濃度が急激に上昇し、中毒症状を引き起こしてしまいます。そのためさきほどは急いでトイレに駆け込ませていただいた次第です」
沖田は事実証明を行うかのように、赤く充血した目をツトムにぐっと寄せた。
「とてもすばらしい乾杯でした。正直なところ、記憶が吹っ飛びそうなほど驚きました」
ツトムは冗談交じりにそう言った。
「……記憶がとぶ?」
沖田圭一郎の眉間にシワが浮かんだ。
「あれほどのものを披露したのに、記憶が飛ぶとおっしゃるのですか?」
「あ、いえ……。とても鮮烈な印象を受けたという意味です。
ずっと消えることない強烈な記憶となるでしょう」
「ツトムさんにそう感じていただけたのなら、感無量でございます」
潮が引くように、沖田の眉間からシワが消えた。
過度な礼節と作り笑いにまみれていた第一印象とはちがい、酔った沖田は感情をうまく隠せないようだ。
「沖田さんがはじめて自分のビッタに気づいたのは、いつのことでしょうか」
「物心がついたころにはすでに気づいておりました。お恥ずかしい話なのですが、幼いころ雨に打たれると、よくその場で嘔吐したりすることがございまして。
すでにご明察でしょうが、無意識にビッタを使用して胃に雨が溜まり、それに耐えきれなくなったためです。
ただ幼かったわたくしは、そうした因果を知る由もございませんでした。人様のまえで嘔吐するなど不道徳な悪癖でありましょうから、雨の日は隠れて家路をたどったものです」
「そんな幼いころから、周囲に気を使っていたんですか」
「気遣いとは……言わばわたくしの宿命のようなものです」
沖田圭一郎は両手でお猪口を掲げて日本酒を口に運んだ。
「……」
「だからわたくしは雨が嫌いで仕方がありませんでした。
ついには実際の雨天のみならず、雨の映像などを見ても嘔吐感をもよおす始末でしたので。もちろんこの現象はビッタなどではなく、ただの条件反射でございましたが」
沖田圭一郎はそう言ったあと、自分自身の言葉に大きく笑った。
ツトムはビッタによって引き起こった逸話が感銘深く、何度も大きくうなずいた。
しかし笑っていたはずの沖田圭一郎が、とつぜん険しい表情を浮かべた。
おそらく自らが放った渾身の冗談に対し、一緒になって笑わなかったことが気に入らなかったのだとツトムは察した。
「沖田さん、日本酒をどうぞ」
ツトムは取り繕うようにお酌をした。
機嫌を損ねかけていた沖田圭一郎は、ツトムのお酌に押され正常な酔人へともどった。
「もっといろいろと聞かせてください。そうした経験を積まれていくなかで、じつは液体を吸収することが、他人にはない能力であると気づいたきっかけなどはありましたか」
「そこまで興味がおありなら――」
沖田圭一郎はこれ見よがしに咳払いをした。
「わたくしがビッタに気づくきっかけとなった事件を、いまここで再現してさしあげることも可能です」
「見せていただけるんですか」
ツトムはやや大げさに身を乗りだした。
「透明なグラスさえあれば、お披露目することかないましょう」
「ぜひお願いしたいです」
ツトムはすぐにソファを離れグラスを取りにもどった。
テーブル席では神谷ひさしと百瀬あかねが中華オードブルにかぶりついている。
五十嵐真由と島田タクミとホベルト・ソウスケは、ワインを飲みながら談笑している。
「ツトムくん。大いに楽しんでるかい?」
ホベルト・ソウスケが言った。
「ええ、とても有意義な時間を過ごしています」
「ねえねえ、ツトムくん、はやく帰ってきてよ。じゃないと、また体調入れ替えるからね」
百瀬あかねがシューマイで頬を膨らませながら言った。
「体調入れ替えたところで、3日後が『あの日』じゃないのはわかってるよ。ご自由に」
「あー!」
百瀬は顔を真っ赤にして、ツトムの胸を叩こうとした。
ツトムはするりとそれをかわし、グラスをもってソファ席にもどった。