遼子に連れられて行ったのは、彼女の行きつけだというイタリアンカフェだった。
席に着くなり、彼女はまるで宣言するかのように言う。
「私、気になったら早く解決したい性質なの」
話題はやはりあのことだ、とみなみは身構えた。遼子に直接質問するつもりで食事の誘いを受けたのは確かだが、いきなり直球を投げつけられて委縮してしまう。
「岡野さん、今日、倉庫にいたでしょ」
早速の単刀直入な物言いに、みなみは観念する。
「そして、私のこと、避けようとしてたわよね?」
心の中では「その通りです」と答えながら、みなみは首をすくめた。
おどおどしたみなみの様子に、遼子は声音を和らげた。そのくせ前置きなく核心を突いてくる。
「やっぱり山中君のことが原因?」
頷くのをためらっているみなみに、遼子は優しい声で続ける。
「岡野さんの気持ち、私、気づいていたわ。山中君のことが好きなのね」
みなみのはっとした表情を見て、遼子は微笑む。
「あの時倉庫の資料室に、確かに私は山中君といた。だけどそれは資料を取りに行って、偶然あの場で会っただけ。私たちの間には何もないわ」
遼子は真顔で言い、目の前のグラスに手を伸ばして喉を潤した。
「たぶん、私たちの会話のあの辺を聞いたんだろうな、って想像してる。念のためもう一度言うわね。私と山中君の間に、恋愛感情はまったくありません。お互いに、っていう意味よ。もしも私たちがそういう関係だったら、私、他の人と結婚なんてしないわ」
「それはそうなんでしょうけど……」
その説明を聞いただけでは、簡単には納得できない。山中の寝言を聞いてしまったことや、歓迎会や朝礼での遼子を見る彼の微妙な表情が、みなみの心に引っかかっている。
「すぐには信じられないって顔ねぇ。もっと前のことから話した方がいいのかな」
遼子は苦笑を浮かべて宙を見つめた。
「もうずっと前に、山中君から告白されたことがあった。一緒に組んで仕事をするようになって、しばらくたってからだったと思う。でも、私には恋人がいたから断った。それにね……」
遼子は一度言葉を切り、言いにくそうに続けた。
「私にとって山中君は『いい人』だったの。恋愛感情は持てなかったのよね。それ以降、さすがにぎくしゃくしたりもしたけど、時間がたつにつれてそれも薄れていった。そして今に至るというわけ」
自分の話を理解したかどうかを確かめるように、遼子はみなみの顔を覗き込んだ。
その目を見返しながら、みなみはおもむろに口を開く。
「あの時は私も用事があって倉庫に行ったんです。誰かがいるって気づいて、聞こえてきた声が二人のものだって分かったら、気になってしまって……。あの時耳にした補佐の言葉に混乱して、気持ちがぐちゃぐちゃになってしまったんです。だからその後も、何事もなかったような顔はできなくて、遼子さんを避けてしまいました。そして、今の話を聞いて理解はできましたけど、いまいち腑に落ちないといいますか……」
「何がそんなに引っかかっているの?」
みなみは自分の手元に目を落とし、おずおずと答える。
「補佐、言ってましたよね。『遼子さんのその相手が自分じゃなかったのが、とても残念だ』って」
遼子は首を捻り、短く唸る。
「あれは、特に深い意味はなかったと思うけど」
「でも、そんな風には思えませんでした。補佐はきっと、今も……」
遼子はみなみの言葉を遮る。
「その前後の会話も、細かいニュアンスも、壁を隔てて聞いたのなら、本当はどうだったかなんて分からないんじゃない?」
「それはそうかもしれませんけど……」
遼子はひと言ひと言ゆっくりとみなみに言う。
「あのね。本当にね、今の山中君は私の事なんか眼中にないの。私はその理由を知っているの。だから違うって断言できるのよ」
「理由って?」
みなみは聞き返した。その理由とやらを知ることができれば、心を覆っている靄はすぐにも晴れるはずだ。
しかし彼女は困ったように笑っている。
「できれば山中君本人の口から、直接聞いてほしいかな」
「それは、難しいかと。ご本人の連絡先は知りませんし、補佐はお忙しくて、会社にほとんどいらっしゃいませんから」
「そうなのよねぇ。今また色々と引っ張り出されているみたいなのよね。あぁ、そうだ。彼の業務用の携帯にでも……」
言いかけて遼子は苦笑する。
「無理だって顔をしてるわね。そうねぇ。このままだと、岡野さんの誤解は解けそうにないしなぁ。これくらいなら、言っても許してくれるかな……」
遼子は自分を納得させるかのようにぶつぶつとつぶやく。
「私が言ったってことは、絶対に秘密よ」
彼女は人差し指を自分の口の前に立てて言った。
「はい」
みなみが頷くのを見てから、遼子はやや声を落として言う。
「山中君は、岡野さんといると癒されたような気持ちになるんですって」
意外な言葉を聞いて、みなみは目を瞬いた。自分の何が「癒し」なのかは分からない。けれども、多少は好意を抱いてくれていると思っていいのだろうかと、頬が緩みかけた。遼子の視線に気がつき、はっとする。彼女の顔にはにやにやとした笑いが広がっている。
「岡野さんと山中君って、会社の中では今、ほとんど接点がないはずよね?それなのに、どうして彼の口からそういう言葉が出てきたのかしらね。そこのところを、ぜひ、知りたいんだけどな」
「えっ……と」
うろたえるみなみを見て、遼子はくすくすと笑う。
「からかおうとか、そういうつもりじゃないのよ。ただ、私の知らないところで、二人の間に一体何があったのかしら、ってちょっと不思議に思っただけ。でもそんな風に慌てるってことは、他の人には言えないような、何かまずいことでもあったのかしら?」
からかうつもりはないと言ったくせに、遼子は楽しそうな顔をしている。
背中に変な汗がにじみ出てきた。みなみは諦めて答える。
「具合を悪くされた補佐のお世話をしただけです」
「お世話?」
遼子の目が嬉しげに光ったように見えた。
墓穴を掘ったと思った時には遅かった。結局みなみは遼子の巧みな誘導尋問によって、歓迎会後のハプニングから始まる一連の出来事を話す羽目になった。
話を聞き終えた遼子は、微笑みを浮かべてうんうんと頷いている。
「なるほど、そんなことがあったのね」
ふと真顔になり彼女はため息をつく。
「山中君がもっと素直になればいいんだけどね……。あぁ、でも、岡野さんはそのままで大丈夫だから」
「どういう意味ですか?」
「ん、まぁ、言葉通りよ。とにかく、応援してるわ」
遼子はにっこりと笑う。
「あ、ありがとうございます……?」
「どうしてそこで疑問形なの?」
あははと笑う遼子につられて、みなみもようやくいつもの笑顔に戻る。彼女に対するわだかまりは解けた。
雑談を始めたところに、ようやく料理が運ばれてきた。
食欲をそそる匂いに、みなみのおなかはぐうっと鳴った。
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