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遼子と食事をした日の翌朝、みなみはいつもよりも早く会社に着いた。出社している社員の数はまだ少なく職場は静かだ。

昨夜はなかなか寝付けなかった。遼子との会話と、山中の面影が、頭からなかなか離れなかったせいだ。おかげで今朝のみなみは少々寝不足気味だ。

ひとまずコーヒーでも飲もうと、みなみは給湯室に向かう。

コーヒーサーバーは空っぽだった。当番が決まっているわけではなく、気づいた人がやることになっている。今朝最も早くここに足を踏み入れたのは、みなみだったようだ。

みなみは手慣れた様子でコーヒーを抽出する準備をした。しばらくたって、芳ばしい香りが漂い出す。その匂いを堪能している時、背後に人の気配を感じた。振り向いた途端、鼓動が高鳴る。山中が立っていたのだ。彼の顔をまともに見るのは、歓迎会の翌日にランチをした時以来だ。昨日の一件のこともあって、どういう顔をすればいいのか分からず緊張した。おかげで、爽やかな朝には似つかわしくない、ぎこちない挨拶になってしまう。


「おはようございます……」


山中の面にも困惑の色が浮かんでいた。しかしそれはつかの間のことで、それはすぐに穏やかな笑顔に変わる。


「おはよう。ずいぶん早いね。俺もコーヒーもらっていいかな?」

「は、はい、もちろんです。今、お淹れします」

「自分でやるよ」

「いえ、私が」


みなみは山中の言葉を遮ってくるりと背を向けた。慎重な手つきでコーヒーを淹れ、神妙な顔でカップを彼に手渡す。


「ありがとう」

「いえ」


コーヒーを受け取ったのだからもう用は済んだはずだと思い、みなみは山中が給湯室を出て行くのを待った。

ところが、彼は壁に背を預けてコーヒーカップに口をつける。

みなみは困惑しながら、彼の様子をそっと盗み見た。横顔の滑らかなラインにときめく。近すぎる彼との距離に、息苦しいほどにどきどきする。一方で、彼が昨日のことを言い出したりはしないかとひやひやしていた。おかげで、せっかく彼に久しぶりに会えたというのに、手放しで喜べない。二人でランチをした時のように、気軽に話しかけることができないもどかしさに悶々とした。

山中がぼそりと口を開く。


「あのさ」


ついに昨日のことに触れるのかと、みなみは身構えた。

山中との間に緊張した空気が流れた時、溌溂とした声がした。


「おはようございます!」


宍戸が顔を覗かせた。その位置からみなみの姿は見えていないらしく、その目は山中だけを向いている。

山中は宍戸に穏やかに応える。


「おはよう」


このまま存在に気づかれないのも癪で、みなみは首を伸ばして宍戸に声をかける。


「おはよう」


そこではじめて気がついたらしく、宍戸はみなみを見て目を丸くした。


「あれ?岡野もいたのか。今日はいつもより早いじゃないか。珍しいよな」

「珍しいとは失礼ね」


ひと言余計な宍戸にみなみはむくれた。

宍戸は軽く笑い流し、さも当然のように言う。


「なぁ、岡野。俺にもコーヒー淹れてくれよ」

「自分でやりなさいよ」

「たまにはいいだろ」

「私は宍戸の秘書でも彼女でも母親でもないんですけど」


ぽんぽんと文句を口にしつつも、みなみは結局宍戸の分のコーヒーも用意する。


「ありがと」

「どういたしまして」


ため息交じりに答えてから、みなみははっとした。山中がそこにいるというのに、宍戸のペースにうっかりと巻き込まれて素に近い自分を全開にしてしまった。恥ずかしさに顔が熱くなる。

笑いをこらえるかのように、山中は無言で肩先を小さく震わせていた。


「君たちは本当に仲がいいんだね」

「ち、違います!」


緊張していたことをすっかり忘れ、みなみは強い口調で否定する。


「確かに同期の中では、比較的仲がいい方だとは思いますけど、特にというわけではありません。ねっ、宍戸、そうよね?」


いつものように軽いノリで話を合わせてくれるはずだと思い、みなみは宍戸に同意を求めた。

ところが彼は棘のある言い方をする。


「確かに岡野の言う通り、同期の中では仲がいい方ではありますけどね」


みなみは困惑顔で宍戸を見上げた。

しかし彼はみなみを一瞥しただけだった。後は山中の方を向いて、そう言えば、と思い出したように彼に告げる。


「部長が補佐を探してました。急ぎという感じではないようでしたが」


山中の表情が引き締まる。


「部長が?分かった。教えてくれてありがとう」

「俺は先に戻って、部長に伝えておきます」

「あぁ、頼む」


宍戸は山中に会釈をすると、みなみの方を一度も見ずに、給湯室から足早に出て行ってしまった。

不機嫌そうに見えた宍戸の後ろ姿を見送って、みなみは考え込んだ。何か彼の気分を害するようなことを言ってしまっただろうかと、この短時間の出来事を振り返る。しかし、これといって特には思い当たらない。


「俺も戻るよ」


山中に声をかけられて、みなみは我に返った。宍戸の不機嫌な理由を延々と気にしてはいられないと気を取り直し、山中に訊ねる。


「部長にもコーヒーをお持ちしましょうか?」

「そうだね。申し訳ないけど、用意してもらえる?」

「はい」


みなみは手早くコーヒーを準備してトレイに乗せる。


「部長のお席までお持ちします。補佐はどうぞ先にお戻りください」

「俺が持って行くよ」

「いえ、私が」

「これから部長の所に行くのは俺なんだし、その方が早いだろ」


山中は言うなりみなみの持つトレイからコーヒーカップを取り上げて、にっこりと笑った。

その笑顔に負けたみなみは、彼に任せることにする。


「分かりました。では、よろしくお願いします」

「あぁ。手間をかけたね、ありがとう」


山中はにこやかに言って背を向けかけ、途中でその動きを止めた。


「どうかされましたか?」


訊ねるみなみの顔を山中はじっと見つめる。

みなみは困惑した。そこにあるのがどんな感情であっても、綺麗な彼の双眸を向けられては平静を装うのが難しくなる。

山中が歯切れ悪くぼそりと言った。


「宍戸ってもしかして……」

「宍戸が何か?」


みなみは首を傾げた。

しかしそれ以上はその話題を続けるつもりはなかったようで、彼はあっさりと話題を変えた。


「いや、なんでもないよ。ところで、今日の会議資料の準備は大変だっただろう?お疲れ様」

「あ、ありがとうございます」


資料の依頼者は山中ではなかったが、労いの言葉をかけてもらえたことを、みなみは嬉しく思う。仕事に対して厳しい人だと言われていながらも、皆から慕われ信頼されているのは、こういった彼の面が一つの理由だろうと推測できた。


「それじゃあ」


山中が背を見せる。一歩踏み出したところで足を止め、彼は肩越しに振り返った。


「またね」


そのひと言を残して、今度こそ本当に彼は給湯室から出て行った。

彼の後ろ姿が視界から消えた途端、ずいぶんと密度の濃い朝だったと、みなみは深いため息をついた。期待してはいけないと分かってはいるが、去り際の彼の一言はみなみの耳と心に甘い余韻を残した。しかし、今日は会議の日。いつまでもここでその余韻に浸ってはいられない。何度も何度も深呼吸を繰り返して、みなみは平常心を取り戻す努力をした。

席に戻ってデスクの上を整理しているうちに、始業開始時刻となった。その後は他の社員たちと一緒になって、みなみは会議に向けた様々な準備に取りかかった。

会議が始まってしばらくしてから、遼子の内線に電話がかかって来た。

その時彼女は別件で席を外していて、そこにはみなみしかいなかった。

電話は山中からだった。


『お疲れ様です。白川さんは?』

「今は離席中でして」

『そうか……。じゃあさ、岡野さん、申し訳ないんだけど、今日の資料を二部、急いで持ってきてくれないか。汚してしまった方がいらしてね』

「は、はい!ただ今お持ちします!」


みなみは電話を切ると、余分に用意してあった中から資料を二部手に取る。近くの席の先輩に会議室へ行くことを伝えて、急いで廊下に出た。会議室の前で深呼吸をしてから静かにドアをノックし、頭を低くして中に入った。重役と各部の部長たちが揃うそこは物々しい雰囲気で、圧倒される。

山中がみなみに気づいて小さく手招きした。

みなみは腰をかがめながら彼の傍まで行き、そっと資料を手渡す。


「助かったよ」


礼を言う山中にみなみは頭を下げて、足音を忍ばせながらその場を離れた。

会議室を出る間際に、山中が立ち上がったのが見えた。彼は堂々とした様子で前に出て行き、みなみから受け取った資料を専務と常務に渡していた。その後、映像を映し出したモニターを見ながら話し出す。


「さて、今回の案件はわが社もJVの一旦を担う形で施工に参加することになっております。わが社の他に三社。ですので、各担当部署においては……」


そこまで聞いた時、みなみを見る山中の視線に気がついた。

みなみは慌てて顔を伏せ、そそくさと会議室を出た。

仕事モードの凛とした山中の姿を目の当たりにしてときめいた。しかし一方で、やはり彼はすごい人なのだという事実を改めて認識する。そんな彼と自分との差をひしひしと感じて、みなみの口からはため息がこぼれた。

【修正中】恋愛下手の恋模様~あなたに、君に、恋する気持ちは止められない~

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