神威海燕に言い収められ、後任のエージェントと会話もする気になれなくなったアレクシアは、自然と本部の中央噴水広場へ足が向いていた。
そこには、エージェントにとって憧れと癒やしを与える聖地だった。
そもそもからして、人間は自分の命をかけて同じ人間を殺すことに強いストレスを覚える。特にエージェントのような直接殺す場面が多い人間は特にそうだ。
自分が死にかける。
仲間が死ぬ。
相手が悲鳴を上げる。
何度も何度も繰り返して精神は摩耗していく。
それから逃れるためだったり、メンタルが耐えきれず狂ってしまって、殺人中毒やメルヘルスケアドラッグの過剰摂取、精神崩壊を起こす可能性が極めて高かった。
だから、エージェントを含めた全ての『殺人許可証・マーダーライセンス』を持つ人間や、持つために育てられる人間は、養成学校や本部にも設置されている噴水広場で、ある暗示をかけられる。
それは、『この噴水を見る者は全て仲間であり、同時に罪は洗い流され、最後は天国へ逝ける』というものだ。
それを何度も、何度も、繰り返して教え、この噴水広場を心の癒やしの場とするのが、この世界で平和の為に戦う者達が、後に続く者たちに残してたシステムだった。
アレクシアは、仲間殺しの罪を負った。それは仲間を助けるための賭けだったけれど、結果的には全てを失った。
信用も、立場も、仲間さえも。
だから、自然と誰かに許されたくて、誰かに認めてほしくて、私という存在をどうにか肯定したくて、この噴水広場で自身を慰めたかった。
噴水広場には、多くの人達がいる。
みんな、悲しい過去や、辛い現状から、これからくる怖い未来から少しでも逃れたくてここにいる。
辛く、悲しく、怖いのは一人ではない。
誰もが戦い、傷つき、そして怯えている。
それでも前を向いて生きるための儀式だ。
コツコツ、と。
後ろから、足音がする。
「ここだと思った。みんな好きだもんねー。ここ」
それは鮮花の声だった。
アレクシアは後ろを見ず、流れる水を眺めながら言葉を返す。
「この寮で暮らすことは国に拾われた私達みんなの憧れ。この制服に袖を通した時も……」
「嬉しかったよね~」
あの、鮮花さえも、同じ感想を持つのか、とアレクシアは驚く。
「そんな意外そうな顔をしないで。私だってそうだよ。天涯孤独、愛を知らず、唯一あるのは組織への恩返しの気持ち。そして、私も、誰の役に立ちたいという使命感」
「なら……鮮花さんにもわかるでしょう。ここが目標だった! それを私は奪われた! どうしてこんな……」
移転組は優秀なものしかいない。しかし彼女は、失敗して、罰を受けた。
「そうだねぇ、アレクシアは本部から支部に移された。でも、それは必要ない、という意味になるのかな?」
「そんなの、当たり前でしょう! 本部で使えない無能だから支部に移された! 仲間殺しのエージェント! あなたは公安局に必要とされてるからいいですよね!! 私には……私の居場所……もうここにはない……!」
アレクシアは崩れ落ちる。
顔を覆って、小さく呻く。
「……ごめんなさい、八つ当たりでした」
「アレクシア」
「わかってます。全部自分のせい」
「アレクシア、これはね、言っていいか分からないけど、私が言いたいから言うよ?」
「なんですか?」
「アレクシアの処遇。つまり本部から支部への移転は、国家人民管理AIラジアータシステムにハッキングできるハッカーを迅速に始末するため、そしてたきな自身を周囲から守るために行われた特例措置だよ」
「え? どういうことですか?」
「本部との数分障害があったのは知ってるよね。たぶん技術的トラブルだと説明されてると思うけど。それ、ハッキングだよ」
「ラジアータが?」
「それ積極的防衛局の機密性を担ってる最強AIだよ? 全てのインフラの優先権を持ってるのに通信障害なんてありえない」
「ハッキング……それで取引時間が……」
「それは国の根幹を揺るがす大事件だよ。その為に現場や銃取引の案件を全てアレクシアのせいにして処理して、ハッカーの始末を優先した」
「そんな……」
「それに、ハッカーの始末はアレクシア自身がつけた。覚えてる? 例の羽田空港の戦い。あれで最後にアレクシアが殺したのが、ラジアータにハッキングした張本人。つまり上層部は、国の安全を脅かす為に蔑ろにしたアレクシアに、その原因を作った張本人を殺させ、再び本部に戻す功績を作らせたんだよ」
「……そう、なんですか?」
「そうだよ! それに私のところにアレクシアが送られてきたときに『鍛えてやってくれ、優秀なエージェントだ。ファーストクラスになったら本部へ戻す』って明言されてるし、ほら」
千束は自身の端末に送信された『アレクシアの人事異動および鮮花への任務』の詳細を見せる。
アレクシアは食いつくようにその画面に書かれた文字を読む。
「よく漫画やアニメだと、組織の上層部は腐ってるみたいな話がよくあるじゃん? 自分の既得利益のために部下を犠牲にする無能な上司。でもうちってそういうの全く無いんだよね」
鮮花は笑いながら言う。
「ラジアータだけの時代はそういうのもいたんだけど、パノプティコンシステムができてから、適材適所で仕事が割り振られて、不正が徹底的に暴かれて始末して、AIによる管理が始まった。どうしても出てしまうヒューマンエラーを除いて、人間同士の無駄な足の引っ張り合いみたいなのは無くなったの。最近はタナトスさんもできて、更に良くなった」
鮮花は目を細める。
「特に、日本防衛戦を生き抜いてきた大人の人達の時代は上層部の腐敗が酷くて、苦労したから、組織改善に力を入れたって話。この手の話で、一番話題に上がるのは、防人朱さん、JBこと春姫三條さんとかかな。有名でしょ? だからさ、アレクシア」
鮮花はアレクシアを抱きしめる。
「君は組織に見捨てられて無い。ちゃんと愛されている。うちの支部に来たのは君を守るためでもあるって言ったよね。味方殺しはどうしても、味方から嫌われる。だから本部にいたらメンタルに問題が起きるだろうって意味でも異動されてるし、ハッカーを殺すことで功績を立ててそれを黙らせる経歴もつくれた。組織はしっかりと貴方のことも考えられているんだよ。人は使い捨ての道具じゃない。そういう道理を通す優しい人達によって、この世界は、日本は回ってるんだ」
「……教えてくれて、ありがとう、ございます。でも良かったんですか? 機密情報って書いてありますけど」
「アレクシアが辛い思いするより、私が怒られる方がよっぽど良いよ。大丈夫。私は強いから。怒られるだろうけど、まぁ、大丈夫」
「……貴方がいてくれて良かった。私の居場所はちゃんとあった。それを教えてくれて、ありがとうございます」
「どう、アレクシア。前を向ける? ファーストクラスになるまでは本部に戻れないかもしれないけど、席は用意されているし、その異動の原因や功績もしっかりと理解して、それで前を向いて歩いていける?」
アレクシアは力強く答えた。
「はい。私は、これからも戦えます」
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