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一般的なナイフの芸を皆様にお見せしていたら、課長が来ました。
ちょっと照れます、と和香は思っていた。
でも、なんだかんだで結婚するかもしれない人が、同じ社内にいるのっていいな。
こうして、たまに出会えるし。
顔を見ただけで、課長のおうちでゴロゴロしてるときみたいな気持ちになって、ホッとするし。
まあ、課長とは、なんだかんだで結婚しないとは思うけど……。
そんなことを思いながら、和香は廊下に出た。
ちょっと疲れたので、糖分が欲しくなったのだ。
激甘で評判の悪い自動販売機の紅茶を求めて、建物の外に出た和香はそれを見た。
立派なガタイをスーツに収めた羽積だ。
胸からゲスト用のIDカードらしきものを下げている。
こちらに気づかず、和香の同期の男性社員、辻井と話しながら行ってしまった。
羽積さん、ガードマンか、土木工事の人か、バンドマンではなかったのか。
三階の奥さんがいつもそう言っているのにっ。
まあ、どのみち、それは表向きの仕事なのだろうが……、
と思いながら、和香は羽積の背を見送る。
「辻井くん」
そのあと、渡り廊下で、たまたま辻井を見かけたので、捕まえ訊いてみた。
「あー、羽積さんね。
新しい営業の人だよ」
コピー機の会社の人だと言う。
「なんだ、和香っ。
さっそく、羽積さんに目をつけたのかっ」
と笑われる。
「無理無理。
あんな感じのいいイケメン、彼女いるに決まってるだろ」
「そんなんじゃないよ。
知ってる人に似てたから気になって訊いてみただけ――」
と言ってみたのだが。
またまた~、と言う辻井は、
「まあ、和香の頼みならしょうがないな~」
と言い出した。
いや……、まだ、なにも頼んでないんだが。
「羽積さんとの呑み会セッティングしてやるよ。
その代わり、受付の堂本ちゃん連れて来て。
お前、あの人と仲いいだろ?」
それは、単に堂本ちゃんと呑みたいだけなのでは……。
しかし、羽積さんと呑み。
いいのだろうか、それ。
いろんな意味で、と和香が思ったとき、通りかかった耀が、
「どうかしたのか?」
と訊いてきた。
「あ、課長っ。
お疲れ様ですっ」
サボって呑み会の段取りをしていてたのがバレると思ったのか、辻井は挨拶だけして、飛ぶようにいなくなった。
「どうかしたのか?」
と逃げる辻井の背を見ながら耀が訊く。
「いえ、なんか呑み会をやってくれるらしいです」
「呑み会?」
「うちの隣の羽積さんとの呑み会です」
「例の隣のイケメンか」
とすぐに言ってくるので、記憶力いいな、と和香は思う。
たいして羽積さんの話なんてしてないのに。
「なんでお前んちの隣のイケメンとの呑み会を辻井が仕切る」
「それが羽積さん、うちの会社に営業で来てるみたいで」
「うちに出入りしてるの、お前、知らなかったのか」
はあ、と和香は小首をかしげて言う。
「ガードマンか、土木工事の人か、バンドマンのはずだったんですけどね」
「なに?
経歴を偽っていたのか」
怪しい奴だ、と言い出しそうな耀に言う。
「三階の奥さんの妄想の中では……」
「……隣なんだろ。
本人に確認しろよ」
「まあ、どのみち、どれも本業ではないですよ」
「そうなのか?」
「あの人、私を監視してる人なので」
「……そうなのか?」
「今のアパートの斜め前のアパートに住んでるとき、羽積さんに監視されてるのに気がついたんですよね。
だから、隣に引っ越してやりました」
たまたま空いてたんで、と和香は言った。
「……何故、自ら隣に引っ越す。
以前、お前につきまとっているおかしな男がいるのかと訊いたら、笑ってごまかされたが。
あれは、その羽積という奴のことだったのか?」
「羽積さんは、おかしな男じゃありませんよ。
私につきまとっているわけでもありません。
お仕事で私を見張ってるだけです。
っていうか、なんか、別の仕事のついでに見張ってる感じみたいですね」
「じゃあ、羽積じゃなくて、監視されてるお前の方がヤバい奴か」
と問われ、
「そうかもしれないですね」
と和香は笑った。
「まあともかく、羽積に気があるという話は否定しておけ。
……俺以外の奴と噂になるな」
自分で言っておいて照れたのか。
耀は、じゃあ、と言うと、せかせか廊下の角を曲がっていってしまった。
和香はそれを見送り、ちょっと微笑む。
仕事帰り、耀は和香のアパートに向かった。
羽積という男のことが気になっていたからだ。
下の道から見上げていると、和香の部屋に灯りがともっているのが見えた。
だが、チャイムを鳴らす勇気はない。
和香の部屋の右隣も左隣も真っ暗だったので。
どちらが羽積の部屋かは知らないが、どちらにしても、いないか、寝ているかなのだろう。
……それにしても、こんなところまで、なにも言わずに来たりして。
まるで、熱烈に和香を好きな男みたいだな、
と自分で思いながら、帰ろうとしたとき、誰かがアパートの階段を上がっていくのが見えた。
女のようだ。
明るい色の、肩より少し下くらいの長さの髪。
柔らかなウェーブがついている。
顔はあまり見えないが、肌の白いその女は、すうっと音も立てずに階段を上っていく。
霊!? とそんなもの見たこともないのに思ってしまった。
誰がどう上がっても、カンカン音がしそうな鉄製の外階段だったからだ。
その女の霊(?)は和香の部屋の前で止まった。
チャイムも鳴らさずに扉を見つめている。
中の気配を感じようとしているのか。
生活音を聞いているのか。
じっとしていた。
なにやら不安になり、耀は路肩に寄せていた車を降りて、そっと近づいてみた。
音を立てずに階段を上ろうとした。
すると、かなりスローになる。
やはり、先ほどの彼女のように無音で上がっていくのは無理だ、と思いながら、足元に注意して上がりきったとき、彼女がこちらを見ているのに気がついた。
しまったっ。
足音を出さないようにして、アパートの階段を上がるとか、俺の方が不審者ではっ?
通報されたらどうしようっ、と思ったとき、彼女が言った。
「神森耀さんですね」
「えっ?」
「和香の姉の友香です」
どうやら俺は莫迦ではなかったようだ……。
もしや、ハダカの王様の衣装のように、莫迦には見えないのだろうかと思った和香の姉がそこにいた。