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表向きは、やんわり。
山田|琉光子《るみこ》は、その仮面を、ずっと着けてきた。
けれど、誰かに嫌われるほど正直になったことがなかった。
教室で、彼女が嫌われているわけではない。
むしろ、話しかけやすい子だと思われている。
だからこそ、彼女はいつも、ほんの少しだけ疲れていた。
*
彼女は、和歌山県の南のほうで生まれた。
海が近いわけでも、山に囲まれているわけでもない、取り立てて説明のしにくい場所だ。観光地でもないし、かといって何もないわけでもない。駅前にはドラッグストアとファミレスが一通り揃っていて、休日になると家族連れが車で出入りする。
琉光子は、そこで高校二年生をしている。
身長は平均的で、部活帰りに日に焼けたわけでもないのに、肌は健康的だと言われる。ニキビに悩まされたこともほとんどなく、「肌きれいだね」と言われるたび、どう返せばいいのかわからず曖昧に笑ってきた。
特別かわいいわけじゃないけど、ブスでもない。
太ってもいないし、痩せてもいない。
先生からは「おだやかな子」、
友だちからは「話しやすい子」。
そういう立ち位置に、いつの間にか収まっていた。
クラスで揉めごとが起きると、なぜか間に入らされる。
誰かが泣き出すと、「琉光子が聞いてあげて」と名前が出る。
断るほど嫌でもなく、引き受けるほど積極的でもないまま、相槌を打ち続けてきた。
家に帰っても似たようなものだった。
母は「学校どう?」と聞き、琉光子は「普通」と答える。
父は「無理せんでええからな」と言い、琉光子は「うん」と返す。
どこにも嘘はない。
ただ、どこにも本当がない。
だから、裏垢があった。
いわゆる「裏垢女子」と呼ばれるものだけど、琉光子のそれは、写真も自撮りもなかった。誰かを晒したり、悪口を書いたりもしない。
フォロワーは数十人。ほとんどが知らない誰かで、相互フォローでもなかった。
書くのは、短い言葉だけ。
――今日はちょっと疲れた。
――うまく笑えてたかな。
――もう少し、静かにしたい。
それだけで、胸の内側に溜まっていた何かが、少し薄くなる気がした。
誰にも読まれなくてもいいし、読まれても困らない。
現実の誰とも、結びつかない場所。
琉光子にとって、それは避難所だった。
その日も、帰りの電車でスマホを見ながら、無意識に文字を打った。
部活の先輩の愚痴を聞き、帰り道でクラスメイトに呼び止められ、進路の話を振られ、愛想笑いをして、駅まで歩いてきた。
大した出来事はない。
でも、ずっと、薄く疲れていた。
――表向き、やんわり。ほんとは、モヤッと。
――もうやめたい。こんなの。
送信。
画面が一瞬、読み込みのマークを出した。
いつもの動きだった。
そのままスマホをポケットに入れ、電車を降りる。
家までの道を歩きながら、琉光子は少しだけ呼吸が楽になった気がしていた。
家に着いて、靴を脱ぎ、リビングを通り抜け、自分の部屋で制服を脱ぐ。
スマホを見ると、通知がいくつか溜まっていた。
知らないアイコン。
見覚えのある名前。
クラスのグループで見かける名字。
一瞬、何が起きているのかわからなかった。
通知を開いた瞬間、心臓が沈んだ。
――これ、どうしたん?
――大丈夫?
――なんかあった?
投稿の表示。
アカウント名の下に、見慣れた表示。
《全体公開》
琉光子は、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。
指先が冷たくなり、耳の奥で血の音がする。
消そうとして、止まる。
消したら、なかったことになるのか。
消さなかったら、どうなるのか。
その間にも、「いいね」が増えていく。
コメントは少ない。
でも、見られている感覚だけが、じわじわと広がっていった。
翌日、教室の空気は、少しだけ違っていた。
誰も直接、何も言わない。
いつも通り「おはよう」と言われるし、席も変わらない。
ただ、視線が一瞬遅れて外れたり、会話が途切れたりする。
昼休み、隣の席の子が言った。
「昨日のやつさ……あれ、気にせんでええと思うよ」
責める声じゃない。
むしろ、慰めに近い。
琉光子は、やんわり笑った。
「うん、大丈夫」
その言葉を言えた自分に、少しだけ安心して、
同時に、どこかが、静かにひび割れていくのを感じていた。
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