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「では、今日も一日、お世話になりました」
と夏菜は有生に頭を下げながら、チラ、と有生を窺う。
本格的に雇われている上林や黒木と違い、ほんとうに気まぐれで雇われてるだけなので、明日も来て大丈夫なのかな? と思ってしまうのだ。
有生は顔も上げずに、
「お疲れ。
早く帰って寝ろ。
明日はちょっと早めに来い。
俺が早くに出張に出るから」
と言ってくる。
「はい、社長が出られるまでになにかお仕事があるんですね?」
と明日の仕事の流れを頭に入れておくために確認すると、有生は何故か一瞬、つまる。
「そうだな。
指月について、俺が出張時の秘書室の対応について学べ」
「はい」
では、失礼します、と夏菜は頭を下げて出ようとした。
入れ替わりに指月が入ってきたので、
「失礼します」
と指月にも深々と頭を下げて去る。
夏菜が出ていった扉を振り返りながら、指月が言った。
「さすが道場仕込みなので、挨拶などは教える必要はないんですけどね。
ときどき丁寧すぎて、客になにごとかと思われるときがありますね」
「……そうか」
と有生がちょっと考え事をしながら言うと、
「『明日の出張は長いから、あまり顔も見られないので、俺が出ていく前に早く来て顔を見せてくれ』
とか言ってみたらどうですか?」
と指月が言ってきた。
「……なんの話だ」
と有生は指月を睨む。
いえいえ、と言って、回ってきたファイルをデスクに置く指月に、
「お前はいつもそういうことをしれっと言ってるのか」
と訊くと、
「言えますよ、別に。
相手に気がないときには」
と言ってくる。
「……気がないときには言わなくていいんじゃないか?」
「ま、そうなんですけどね」
と言って、指月はあっさり出て行った。
ひとりになった社長室で、有生は考える。
いやいや。
好きとかないな。
ただ、見張っとかねばと思うだけだ。
一日一度は顔を見て――。
俺の命を狙ってる奴だからな。
違った。
俺をぽこりとやろうと狙っている奴だからな。
……どうでもいいな。
ともかく、俺はあの油断ならない女を見張らねばと思っているだけだ、と心に刻み付ける。
やり返すつもりで、軽くキスしたとき、驚いたように自分を見上げてきた夏菜の顔を思い出していた。
あいつ、絶対キスとかしたことないな。
箱入り娘っぽいもんな。
人気者の先輩に背後から肩をつかまれただけで、投げ飛ばすくらいだからな。
……入ってる箱が道場ってのがちょっと怖いが。
頑丈すぎる……と思いながら、有生は仕事に戻った。
おや、またツルがかかっているようだ……と車の入れぬ山道を歩いていた夏菜は思う。
木々の間に仕掛けてあった網の罠に、あの青年がかかっていたのだ。
指月に言われて、夏菜の祖父の道場を目指していたはずの青年だ。
「すごいじゃないですか。
一度目でこんなところまで来るなんて」
と夏菜は褒める。
明日はもっと進めるかもですよと言ったが、
「まず、この罠から出られませんけどっ?」
と青年は文句を言ってくる。
まあ、この網、普通の網じゃないもんな~、と木のかなり高い位置に仕掛けてある網を見上げたあとで、夏菜は、
「しすこんさん」
と呼びかけた。
「それ名前じゃないです……」
いや、他に呼び名がなかったので、と思いながら、夏菜は、はは……と苦笑いし、
「今、加藤さんを呼んで来ますねー」
と屋敷の方を指差し、言ってみた。
「雪丸恵一
と申します。
よろしくお願いいたしますっ」
と夕食の席で、青年は頭を下げた。
まあ、もうみんなの食事はすんでいたので、食べるのは夏菜と彼だけなのだが。
はいはい、と屋敷の雑務の取りまとめを任されている加藤は苦笑いしながら、おひつを手に戻っていった。
いや、加藤さん。
次から次へとすみません……と夏菜は思っていた。
自分のせいで、これで二人も罠にかかって、加藤に助けてもらっている。
しかも、そのあとまた、罠をかけかえないといけないので、結構めんどくさい作業なのだ。
だだっ広い広間で二人だけの食事が終わる頃、夏菜は雪丸に問題の姉の写真を見せてもらっていた。
「うわー、おねえさん、本当にお綺麗ですね。
美鳥さんみたい」
と夏菜が言ったとき、雪丸との間でいきなり声がした。
「お嬢の方が綺麗ですよ」
顔の濃いイタリアマフィアみたいな男がいきなり背後にいて、うわっと雪丸が声を上げる。
そのイタリアマフィアに渋いいい声で、
「それ食べたら帰ってくださいよ」
と言われ、雪丸は彼の前で土下座して言った。
「師匠っ、弟子入りさせてくださいっ」
「いや、私もまだ新米なんです」
とマフィアは言う。
「弟子入りさせてくださいっ」
「新米なんですっ」
と二人は言い合っていた。
そのとき、奥の襖が開いて、祖父、頼久が現れた。
話を聞いていたらしい。
「まあよい。
銀次、しばらく彼の面倒を見てやりなさい」
へい、とイタリアマフィア顔の銀次は言った。
頼久が去ったあと、雪丸が言ってくる。
「やっぱ、すごい貫禄ですねーっ。
大師匠」
「大師匠?」
「いや、師匠の師匠なんで」
と雪丸は笑い、
「なんかグルメ漫画に出てくる偉そうなグルメの人みたいですよね」
と言う。
……うち、道場。
雪丸は銀次を振り向き、
「銀次さんっておっしゃるんですね。
顔、洋風なのに」
と笑って言っていた。
「銀次さん、この間まで頑張って着流し着てたんですけど。
似合わなかったんで、方向転換されたんですよ」
と夏菜が教える。
「昔のヤクザに憧れてうちに来た不思議な人なんですよ。
うち、ボディガードとか養成してる普通の会社っていうか、道場なんですけどね……」
「ま、銀次も本名じゃねえんですけどね」
と銀次が教える。
「本名は詩音さんって言うんですよ」
と夏菜が言うと、
「素敵な名前じゃないですか」
もったいない、という風に、雪丸は言ったが。
素敵すぎたのが勝手な改名の原因だろう。
「そういえば、銀次って、ヤクザ映画とかからとったんですか?」
と夏菜が訊くと、銀次は、
「いえ、スリの銀次からです」
と言った。
何故、桃鉄……。
ある意味、最強だから?
やってこられたら、泣いちゃうから?
はは、と夏菜はまた苦笑いして、話を終わらせた。