私
達はいつも何かを信じたがっている。
誰かの言葉とか、宗教だとか、占いだとかを。
そうやって信じてきたものが偽りだった場合、人はどうなるのだろう? 絶望して死にたくなって、自殺してしまう人もいるかもしれないし、信じられなくなったことで逆に生きようと思える人もいるかもしれない。
あるいは、そんなものは最初から存在しなかったかのように振る舞う人も現れるだろう。
信じるとはどういうことなのか、その答えを求めて生きている人間がいる。
信じるということは、他人とつながるということでもあると思う。
誰だって、一人で生きていけるほど強くはない。だから、人とつながっていたいのだけれど、つながり方がわからないから、とりあえず言葉を使ってみるしかないんじゃないかな。
あなたにとっての幸せはなんですか? 幸せな人生を送るためには、どんな努力が必要でしょう。
それはきっと、「自分が幸せであること」を認めることだと思います。
自分に厳しくするのは良いことですが、自分を甘やかすのもまた必要なんです。
なぜなら、自分で決めたルールでは、本当の意味で幸せになれないからです。
自分自身に対して甘いというのは、言い換えると「もっと良くしよう」「頑張ろう」というモチベーションになりますよね。
もちろん悪い面もあるかもしれませんが、それでもなおポジティブに物事を捉えられる人が、幸福になれるんじゃないでしょうか。
愛とは何かについて考えることは、生きることについて考えることにも通じる。
他者を愛したり慈しみを持ったりする行為は、自らの命を絶つ行為と同じではないだろうか。
愛する者の為ならば死ねる、という言葉がある。
しかし、本当に愛する者の為に死ぬことができれば、そもそも悩む必要はないはずだ。
愛することの意味を考える前に、まずは自分の命を大切にしてほしい。
私は、自分の存在を消すために生まれました。
私は、私の存在価値を見出す為に存在しています。
私が消える瞬間にこそ、私の存在意義が生まれるのです。
その時まで、精一杯足掻き続けます。