荒木羽理から一点の迷いもない視線でじっと見詰められた土井恵介は、ほぅっと吐息を落とした。
「たいちゃんの未来のお嫁さんも公認なら僕に止めることはできないね」
どこかおどけたように伯父の顔で淡く微笑んでから、恵介は続けた。
「先日はたいちゃんのお見合い相手に僕がいらないことを言ったせいで荒木さんにも色々気をもませたみたいだね。本当に申し訳なかった」
素直にスッと頭を下げた途端、目の前で荒木羽理がアワアワし始める。
「しゃ、社長にそんなっ。頭を下げるとか……お、落ち着かないのでやめてくださいっ」
非常に恐縮した様子で慌てまくっていたくせに、ふと思い出したように「あの……社長。私は大丈夫なので、今度、ちゃんと機会を作って美住さんに謝罪して欲しいのです。社長の言動に振り回されて一番傷付いたのは美住さんだと思うので」
ピシッとした様子でじっと自分を見詰めてくる荒木羽理に、恵介は内心感心する。
「分かったよ。ちゃんと杏子ちゃんにも謝ると誓う」
言って、愛し気にすぐ横の恋人を見詰める甥っ子に視線を移すと、恵介はふっと表情を和らげた。
「たいちゃん、いいお嫁さん候補を見つけたね」
***
恵介伯父から羽理のことを褒められた大葉は、自分のすぐそばで「そ、そんなっ。有難うございますっ」と恐縮しまくる羽理の手をギュッと握ると「はい。可愛くて美人で面白くてしっかりした、俺の自慢の婚約者です」と宣言した。
羽理が「たいよぉ……」と照れ臭そうにつぶやくのを余裕の笑みで見下ろして、「俺が荒木羽理さんとの関係を公表するの、問題ありませんよね?」と恵介伯父に念押しした。
「分かった。それについてはたいちゃんと荒木さんの意志を最大限尊重して何かあれば僕もバックアップすると約束しよう。ところで――」
そこで机上に置かれたままの倍相岳斗の【退職願】に視線を映した恵介伯父が、スッと土恵商事の社長の顔になる。
「倍相くんの転職先ははなみやこ? それともその系列?」
大葉は岳斗の出自のことなど伏せて話したはずなのに、恵介伯父からズバリそんなことを聞かれて、思わず瞳を見開いた。
「伯父さんは岳斗のこと……」
「まぁこう見えても僕、一応社長なんてものをやってるからね。自社の社員のことはある程度把握しているつもりだよ?」
多くは語らず〝知っている〟と示唆した恵介伯父に、大葉は「系列の方です」と答えた。
「どこ?」
聞かれて、ちらりと羽理の方を気にしてから、大葉は「コノエ産業です」と告げる。その言葉に、恵介伯父が「ちょっと待って、たいちゃん。そこって……杏子ちゃんの勤め先じゃなかった?」とつぶやいた。
ほわんとしているように見えても、目の前の男は腐っても土恵の社長なんだな、と大葉は改めて感心した。
***
「岳斗さん、今日は色々とご迷惑をお掛けして本当にすみませんでした!」
足を痛そうにしている杏子ちゃんを一人で帰せない、という理由で、岳斗は彼女を家まで送って行くと提案したのだけれど、実際にはそんなの建前で、一気に色々あった杏子のことを一人にしておけないと思ったのだ。
「ね、杏子ちゃん、僕は『すみません』より『ありがとう』って言われたいな?」
ふわっと微笑んで彼女を見詰めたら、杏子が一瞬瞳を見開いて、それから何故かぶわりと頬を赤く染めた。
その表情を見て、岳斗は密かに期待してしまう。
(ねぇ、杏子ちゃん、もしかして少しは脈があると思ってもいいのかな?)
岳斗は生来自分の欲望には物凄く貪欲な方だと思っている。
花京院岳史に引き取られたせいで継母(とも思いたくないが)花京院麻由からネチネチとした虐待を受けた結果、欲望を抑圧されて思春期を過ごしたのが大きいんだろうと自己分析している。
(――いつか必ずこいつらを見返してやるんだ!)
虐げられるのを受け入れるふりをしながら、そういう気概で何とか幼少期をやり過ごしてきた岳斗は、裏表の顔を巧みに使い分ける人間になってしまった。
本当に欲しいものに対しては人一倍敏感なくせに、欲していると他者にバレるのが怖い。もし本心に気付かれたなら、誰かに奪われてしまうかも? という危機感がどうしても拭えない。
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