こうして、私は多くの身寄りのない子どもたちと共に、飛鳥馬先生の弟子となった。
道場に正座している皆の前に連れて行かれ、挨拶をして顔を上げると、最前列の左端に、兄、圭一の姿があった。
「えっ、お兄ちゃ…」
驚きのあまり、私は思わず声をあげそうになった。しかし、その目と右腕を見た瞬間、私の言葉は引っ込んでしまった。
そこにいたのはもう、私がかつてみかんの皮やゆで卵の殻を剥いてあげていた兄ではない。
その後何があったのかははよくわからないけれど、ずっと昔、母親がいなくなった時、泣きながら家を飛び出していった兄とは、もうすでに何かが大きく違っていると、私の直感がそう言ったのだ。
思った通り、16歳の兄の腕前は、すでに道場では評判で、年上の高校生や大人に混じっても、ひときわ強いようだった。
稽古初日は、緊張の連続だった。13歳の私は、最近入った子供たちの中では最年長。年齢故に、あまりに小さい子たちと練習するのは体格や力の強さの点から不公平になるので、既に数年先に入門していた、同じくらいの歳の子共たちと共に練習することになった。
年齢はほぼ同じと言っても、相手は皆、最低でも1年は先に入門していた人たち。もともと力も強くなく、経験も全くない私にとって、練習は過酷そのものだった。
また、弟子たちは朝四時に起きて掃除、そして炊事をする。新入りの私はとくに気を遣って、一番に雑巾がけを始めるようにした。
練習試合でも他流試合でも、最初のうちは全く勝てなかった。大勢の見ている前で、自分より小さい子たちにあっけなくやられてしまう姿は、惨めそのもの。悔しくて涙がこぼれそうになったが、泣いているところを誰かに見られて、これ以上恥をかくのは嫌だ。汗を拭うふりをしながら、隠れて涙を拭いていた。
腕の力が弱い私にとっては、剣を正しく振るのさえひと苦労。夜、皆が寝静まったあと、こっそりと裏庭に出て、素振りや腕立て伏せをするのが日課となっていた。
このままずっと成果が出なかったら…。と、何度も不安になった。最初の1〜2年は、まるで水中で息を止めるように、苦悩と我慢の毎日だった。
コメント
3件
ありがとうございます。今は努力の時期ではありますが、苦しいときこそ伸びているときだと信じて、今後とも精進してまいります。よろしくお願い致します。
ついに師匠の元で稽古が始まりましたか…今になればあぁこんなこともあったなと思えますが、確かに中々大変ですよね、…それでも努力する早百合様、なんと健気な(´;Д;`)そして兄さんとの再会ですね… あぁここから先が待ちどうしい あ、でも無理なさらず(((