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綾奈はハンカチで目元を拭きながら、槙野にずいっと近寄る。
「そんな! 婚約なんて聞いていません」
──まるで約束でもしていたかのような展開はやめてくれ!
美冬は感情のない目で槙野を見ていた。
「ちょっと待ってください。綾奈さんとは何のお約束もしていませんよね?」
槙野は綾奈を突き放したかったが周りの目もある。
そんなことはできない。
だから極優しくそう言ったのだ。
むしろ! お前から離れたかったと言っても過言ではないんだ!
「けど、私はお慕いしておりました」
認めてくれたのは良かったけれど、いじいじとのの字を書いている様子がなんとも言えない。
槙野は髪をかきあげて一瞬、軽く息をついたあと、隣にいた美冬を抱き寄せた。
「こちらの椿美冬さんが俺の婚約者なんだ」
美冬が槙野の方を見て口を開きかけたけれど、槙野は今伝えなければいけないことを伝えようと思う。
「アプローチしてやっと了解をもらった大事な人なんです。美冬はびっくり箱みたいな人で、本当は俺のことは最初は怖かったはずで、けど頑張り屋で会社のことや従業員のこともしっかり考えていて慕われていて、可愛くてとにかく本当に大事で好きなんだ!」
一気に言い切った槙野がふと見た美冬が真っ赤な顔をしていて、しかも照れていてとても可愛い。
そして槙野は気づいた。
綾奈が大騒ぎをするので、何となく会場の注目を集めていたのだけれど、槙野がそんなことを言うから会場からは拍手や口笛まで聞こえる大騒ぎになってしまっていたのだ。
こ、こんな風に告白するつもりじゃなかったのに!
ガーデンでいい雰囲気の中、指輪を渡すつもりだったのに……!
もう本当に思い通りにいかない!
美冬はまだ赤い顔で、槙野のことを上目遣いでじっと見る。
「だって、落ち着かないとか言うし……」
「それは落ち着かないだろう。可愛すぎるんだお前は。好きな人の前で落ち着いていられるやつなんかいるかよ」
「え? 落ち着かないってそういう意味?」
あちこちからヒューヒュー囃し立てる声やら、指笛の音やら聞こえる。
もう槙野は腹を決めた。
「俺が結婚したいと思うのは美冬だけだ。大事にする。嫁に来てくれ」
その場に片膝をついて、槙野は今日一日ポケットに入れていたケースに入った指輪を差し出した。
今更、美冬は嫌とかダメとか言わないと思うのだが、それでも槙野の胸の鼓動は大きくなり今までにないくらい緊張した。
美冬は涙が浮かんでしまったのか、指できゅっと目元を拭う仕草して、その後思いきりの笑顔になったのが見えた。
──くそっ、可愛い。なんで、泣くんだよ。
槙野はもらい泣きしそうだ。
けれど、美冬の見ている方まで幸せな気持ちになりそうな笑顔を見て、絶対にこの笑顔を忘れることはないだろうと槙野は確信した。
そんな笑顔にすることが出来たのが自分だったのだと思うと、誇らしい気持ちになったからだ。
「うん。私も好き。私も大事にするね。お嫁さんにして」
美冬は指輪を手に取って、槙野に渡す。
槙野はそれを受け取った。
「もう、逃がさないからな」
「逃げないよ」
指輪を美冬の左手薬指に付ける。
会場は今日イチの盛り上がりを見せた。
ちなみにこの時の写真を手持ちのスマートフォンで撮ったのは一人二人ではなくて、それをSNSにタグ付きで上げたのも、一人二人ではなかった。
そのビルはプロポーズが成功するビルとして話題になるのは後日のことである。
取引先も話題になることで非常に喜んだことも後日の話だ。
そして今はレセプションパーティ会場である。
「素敵! 素敵だわ!」
綾奈も涙を流しながら感動していた。
ちょっと涙もろいのかもしれないが悪気はない人物なのも間違いはなかった。
「本当。あの槙野さんがねー。年貢の納め方も派手だなあ」
国東が感心したような声を上げる。
その声に気付いて綾奈が顔を上げ国東を見た。
「あなたは?」
綾奈が尋ねる。
「僕は株式会社ソイエの代表をしています、国東と言います」
「あら、繊維の会社でなくて?」
「ああ、そうです。よくご存知ですね」
「私の母はエス・ケイ・アールという会社の代表なんです」
「ケイエムさんか!」
さすがに繊維の専門商社を経営しているだけのことはあって、国内のアパレルブランドのことには国東は詳しいのだった。
それを見た槙野が声をかける。
「綾奈さん、そいつも独身ですよ」
「お祖父さんに私を紹介してほしいと言ったくらいだから、フリーかもしれないわね」
美冬は悪気なく付け加える。
「え?」
綾奈の瞳がキラキラと国東の方を見ていた。
国東はゾッとしたような顔になる。
「色々詳しいお話を聞かせてくださる?」
国東は大福に……いや、綾奈に拉致された。
悲鳴が尾を引いている。
「成仏しろ国東」
槙野はその姿にそっと両手を合わせた。
「死んではないでしょ」
美冬は国東の姿を見守りながら、さらりと槙野に言う。
会場はもう演し物は終わりか、とばかりに落ち着いた雰囲気を取り戻していた。
片倉が笑って槙野と美冬に近寄ってくる。
「派手だな、槙野」
「こんなつもりじゃなかったのに」