テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「存在証明」
🟦🏺×2
1
青井がつぼ浦と同棲してはや数ヶ月。
窓辺から朝日がレースのように部屋に優しく差し込む。今日もアラームより早く目が覚めた青井は、右で眠る愛しい体温を見て微笑む。
つぼ浦はサングラスがないと少年のような顔だ。あどけないその寝顔があまりにも可愛くて毎度のことながら見惚れてしまう。
昨日はだいぶ疲れていて、それでもとつぼ浦がせがむので一回だけ抱いて後片付けも早々に二人してそのまま寝てしまった。ゴムしてたから大丈夫かな、先に風呂入ってもらわなきゃな、と考えているとつぼ浦の目がふにゃっと開いた。
「ン……」
「おはよ、今日もかわいいね」
まだぼんやりしている琥珀色の目に微笑みかける。次第に意識がはっきりして表情を緩めるまでのこの時間が青井は大好きだった。
気が急いて、おはようを言わせる前に頬に手を伸ばしておはようのキスをしようとする。つぼ浦もそれに気づいて身を寄せた。
口づけしようとした瞬間、後ろから腰に手が回された。
「えッ?!な、なに?!」
二人しかいるはずがないのに身体に触れる手の気配に、青井は叫んで飛び起きる。そういえばやけにベッドが狭いし誰かがいるはずのない場所の毛布が膨らんでいる。
その毛布の塊がもぞりと動く。
「んぁ…おはよ」
眠そうに目を擦って起き上がったのはつぼ浦だった。
2人目の。
「は?は??な、な、なに?!」
右と左にいる寝起きのつぼ浦を交互に見て青井はパニックになる。特徴的な髪型にタトゥーに、どう見てもどちらもつぼ浦だ。
「あ?どうした?」
「は?なんだテメェ」
夢か悪夢かと自問自答している間に、青井を挟んで2人のつぼ浦がお互いの存在を認識する。裸眼なので元々あまりよろしくない目つきを更にしかめて顔を見合う。
一瞬の間ののち、右手を振りかぶり殴りつける。それを左手で防ぐ。どちらも同じ動きをして掴み合いになる。
「……テメェ、何だ?」
「オメェこそ何だよ、アオセンに触ってんじゃねぇよ」
「なんだぁ?最近の鏡は動くのか?」
「まだ寝ぼけてんのかと思ったけど違うみたいだなぁ?」
ギリギリと拳を掴み合い、そして同時に振り払う。殴ろうとした手が滑って青井の額をかすめる。
「待ってなんだこれマジで、やめてどっか別でやって!」
青井が怒鳴った瞬間アラームがけたたましく鳴る。スマホを手に取ろうにも2人のつぼ浦が取っ組み合いをしていて手が伸ばせない。
「あーもう、うるさい!!」
イライラが頂点に達し、青井は二人を両手で殴り飛ばした。
*
先に急いでシャワーを浴び、身支度を整えて青井は愛車の運転席に腰掛けていた。
「……なんだこれ、本当になんだこれ」
ため息しか出ない。寝起きの騒動を鉄拳制裁で黙らせた後、慌てて市に連絡したところ「後で説明するけど、歪み」の一言で納得させられた。
つまりどちらもつぼ浦匠なのである。一人でもお祭り騒ぎな男が二人も同じ屋根の下にいる。祭りを通り越してサーカスのような騒ぎが青井の胃を痛ませる。
少なくとも誰かの巧妙な変装、まして幽霊のたぐいではないことだけは幸いだった。恋人同士の寝床に入ってくる知らない誰かのほうがよほど怖い。
青井は目の前の騒動に頭を抱える。
先ほどは歯ブラシが一本しかないので揉め、その前はお気に入りのマグカップを先に使われたので揉め、そして今はどちらが車の助手席に乗るかで長いこと揉めている。残念ながら青井の車は2シーターだ。
服が365着なければおそらく何を着るかであと10分は喧嘩していたことだろう。路上で大騒ぎする同じ格好の男二人を、通りかかる心無きだけが適当に罵倒して去っていく。
「歯ブラシだけは無理だ、気持ち悪ィ」
「こっちの台詞だからな、覚えておけよ」
「俺の世界では俺だけが俺なんだよ」
「自己同一性を保持させてんのが歯ブラシとは笑えるじゃねぇか」
「お前ら仲いいなー」
まったくの皮肉が出た。鬼面を膝に乗せ、いつになったら不毛な言い争いが終るのか眺めている青井のことを二人は同時に指差す。
「アオセン、帰りに歯ブラシ買いに行きましょう!」
「あとコップもな!」
「帰りまでには直ってて、本当に頼むから。で?どうするの?」
一向に決着のつかない助手席争いについて示唆すると、二人はお互いを睨んで構えをとる。ジリジリと間合いを詰め、一瞬の隙をついてつぼ浦がつぼ浦をキャリーした。そのまま強引に車に乗り込む。
「よっしゃ勝ちィ!!ザマァみやがれ!」
「うわぁあああ降ろせ!!チクショウ、やるな俺!!」
「なんでもいいから早く座って…」
狭い車内で長い手足をバタバタさせるつぼ浦に何回か蹴られながら青井は強くアクセルを踏んだ。
2
「何言ってるかわからないと思うけど、ロード時に参照するデータの時間を間違えて、以前の身体も二重にロードされちゃったんだな。今までの記憶もコピーされて入ったみたいだね。体調とかステータスにほとんど誤差がないから、間違ってロードされた身体は直近のデータだとは思う。まあこちらで修正して不正なデータの統合作業するから、ちょっとまってね」
という流れるような説明を一方的にすると、この世界の神、市長山下ひろしの姿は本署の休憩所から消えた。
消えたあとの空間にギャーギャー暴言を吐くつぼ浦×2の後ろで青井は安堵の息を吐く。
ひとまずなんとか直るらしい。つぼ浦のことは大好きで、視界に可愛いものが二人も収まっているのは青井にとっては眼福と言えなくもない。だが危険物取扱にもほどがある。何度目かの胃の痛みを感じる。
「仕方ねぇ、このままっつーなら出勤はしとくか」
「給料は貰っとかねぇとな、二人分」
『『特殊刑事課つぼ浦匠、On duty!!』』
ほぼ同時、無線に高らかに挨拶する。少しの間のあと、『なんか今二人聞こえなかった?』などという困惑した声がチラホラと聞こえる。
『あー、色々あってつぼ浦分裂しました〜』
ほとんどの説明を省いて青井は力の抜けた声を無線に流した。無線ではつぼ浦ならまぁそういうこともあるか、といった会話が成されており、つぼ浦が積み上げてきた普段の信頼がうかがえる。
「おい、直っちまうんならその前にできることやらねえとな」
「奇遇だな、俺もそう思ってたところだぜ」
「チクショウ、アリバイ工作がやり放題だ」
「やられたな、ファーミングも2倍効率じゃねえか!」
当の本人たちは目をキラキラさせながらコソコソと話し合っている。恋人を巡っては醜い争いを繰り広げるが、それ以外では実に息が合う。というより本人×2である。2倍の頭の回転と2倍の口の上手さで、また馬ウアーから5000万円騙し取る作戦を立てている。
この二人なら天使と悪魔どころか悪魔と悪魔だ。程々のところで割って入ろうかと青井が考えていると、廊下の奥から人影が走ってきた。
「おい、どうせまた成瀬くんの変装……じゃないだと?!」
騒動を聞きつけてやってきたキャップが悲鳴を上げる。色の濃いグラサン越しでもわかるほど目を点にしている。不自然に自分の後ろを指さされ、青井は初めて後ろに成瀬が立っていることに気づいた。
「やばいな」
「やばいだろ」
ペンギンと鬼は短い言葉で現状のヤバさを共感しあう。
標的がキャップに移り、二人はいいヤツにふさわしい身長でキャップを囲む。青井からするとつぼ浦はよく吠えるかわいい犬っころだが、冷静に観察すると刈り上げた髪にサングラス、さらに各所にタトゥーがバチバチにキマっている。二人並ぶと首輪のついた犬とはいえ威圧感がすごい。
「キャップ、犯人を三人撲殺したらランクアップって約束じゃないですかァ」
「そ、そうだな。じゃあつぼつぼ二人分で…」
「いま二人分っていいましたか?」
「もしかして足し算してませんか?」
大声で恫喝、もとい嘆願している。しばらくなんらかの水掛け論をした後に「そんなに言うなら見せてやりますよォ!」と吠えて二人同時にバットを持ち出した。あとはもう蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
「うつぼ浦で参戦してやろうかな」
「なんでだよ」
成瀬が突拍子もないことを言い出す。成瀬の変装は上手い。青井は鬼面の下で死んだ魚の目になる。
「混沌に混沌をぶち込んだら有耶無耶にならないか?」
「台風に台風ぶつけても消えないだろ」
「しけてんなぁ、こんな面白いことないぞ?!」
「俺の胃も2つになるならいいよ。普段使い用と、痛める用で」
「そこは3つ目も用意しろよ、うつぼ浦用で」
「牛かよ」
大変なのは直属の上司のキャップも一緒だ。一人を追いかけている間にもう一人に後ろから殴られてる。ギニャァァという尻尾を踏まれたドラ猫みたいな悲鳴が階段の吹き抜けに反響する。
「わかった、じゃあ俺もらだおやるわ、前の変装登録してあるし」
「だから、なんでだよ!」
「つぼ浦さんなら騙されるって」
「騙したところでなにが得られるんだよ」
とにかくつぼ浦で遊びたくてウズウズしている成瀬を青井は白い目で見る。
祖父母が勝手に孫におやつをあげるのを見ているようなものだ。保護者ではなく無責任な第三者であれば青井も笑って見ていたことだろう。だが対応課という肩書と、隠してはいるけど仮にも恋人、という自負が笑顔ではなく歯ぎしりをさせる。
そうこうしているうちに通知音が鳴る。警官が倒れている、特殊刑事課キャップ。
お前らふざけんなよ!と罵る悲しい亡骸の横で「キャップー!!大丈夫ですかー!!」と犯人がいつもの調子で泣き叫んでいる。いつもと違うのはその声に被って「チクショウ、誰にやられたんですかー!」という全く同じ声が聞こえることだ。
心にもない合唱が廊下に響く。二人のつぼ浦は見た目は全く同じだった。だが青井だけはどちらが本物、もといずっと一緒にいたほうなのかうっすら気づいていた。
片方のつぼ浦だけに、鎖骨の上、シャツの襟からぎりぎり見える辺り。キスマークがあった。まだ色のあるそれはきっと昨日泥のように溶けながらした行為の最中につけた痕だ。
「お前、いい加減にしろよ」
青井は印のある方のつぼ浦の後ろに立って手錠をかける。
この推測があっているかはわからないが、それでも今朝までずっと共にいたであろうほうになんとなく愛着を感じてしまう。
「あっち!あっちの俺も捕まえてくれよ!」
青井に後ろ手に腕を掴まれ、つぼ浦は指をさす代わりに足をバタバタさせる。
「お前が本体だろ」
「そうなのか?!」
「なんで分かるんだ?!」
「えーっと、まあ、なんとなく?」
二人同時に問われるが、まさか理由を説明できないので青井はモゴモゴと口ごもる。
しかしつぼ浦たちはお互いを怪訝な顔で見て、それから青井に訴えた。
「悪いなアオセン、俺たちはどっちも本物だぜ」
「テセウスの船ってあるじゃないですか」
「ちょっとわかんない」
また変なこと言い出したな、という目で見られていることに気づき、つぼ浦たちは唸って言葉を探す。
「アー、例えば「今日」と「一ヶ月前」みたいな時間軸で俺を切り出すと、細胞レベルのミクロな単位で見たらほとんど別人だろ?」
「なんなら一秒前だって別人だからな。万物は流転するってヤツだ」
「でもここにいる個人としての俺の自我は一貫してる」
「それは記憶が連続してるからなんだぜ。身体が少しばかり違ったとしてもな」
「そういうことだぜ。だから俺らにどちらが本物もクソもないってことだ……ああ、頭痛くなってきたな」
「奇遇だな、俺も頭が痛いぜ」
つぼ浦たちは顔色一つ変えずに小難しいことを言い終わる。しかし難しい話ができるのに難しい話をすると頭痛に苦しむ難儀な体質により、二人とも頭を抱えて唸っている。
「よくわかんないけど、どっちも本物ってことなのね」
小難しい話が耳に入った気がしたが脳には届かずUターンしてそのまま出ていく。説明冥利に尽きない青井の簡素な相槌に対して、つぼ浦は2人同時に「そういうことだぜ」と言った。
にわかに銀行強盗の通知が入る。二人とも目を輝かせて青井を見る。
「よっしゃ行ってくるぜアオセン!」
「小遣い稼……ちげぇ、街の平和は任せてくれ!」
青井がなにか言う前につぼ浦は掴んでいた手を振り払う。
「オイ手錠外してくれ、つぼ浦!」
「仕方ねぇな、行くぞつぼ浦!」
青井が外すまでもなくもう片方のつぼ浦に外してもらい、キャップのために救急隊を呼んだ成瀬にぶつかりながら二人は階段を駆け下りていった。
二階の窓から眺めていると、しばらくしてからライオットが2台イノシシのように出ていった。嵐のように轢き殺されるであろう銀行強盗犯の安否を思い、青井はため息をついた。
3
午後になっても市から連絡はなく、つぼ浦たちは二倍の馬力で犯罪行為を取り締まり続けた。
途中、得意の話術で救急隊から罰金を二重請求したり、無駄な抵抗をしたギャングにロケランを二発打ち込んでそのたびに青井が頭を下げて場を収めた。
本命の馬ウアーから再度5000万円騙し取る、もといいただく作戦は身の危険を感じた馬ウアーが完全に気配を消したことにより残念ながら順延となった。
どの瞬間においてもつぼ浦は楽しそうだった。距離を取って手綱を握っていた青井も、とにかく恋人が楽しそうなので内心は笑顔だった。寄せられる二倍の苦情を見なかったことにすればつぼ浦はたいへんつぼ浦らしく、活発にはしゃぎまわる姿は可愛かった。
日が傾き始めてもまだ市から連絡はない。青井が大型犯罪の対応を終えて屋上にヘリを下ろすと、居残りしていたつぼ浦たちが駆け寄ってきた。
「いい子にしてた?」
一直線に駆け寄ってくるさまはやはり犬のようだった。素直に寄ってくる姿は素直に可愛らしい。
「コイツ、ガンライセンスの登録を押し付けてきやがった!」
「先に逃げたのはオメェだろうが!」
「それくらいやれよ、分裂してなくても普段からやれよ」
面白くない事務作業を押し付けられたほうがキスマークのあるつぼ浦なことをちらりと確認し、青井は苦笑する。同じ存在だ、ということはわかっていてもどうしても愛着が傾く。
「その、頑張ったんすよ?俺」
「ちゃんと犯人も逮捕したんだぜ?だから…」
つぼ浦たちは急に言い淀む。目を合わせず、少し照れた顔を見て青井も察する。
「はいはい、お疲れ様」
両手を広げる。二人同時に目を輝かせて腕に飛び込んできた。腕が回らないので二人の肩をポンポンと叩く。
頑張ったあとのつぼ浦はこうやって甘えてくることがある。両肩にそれぞれ顔を埋めて大人しく撫でられている様子は、やっぱり尻尾を振る大きめの犬のようだ。
「はぁ、元気出たぜ」
「疲れてんのはアオセンの方だろ」
「はは、どうしてだろうねー」
自分のことを棚にあげまくり、心底不思議そうに身を案ずる台詞に乾いた声が出た。
「あ、あのさ、アオセン」
体を離してもなお、頬を赤く染めながらつぼ浦がモゴモゴと言い出した。
「ん、どしたの?」
「このまま、夜になっても直らなかったら、そ、その」
青井は言わんとしていることを察し、スウッ…と息を呑んだ。それは少し、とても気になっていた。
二人相手にするのは流石に…てかその前に喧嘩しそうだしなぁ…と思っていた矢先、突然火蓋が切られる。
「ァア?!テメェ、アオセンは渡さねぇぞ!」
印のある方のつぼ浦が青井の右腕をガッと掴む。
「て、テメェ俺のくせに思いやりとか譲り合いとかねぇのか?!」
もう片方が左腕にしっかり抱きつく。
「あるぜ、俺並みにあるから譲らねぇんだろうが」
「俺に勝てると思ってんのか?俺の分際で!」
「オウ、俺ともなりゃあ俺を論破することくらい容易いぜ」
「その割に威勢ばっかだな、自分に負けるのが怖いか?」
「黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって、テメェ」
「黙ってねぇだろうが!」
「お前ら三次元で自問自答するなよ、器用かよ」
青井は自分の身体を挟んで勝手に発生したキャットファイトを、揉まれながら観戦する。
争いは同レベルのものの間でしか起こらないとすれば、これは全くの同レベルである。自己の葛藤、自分自身との戦いとも言えなくもない。
青井は以前見た鏡といがみ合うインコの動画を思い出した。鏡像と同時に罵倒しあうインコは微笑ましかったが、ここにいるインコは巨大な上に声がデカくて別々の動きをする。
埒の明かなさを察知し、つぼ浦たちは睨み合う。二人同時に引っ張る腕に力を込めた。
「取れるもんなら取ってみろってんだ!」
「いいぜ、離したほうが負けだからな」
「待って待って俺が痛いって言っても絶対離さないだろ?!」
青井の脳裏を時代劇にあったような展開がよぎる。我が子が泣くのを見ていられずに手を離した母親と違い、腕を掴んでいるのは嫉妬に燃えるつぼ浦×2だ。
「当たり前だろ、そんなんじゃ逃がさねぇぜ」
「泣いたら逃げられるなら警察はいらねぇぜ」
目は本気だ。あ、これはガチでダウンするまで離れないし、ここでダウンしたらまずい、と、目の前に迫る嫌な感じの死を悟って対して青井は口を開く。
「離してくれた方に1億あげる。今日何番?」
「「112番!!」」
急に手が離され、三人とも勢いよくその場にすっ転んだ。
「IDも一緒なのかよ」
鬼のヘルメットがなければ強かに打っていた頭を押さえ、青井は立ち上がる。
二人のつぼ浦はお互いを睨みつけたのち、立ち上がってバットを構えた。
「「チクショウ、埒が明かねぇな!!」」
戦闘開始のゴングだ。上から叩きつける一撃をスライディングでかわし、背後から一発食らわそうとする。しかし完全に読まれたその攻撃をローリングで回避して、立ち上がるやいなやバットで横に薙ぐ。金属同士がぶつかり合い、派手な音が鳴る。
「あ~、俺を巡って争わないで〜!……こんな台詞人生で言うことがあるなんて」
青井が割って入ろうにもバットの先端が鋭く空を切る音が鼻先をかすめる。
お互いのやり口は誰よりも熟知している。一進一退の攻防が続き、ついにバットが頭を、蹴りがみぞおちを捕らえた。
警官が倒れている、特殊刑事課つぼ浦。通知が立て続けに出た。
「ちょっと、大丈夫?」
膝をついて助け起こそうとすると、ダウンしたまま這いずって印のある方が上半身、ない方が下半身に抱きついて離さない。
「俺のだ!」
「違う、俺のだ!」
わめきながらぎゅっと抱きしめられ、青井はついつい口が緩んでしまう。
「どっち見ても可愛いのがいる……」
自分に必死になる姿が可愛くないと言えば嘘にしかならない。二人分の熱にくっつかれるのはまったくもって悪くない。
ここが本署の屋上でなければ今すぐ何をしていたかわからない。幸せだけどなんとかしないとな、怒ったほうがいいかな、と青井がのぼせる頭で思っていたところ、後ろで咳払いする音が聞こえた。
気まずそうな馬ウアーが立っていた。
4
せっかく会えたのに金を騙し取る雰囲気でもなく、つぼ浦たちは救急隊に起こしてもらってから大人しく馬ウアーについて行った。
署長室にはいつ見てもふてぶてしい風体の市長がいた。
「まあ、なんていうか、楽しそうだったね?」
今日一日の所業についての遠回しな嫌味だった。
「そっすね、ボーナスもらってもいいくらいの活躍だったぜ」
「特殊刑事課のエリートが二人になるなんて、犯罪者も運がないぜ」
「つぼつぼたちのおかげで沢山犯罪者が捕まったぞ~、……沢山な、いや、本当に」
馬ウアーの言葉は歯に物が挟まったようで、煮えきらない。目の下のクマが、裏でどれだけ苦労したのかを語っている。
「もしかして任意の人を分裂できる機能があったら便利か…?いや、サーバー負荷がまずいか」
市長は小声でなにかブツブツ言っていたが、自分が注目されていることに気づいて咳払いをする。
「補佐たちも頑張ってくれたし、もうこのあとには直るよ」
「本当ですか」
「何分後ですか」
「うーん、頃合いを見て直すよ」
頃合い、というふわふわした表現に違和感を覚えるが、「てことは署長からぼったくる時間はあるか?!」とつぼ浦たちは同時に思う。殺気を感じて馬ウアーは二人から目をそらす。
剣呑な空気が流れる。市長は一つ息を吐くと、その感情を悟らせない目で二人を見た。
「で、どちらが不正な方なのか、って話なんだけど」
*
署長に呼ばれたつぼ浦たちが帰ってくるのを青井は本署の駐車場で待っていた。あたりはとっくに暗くなっていて、チルタイムとばかりに買い物に行く署員の姿もあった。
それにしてもだいぶ時間が過ぎた。あの元気の塊が二人分、大人しく出てくるわけがない。今日の惨事についてお説教でもされてるのかな、と思いつつ、ふと目をやると植え込みの向こう、本署の裏口を歩くつぼ浦が見えた。
「どうだった?」
植え込みを乗り越えて背中に声を掛ける。つぼ浦は一人しかいなかった。もしかしてもう統合作業が終わったのか?と青井が考えていると、つぼ浦はゆっくり振り向いた。
「あ、アオセン……」
「どうしたの、叱られた?」
目に見えて元気がなく、つぼ浦の態度はどうにも歯切れが悪い。何か言おうとして何度か口を開け、どうにか言葉を探し出してやっと青井を見た。
「俺が不正なデータ?らしい。もうすぐ消えるっぽい」
「えっ」
そう言ったつぼ浦の鎖骨にはだいぶ薄れたキスマークがあった。
青井は焦る。たいてい熱に任せて好きなように愛し合うだけだが、昨日は疲労もあって何をしたのかだいぶ曖昧だった。本当に痕をつけたか、と言われればいつものことだからどうせという気もするし、昨日に限って実は、という気もする。
個体識別はできていたのに、それが今までずっと一緒だったつぼ浦ではなかった、ということが心を少しささくれ立たせる。勝手に重さをつけてしまったことが恥ずかしかった。
「でも、同じなんじゃないの?」
「同じだったぜ!でも今朝起きたときからあっちの俺と俺は別の人生を歩んじまって……それでもう、俺は消える」
つぼ浦はがっくりと俯いた。
「そっか、同じだからこそか…」
青井もようやく何がつぼ浦を苦しめているのかを理解した。どちらかが偽物で、偽物が消えるなら割り切れたかもしれないが、どちらも本物なのだ。
「あっちも俺だし、なんか記憶は引き継がれるって言われたけどな、でも俺は俺で、アオセンは俺だけのモンで」
今までの記憶が同一でも、自我が分岐したつぼ浦は別々の人間だった。そしてこれからも当然のように連続していくはずだった意識はここで強引に閉ざされる。
客観的に見れば単なるダブったデータの統合。消される側からすればそれは事実上の死だ。
「……自分を憎む日が来ると思わなかった」
つぼ浦は青井の手を取り、ぎゅっと握りしめた。その手は震えていて、このあと消えることなど信じられないほどに温かかった。
「つぼ浦…」
「消えたくねぇ…消えたくねぇよ」
青井は鬼の面を脱ぐと、心細そうに鼻を鳴らす頭を引き寄せた。ぎゅっと抱きしめればいつもの匂いと熱が伝わる。間違いなくここにいることを伝えるように、青井は腕に力を込める。
「なぁ、なんか…くれよ、俺だけのものを」
顔を上げたつぼ浦の目には涙が浮かんでいた。
「俺の身体はアンタが愛してくれた過去のどこかの俺で、そこでもきっと幸せだった。でもその俺は今の俺じゃない、今消える俺は他のどの俺でもないんだ」
こらえきれず、涙がぽろりとこぼれ落ちた。
鎖骨の印はこのつぼ浦の身体が切り取られてきた時間軸でも二人が愛し合っていた証拠だった。
「……俺はお前がどっちのつぼ浦だったのか見てたよ」
青井は肩に顔を埋める。消えてしまいそうな痕の上に、もう一度口を当てる。
「ん…」
しっかりと、赤い印を残したことを確認して身体を起こす。
消えてしまう恋人にあげられるものを青井は探した。ポケットを探るとクッキーの小袋が見つかった。その袋を縛るリボンを解き、つぼ浦の大きな左手を取った。
「覚えてるよ、お前のこと。お前だけのこと」
骨ばった薬指に、きゅっとリボンを縛る。そうしてうやうやしくその指にキスを落とした。
簡素な、しかし紛れもない確かな愛を伝える仕草につぼ浦は耳まで真っ赤になる。腕の中で震えているのは消滅の恐怖のためではなかった。
青井はしっかりとつぼ浦を見る。胸に焼き付けるために、忘れさせないために、一言ずつ丁寧に言った。
「つぼ浦、好きだよ、大好きだよ。ずっと一緒だからね。これからも、ずっと」
「ありがとうアオセン」
幸せで満たされた顔で、つぼ浦は青井がしたように薬指に口を押し当てる。
「いつかも今も、アンタを好きでいてよかった」
背中を抱きしめる腕がふっ、と質量を無くす。青井の腕も空を掴む。
そうしてつぼ浦は消えた。形あるものは何一つ残さず、薬指にまいた愛の証とともに消滅した。
このつぼ浦に会うことはもう二度とない。愛する人の、ほんの少しだけ違った短い人生を思い、青井は深く目を閉じた。
5
夜風がさみしく道路を撫でる。正面玄関とは違い、本署の裏口は静かなものだった。
つぼ浦が消えてしまった場所で、青井は一人立ちつくしていた。胸に去来する様々な思いはどれも言葉にならない。この離別がかりそめのもので良かったという安堵は、あのつぼ浦を永遠に失ったという喪失と釣り合わない。
「アオセン、なんか直るらしいっすよ」
後ろから声がかけられ、青井は振り向く。すぐ後ろの植え込みからつぼ浦が素知らぬ顔で出てきた。
「……ああ、もう直ってるよ」
「本当ですか、それにし、ちゃ……」
青井に近づきながら、突然つぼ浦の目から涙が落ちた。徐々に記憶が重なり、一体化する。もう一人のつぼ浦の最期の感情を飲み込み、他人事でありながら自分のことのような入り交じる感覚が心を強く揺さぶる。
困惑しながら涙をこぼす身体を、青井は言葉にならない思いを込めて抱きしめた。
「……チクショウ、頃合いを見るってこういうことかよ」
「なにが?」
「なんでもないっす」
市長は別れの会話が終わるまで待ってくれたのだろう。ちゃんと伝えられてよかったという気持ちと、見られていた恥ずかしさが同時に襲う。
「もうこんな気持ちはこりごりだぜ」
「俺も、最悪な気分」
「俺だってアオセンを置いていくの生きた心地しなかったっすよ!」
「そっか、そうだね。……でもまた会えてよかったよ」
青井は腕をほどくとしみじみと微笑んだ。その顔を見て、つぼ浦も大げさなほどに胸が締め付けられる。実際には何も失っていないのに大きな喪失感があった。それが青井の笑顔でゆっくりと救われていく。
「俺、アオセンに甘えてるときあんな感じなんすね」
最期の時間は二人きりにしてやろう、と消えない方のつぼ浦は植え込みの陰で消えてしまう方のつぼ浦の一部始終を見ていた。
「あー、客観的に見るとどう?」
「恥ずかしくてキレそうだったぜ」
惚気を語る目の前に鏡を突きつけられたような羞恥でつぼ浦は顔を赤くする。
「…でも、すげぇ幸せだった」
左手を眼前にかざす。薬指には何もなかった。しかし確かに結ばれた愛が、まだその感触を残していた。
消えてしまったつぼ浦に渡した愛は、これからも生きるつぼ浦にちゃんと渡っていた。その事実をじっくりと味わい、青井はその手に左手を絡める。
「……今度指輪買いに行く?」
「は!?ご、ご、ご、誤解されちまう」
「誤解も何も、事実しかないだろ」
「じ、事実ったって」
「一緒に住んでいるし、一緒に出勤してるし、他にも色々。どう誤解できるんだよ」
正論で詰められてつぼ浦はダラダラ汗をかく。確かに二人の間には間違った方向に誤解するのが難しいほどに、愛し合っている事実しかない。
「……またお前が増えてもさ、指輪してたらわかるだろ」
ひとときの離別の痛みを思い、青井は苦しそうに笑った。
「どっちもしてたらどうするんすか」
「そしたらまた買ってあげるよ」
「俺の指を何だと思ってんだ」
「日本のコンビニのなんかの撮影のときジャラジャラ付けてたやん」
「あーあれっすか、確かにまぁそうっすけど…」
「欲しくないの?」
青井は思ったより真面目な顔をしていた。それを見てつぼ浦も察する。
「ほ、欲しいに決まってるだろ!」
「じゃあ決まり、買いに行こう、今行こう」
「今?!」
ぐいぐいと手を引っ張られ、つぼ浦は慌てて青井の後を追った。
その手は確かで、自分の手も確かなものだった。つぼ浦だけを認識し、もう間違えないという強い願望があった。
「……俺を俺たらしめるものが指輪ってのも悪くないっすね」
足早に追いかけながら、今はまだ空いている薬指につぼ浦は優しく口を押し当てた。
コメント
4件

読了後の気持ちが抑えきれず、コメント失礼しますm(_ _)m 最高の🟦🏺でした〜〜〜!!😭分裂した🏺がイキイキと暴れ回る様子が目に浮かぶようでした。掛け合いの描写が素晴らしく、文章を通してキャラクターが息づいていました。飛び回る2人の🏺を縛り付けたりせず、でも手綱はしっかり握っている対応課な🟦がめちゃくちゃ好きです!取り合われて困っていながら幸せそうなところニヤニヤが止まりませんでした!読んでる間ずっと幸せでした💕 消えてしまう🏺と🟦のところは切なくて切なくて…でも消える瞬間は絶対悲しくなかったって思って…心がウッてなりました(語彙力)素晴らしい作品をありがとうございます!長文で失礼しましたm(_ _)m


続きが気になります!