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⧉▣ FILE_016: 敗走 ▣⧉
朝食会場の隅で、テレビのニュースが流れていた。
ほとんどの子供たちは気にも留めず、皿の上のソーセージやバターを塗ったパンに夢中だったが、Aは違った。
フォークを握ったまま、止まっていた。
【……先日アメリカ・ペンシルベニア州にある国立放射線医学研究センターにおいて、研究員31名が相次いで死亡していたことが、関係当局により発表されました……。 なお、同センターにおける実験環境の一部に安全管理上の問題があったとされ──政府は本件を、《事故》として処理する方針を固めています──】
事故。
そう、事故──だと。
テレビのアナウンサーは、何の感情も込めずにそう言った。
視線の先に広がるのは、進行する“日常”だ。
子供たちの笑い声。カトラリーの音。スクランブルエッグの香り。そのすべてが、Aの中で浮いていた。
(軍事的関与は否定。因果関係は不明。責任の所在は曖昧──……結局、こうなるんだ)
──昨日の取引は、破綻した。
なぜなら──
『Lは自分の名前を、渡さなかった』。
あれだけ“駒に取る”と言っていたコイルの要求に、何ひとつ応じず、拒み、拒否を貫いた。
その結果が、これだ。
報道では“事故”。
政府は「放射線管理の不備」を強調し、誰かの名前を出すこともなく、ほんの数行の文面で31人の死を締めくくった。
誰も、真実を告げない。
誰も、責任を問わない。
(……Lは、それに対して……何も言わない)
あれほどの情報を奪われ、改ざんされ。ファイルも記録も盗まれて──それでも、Lは、抵抗しなかった。
(……結果として、“事故”になって、しかも、Lの事件ファイルまで盗られて……)
──Lの《完全敗北》じゃないか。
いや、敗北なんて生ぬるい。
逃げたわけじゃない。あえて踏み込まなかった──という体裁かもしれない。
けれど、その実態は。
敗走。
明確に、追い返された。
Lが「負けを認めた」とは、誰も言わないだろう。けれど──誰もが、そう思う。
抵抗しないのは、負けとほとんど同義だ。
──けれど、それでも、という思いが胸に残る。
あの時、Aは確かに交渉に成功した。
コイルから「協力」を引き出した。
“犯人探し”への参加を──
それは快挙だった。
Lでさえも、直接やり取りを避けた相手に、Aは真正面から向き合い、言葉で場を切り拓いた。が、結果的に事件は“事故”として処理され、真実は闇の中。
軍事的な混乱は回避されたが、表面的には、“最良の形”で収まったと、そう言えるかもしれない。
──でも、本当に、それでよかったのか?
「……」
Aは黙っていた。
何も言わず、何も食べず、ただ昨日のやり取りを反芻していた。
だからといって──Lの名前を渡せばよかったとは思わない。
でも、名前があれば救えたものが、確かにそこにはあった。
それを自分の手ではどうにもできなかったという現実が、Aの胸の奥で、重く沈んでいる。
「やあ、A」
不意にかけられた声に、Aは肩を揺らした。
いつの間にか目の前に立っていたのは、Bだった。
「……B」
名前を口にする声は、少し沈んでいた。
Bは椅子を引いて、Aの向かいに座る。卓上のテレビは、まだニュースを流していた。
「なあ、B」
Aは、そっとテレビを指さした。
「……この事件、どう思う?」
「どう?」
「うん……」
Bは、卓上のポットからコーヒーを注ぐと、角砂糖をいくつも摘み上げ、カップに放り込んだ。
──一つ、二つ、三つ、四つ。数えるのがばかばかしくなるくらい、山盛りに。スプーンでひと混ぜして、甘くなった液体を口に運ぶと、ようやくテレビの方へと目を向けた。
「……事故として処理されてるが、“殺人事件”だろう」
Aは目を瞬かせ、息を吸った。
Lと同じ答え。
──やはり、Bはそう言うのか。
「……なんで、そう思うの?」
Bは目を細める。
テレビには、研究施設の空撮映像が映っていた。
「放射線で免疫が“過剰に”働くなんて、変だ。普通は逆、免疫細胞が死ぬ。だから被曝したら感染症に弱くなる」
AはBの言葉を聞いて、思わず息を止めた。
──その一言が、まるで胸を貫いてきたような感覚だった。この朝の静けさのなかで、角砂糖を混ぜる手を止めもせず、昨日の騒ぎなど知らないように、平然と、鋭く、核心を言い当てた。
Aは言葉を失った。
Bは何も気づいていないように、カップの底を見つめている。そしてまた砂糖をひとつ、足した。
その動作を見ながら、Aは息を吐いた──
──その瞬間だった。
「……わっ!」
突然、目の前が真っ暗になった。
誰かに、両目を塞がれたのだ。
反射的に体がこわばるも、すぐに「いつもの」だと気づいて、Aは肩を竦めた。
どこかくすぐったいような、懐かしいような。こんな無防備な出迎え方をするのは、世界でただ一人──あの子しかいない。
「Question──」
耳元で囁くような声。
少し高く、リズムに乗せるように。
「好きなものは、最初に食べる?最後に食べる?」
手はまだ目を塞いだまま。
問いかけはまるで遊びの延長のように、少しの緊張と優しさを混ぜて続ける。
「Answerをどうぞ、A」
軽やかで、芝居がかった口調。
Aは思わず笑ってしまいそうになりながら、その問いかけに答えた。
「……最初に、食べるよ」
「どうして?」
問いは続く。今度は、すこしだけ距離を詰めるように。
耳元に落ちてくる声に、Aはひと呼吸置いて。
「ほしいものは、必ず手に入れたいから。──“君みたいに”」
その瞬間、目を塞いでいた手が、ふっと離れた。
淡い光が戻ってきた視界の先に、いたずらっぽく笑う──『Q』の顔があった。
けれど、その頬はどこか赤く──目は、ほんの少しだけ泳いでいた。
Aが何かを言いかけた、そのときだった。
「──なに朝からイチャついてんのよ」
ズドン、と重たい音がして、机が揺れた。
Cが、勢いよくBの横に腰を下ろしたのだ。
朝の空気に、ひときわ鋭い存在感が割り込んでくる。
「……C」
Aが戸惑ったように名前を呼ぶと、Cは不機嫌そうに皿を引き寄せながら答えた。
「まったく……朝から見せつけて。バカップル劇場かっての。目に悪いわ」
Bはめんどくさそうに肩をすくめた。
まるで「なんで隣に来るんだ」とでも言いたげに、カップを遠ざける。
「ねー? B? そう思わない?」
Cがぐいと身体を乗り出して、Bの顔を覗き込む。
口調は軽く、けれど明らかに八つ当たりの矛先がBに向いていた。
「見なければいいだろう」
Bの声は相変わらず無機質で、興味なさげだった。
「目に入るのよ!」
Cはむくれたように眉をひそめて、スプーンを乱暴に皿へと突き立てた。怒鳴るわけでもないのに、その存在だけで空気がざわつく。
「見たくないなら、目を閉じろ」
Bはそう言って、砂糖の溶け残ったコーヒーを口に運ぶ。一切視線を合わせる気がないらしく、Cの方を見ようともしない。
「何よっ!」
Cがぷりぷりと頬をふくらませながら、Bの肩をポカポカ叩き始めた。
力加減はほとんどなくて、まるで猫パンチ。けれど、Cの機嫌の悪さは空気で分かる程度には明確で──
「いた、いた、いた……」
Bは表情を変えずに淡々と反応したが、声にはしっかり“耐えてます”感がにじみ出ていた。
全く痛くなさそうなのに、「いたい」と言い続けるその調子がむしろ可笑しくて、Cはますます勢いを増して、ぺしぺしと八つ当たりを続けた。
そんな二人の戯れをよそに、AはQに目を向けた。
「……Q、おかえり。帰ってきてたんだね」
Qはぱちりと瞬きし、ふっと笑う。
「うん。ただいま、A」
その笑顔は、長旅の疲れもどこかに隠してしまうくらい明るかった。
「フランス、どうだった?」
Aが問いかけると、Qは右手をひらひらと振りながら、わざとらしく肩を落としてみせた。
「もう、大変よ〜〜」
そのままAの隣にすっと腰を下ろし、脚を組む。ふわっと香る、遠くの街の風。フランス帰りの彼女は、やはり空気まで違う。
「『L.O.H』、奪いに行ってたんでしょ?」
Aが小声で尋ねると、Qは人差し指を口元に立てて、いたずらっぽく目を細めた。
「しーっ、それは内緒」
──が、続けてすぐに、真顔に戻る。
「……でもね、結構危なかったわ。セキュリティ、想像以上。下手すりゃ二度と帰ってこれなかったわよ」
Qは水をひと口飲んでから、声を落とす。
「フランス領内とはいえ、あの区域は実質アメリカ軍の監視下。ドローンが三重に旋回してるし、進入ルートの大半は封鎖済み。地図上には存在しない“裏コード”の通路も、途中で潰されてた。誰かが、先に手を打ってたみたい。奪還なんて──とても出来なかったわよ」
「だよね……」
「……まあ、最初から出来るとも思ってなかったけど。実物を見るまでは“ただの衛星兵器”だと思ってたし。──Lがあれに手こずる理由も、なんとなく分かる気がするわ」
Aは、その言葉にうなずきながらも、内心、別のことを考えていた。
(……これが、“L”の密命)
Qがフランスに潜入していたのは、あくまでLの指示によるものだ。
非公開の命令。書面すら存在しない“口頭のコード”。
──Lはすでに、“軍事衛星の奪還”という域にまで踏み込んでいる。
(いつからだ……このハウスは)
元はただの“才能ある子どもたち”の集まりだったはずだ。それが、Lの影響により、犯罪を止めるため、真実を追うため──「探偵」として育てられた。
けれど今、Qは命を懸けて、フランスの軍事区画に潜入している。
(いくら……)
Aはスプーンを置いた。
(いくら、“L.O.Hの支柱に使われている金属が、ワイミーさんの発明品だったとしても”……それを理由に、僕たちが動く必要なんて、どこにもないのに)
あの金属は、確かにワイミーさんが開発したものだ。
28.7度以下で超伝導を起こす、“夢の合金”。
本来は、エネルギーの未来を変えるために生まれた技術だった。それが、巡り巡って──『月面に設置された殺戮兵器』──L.O.Hの中核になっている。
……でも、それは国家の責任であって、ワイミーズハウスの責任ではない。
Lの責任でも、Qの責任でもない。
(……本来なら、ああいうものを止めるのは、イギリス軍とか、ちゃんとした国家の機関がやるべきなんだ──なのに、なんで……僕らが)
Aは、ふとテーブルの向こうを見た。
──そこには、口のまわりにイチゴジャムをつけながら、パンを“手づかみ”で食べているBの姿。
「ちょっと! あんた、なんで手で食べるのよ!? 口元べったべたじゃない……!」
Cが呆れ顔で立ち上がり、ナプキンを片手にBの顔を拭き回す。
「んんー……」
口をもぐもぐさせたまま、Bはのんびりと答える。
抗うでもなく、なすがまま。
Aはそれを見ながら──内心(なにしてんだ)と思いつつも、そのやり取りが、少しだけ救いのようにも思えた。
Qは平然と水を飲みながら、何事もなかったように座っている。“何かを取り戻しに行った帰り”には見えない。
それでも──
(──おかしい。やっぱり、この家はおかしいんだ……)