⧉▣ FILE_017: 告白 ▣⧉
ハンプシャー州、ロムジー。
ウィンチェスターから電車で三十分ほど──
修道院の裏手、小路を折れた先に、その扉はあった。
──BAR『ナイトフォード』。
真鍮のプレートに刻まれた店名だけが、淡いランプに照らされている。看板らしい看板はない。知らなければ通り過ぎるし、知っていても躊躇う──そんな入口だった。
フランスから帰ってきたら、絶対に行こう。
そんな約束を彼女としたのは、いつだったか。
雑談の延長みたいな軽い口約束だったはずなのに──なぜか、僕はずっと覚えていた。
重い扉を押し開ける。軋みはしない。手入れが行き届いている証拠だ。
室内は暗い。けれど不快な暗さじゃない。
暖炉の火と間接照明だけで照らされた空間は、むしろ輪郭を曖昧にして、人の気配を柔らかく包み込んでいた。
個室へ案内される。
厚いカーテンと防音扉で区切られた、小さな部屋。
向かいに座るQ──彼女は少しだけ、肩が硬かった。
グラスに指を添えたまま、どう持てばいいのか分からないような手つき。視線も落ち着かず、室内を一度、二度と見回してから、ようやく椅子に背を預けた。
緊張しているのが分かる。
……意外だな、と思った。
こういう場所に慣れているのは、どちらかといえば彼女のほうだと思っていたから。
僕はグラスを指先で摘み、軽く揺らす。琥珀色の液体が、ゆっくりと円を描いた。
くるくると回しながら、氷の音を聞く。それだけで、思考が整っていく気がした。
向かいで、Qが小さく息を吐く。
「……………」
「緊張してる?」
「……す、少しだけ」
「お酒飲んでごらん。酔ったら少しは落ち着くよ」
「うん……」
「ここのお酒、美味しいね」
「そう、ね」
「……」
「……」
「もう顔が赤い、酔いが回ったかい?」
「ま、まだ平気……」
「そっか」
「……Aは、その、お酒強いよね」
「強いというか……あんまり酔わないんだ」
「体質?」
「んー……」
「?」
「まあ、昔から“やってたから”」
「あー、不良だ」
「やだな、やめてよ」
「いけない子」
「……みんなやってたよ」
「みんな?」
「17の時かな?──昔は男達でハウス抜け出してよく飲み歩いたなぁ……」
「……最悪」
「ヤンチャしたい時期があるのさ──“男にはね”」
「それ、言い訳になってない」
「ふふ……」
「バレなかったの?」
「バレるもんか。僕らをなんだと思ってるんだよ」
「はは、さすがはL候補ね。……私も誘ってほしかったな」
「女子はだめ」
「むう……」
「ところで──L.O.Hについて、教えてくれないか」
「……それぇ?」
「うん、知りたいんだ。教えてよ。現所有国はどこなんだ……?」
「……」
「……Q」
「なんで知りたいの? あなたには無関係じゃない」
「“無関係じゃない”から、聞きたいんだよ」
「……無関係じゃない?」
「ああ」
「どういうこと?」
「まあ……親がね、関わってたんだ」
「……ああ、亡くなった両親?」
「……亡くなってないよ。父は生きてる」
「あれ?そうだったっけ?」
「母は亡くなったけどね。父は今も生きてるよ」
「……お父様、生きてるの?」
「うん」
「えっ……じゃあ、なんで……ワイミーズハウス来たの?」
「“父が、僕を捨てたからさ”」
「……」
「連絡つかないし、どこにいるか知らないけどね……」
「だから、知りたいの?」
「ああ」
「……」
「……」
「……簡単に、喋れないのよ」
「だろうね。分かってるよ」
「……」
「Q……君にしか聞けないんだ」
「……」
「……お願い……」
「……絶対の、極秘よ? Lの密命で動いた案件なんだから」
「分かってる。言わないよ」
「……」
「……」
「……L.O.Hの所有国は──クリエラ共和国」
「──やっぱり、そこか」
「ええ」
「はあ……こりゃ面倒なことになったね」
「……あの国、あなたが思ってるよりずっと厄介よ」
「知ってるよ、数ヶ月前、L.O.Hを巡って、テロが起きたんだろ?」
「そう。イギリスのとある組織が──クリエラ共和国を攻撃したの」
「……それだけじゃない」
「ええ。昨年は、ロシアからも狙われた」
「……」
「そのたびに、クリエラ国内は荒れに荒れた。国は“L.O.Hを絶対に手放さない”って姿勢を貫いたけど、国民は違った。“あんな危険なものを持っているから狙われるんだ”って──L.O.Hの放棄を求めて、全国規模の抗議が起きたの」
「──それで、今内戦が起こってるのか」
「そう。軍も分裂、民兵も暴走、首都は戒厳令下よ。でも政府は……頑なに“L.O.Hは我が国の独立を守る象徴”だって言い張ったわ」
「象徴、ね……」
「でも──先月、ついにL.O.Hの“発射権”が外部の手に落ちたわ」
「外部?誰に?」
「言えるわけないでしょ。それを、調べに行ってたのよ」
「……わかったのか?」
「まあ、大凡は掴んだわよ」
「奪還は?」
「無理。……あれを奪還するには、専用の軍用可搬端末じゃないと操作できないの」
「そうか……」
「……だから──」
「……だから?」
「……ワイミーさんが作ってたって噂の金属、手に入らないかしら?」
「ば、馬鹿言うなよ。僕が、そんなの手に入れられるわけないだろ」
「身内でしょ?連絡取れないの?欲しいのよ、あの金属。どうしても」
「無理だよ。あれはもう、製造されてないし──危険すぎて、政府が“回収”してるよ」
「だから、その回収ルートが欲しいの。どこに保管されてるかさえ分かれば、持ち帰れる」
「……」
「……」
「……Q」
「……何?」
「命が欲しけりゃ──やめとけ」
「はあ……」
「……」
「……」
「それより、僕は──Lが怖いよ」
「L? どうして?」
「L.O.Hを奪還しようとしてるんだぞ。もしLが、あんな破壊兵器を手にしたら……どうなるか、想像できるか?」
「いいんじゃない?Lなら。私達の『味方』だし、安心して任せられるわよ」
「……──Lが僕らの味方なもんかよ」
「……味方じゃ、ないの?」
「全然違うよ……」
「……」
「LがL.O.Hを持つなんて──僕は絶対反対だね」
「でも、Lは……アメリカに預けると思うけど?」
「まさか。ワイミーさんが絡んでたら、それは絶対にないよ」
「……なんで?」
「ワイミーさんは、何としても──あのレーザーを奪還して、“破壊”したいはずだからね」
「でも……Lは──あの兵器、“手に入れたい”んじゃないの?」
「それが──怖いところなんだよ」
「なんでよ」
「Lは、L.O.Hを“使わない”だろうけど、他国に渡さないために所持し続けるだろう。そしてその時、管理を続ける後継者も必要になる。……それも含めて僕らの仕事だ」
「……」
「でも、ワイミーさんは絶対それを許さない。L.O.Hは何としても破壊したいはず──」
「……」
「──L.O.Hを“破壊したい”ワイミーさんと、L.O.Hを“所有したい”L──この二人は、必ず衝突する」
「……」
「その時、ただの言い争いじゃ済まない。思想の対立なんだ。もしぶつかれば、最悪──ワイミーズハウスそのものが、消えるかもしれない」
「……そんな」
「もしこのままLがL.O.Hを奪還して、Lが保持を主張したら……“L 対 ワイミーズハウス”という構図が生まれるかもしれない」
「……まさか」
「──僕らは、ワイミーズハウスで育った。ワイミーさんに、命をもらったようなもんだよ。そんな僕らが──L側につくことは、本来なら許されない。たとえどれだけLを信じていても、それは“反逆”になる」
「……」
「──Lはすでに、独立した存在になりつつある。自分だけで動ける。……育ての親と戦うことさえ、選ぶかもしれないんだ」
「ちょっと……考えすぎじゃない……?」
「そういう未来も、あり得るんだよ、Q。僕らのいるハウスはそういう所だ」
「……」
「だから──」
「だから?」
「……」
「……」
「僕と一緒に……ワイミーズハウスを出ないか?」
「──えっ!?」
「ワイミーズハウスに関わっていたら、命がいくつあっても足りないよ。このままだと、どこかで確実に“巻き込まれる”。僕はもう、普通の生活がしたいんだ」
「普通……の、生活……?」
「そう。誰にも監視されず、誰にも任務を押しつけられず、本当の名前で生きていく──“普通の人間”になりたいんだ」
「……」
「……」
「だから、今すぐじゃなくていい。お互い落ち着いたらでいい。ハウスを出て、二人で新しい家で暮らそう──」
「……」
「そう……。すべてが終わったら、
──僕と結婚して欲しい」
「…………なっ──!」
「……いいだろ? Q」
「な、な! な! 酔ってるの!? 何言ってるのよ急に……!」
「僕は酔いは回らないって言ったじゃないか。──シラフだよ」
「う、う、嘘よ……!」
「本当さ」
「……」
「僕は、君と家族になりたい」
「……っ」
「好きなんだよ、Q」
「な……なに、それ……今……こんな話の流れで言う……?」
「今だからだよ」
「……」
「世界がどうなるとか、Lがどう動くとか、そんなの全部──僕らの外側の話だ」
「……」
「でも、君とどう生きたいかは──僕の内側の話だ」
「……A……」
「何にも縛られない、君との──君と僕だけの、帰る場所が欲しいんだ」
「……」
「君と、同じ家で暮らして、同じテーブルで食事して、どうでもいい話して、笑って──そういう未来を、僕は選びたいし、君にも送りたい」
「……」
「だから改めて言うよ」
「……」
「全部が終わったら──僕と結婚してほしい」
長い長い沈黙が落ちた。
空気すら固まったように、Qはただ俯いたまま動かない。
──と思った次の瞬間、
「……きゅう……っ」
彼女の顔が、ぱあっと真っ赤に染まり、そのまま力が抜けたようにソファの背にもたれに項垂れた。
目をグルグルと回しており、ぐったりしている。
「……あれ? 酔っちゃった、かな」
Aはそっとグラスを置き、身を乗り出す。
項垂れたまま、ぐったりしているQの頬に、そっと指先を添えた。
「……顔が熱い。酔いと……それだけじゃなさそうだけど」
指先でそっと頬を撫でると、Qはびくりと震えた。それでも目は合わず、ただ潤んだ瞳を隠すように、まつげを伏せたまま。
そっと顔を寄せる。
震える肩ごと、優しく抱きしめて──Qの唇に、キスを落とした。
それは、熱を鎮める薬のようであり、同時に、心に火をつけるおまじないでもあった。
「……ねえ、Q。君が酔ってないときに、もう一度言うよ。それでもう一回、ちゃんと返事をちょうだい」
額をそっと合わせ、Aは小さく微笑んだ。
「約束だよ、Q」






