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魔界の月次財政監査期間――。
FORSAKEN本部、総務・財務統括オフィスには、異様な静寂が漂っていた。
それは平穏ではない。
「限界まで酷使された労働者の魂」が、ついに燃え尽きた後にだけ訪れる、“終末の静けさ”だった。
机の前に座るアズールは、ウィザードハットを深く被ったまま、一切動いていない。
開かれた300ページの『月次財政監査報告書』。
積み上がった未処理の事故報告書。
床に散らばる「緊急」の赤判子。
その中心で、彼だけが完全に停止していた。
「……私は、合理的な統治を試みていたはずです」
ぽつり、と。
感情を削ぎ落としきった声が落ちる。
その目は、いつもの“死んだ魚”どころではない。
もはや冷凍保存されている。
彼の前に積まれた報告書には、この数日間で発生した狂気の履歴が克明に記録されていた。
・ノスフェラトゥによる『主への興奮に伴う大量出血・ヨダレ飛散・厨房の業務妨害』
・厨房新人1eggsとジョンドゥによる『勤務時間中の不純密着』『フライパンによる顔面打撃』『深夜の試作による騒音』
・ホスフォラスによる『違法BL本持ち込みおよび職場風紀崩壊扇動』
・その他、「説明したくない」の一言で処理された案件多数
「右を見れば、主に叱責されて恍惚死しかけている大型犬」
「左を見れば、“愛の共同試作”と称して厨房で抱き合っている骨と生地」
「その後ろでは、トカゲが動画を撮って笑っている」
「……私は何を管理させられているんです?」
アズールは静かに万年筆を置いた。
カチリ。
その小さな音が、FORSAKENの統治体制崩壊の引き金となった。
「僕はもう知りません」
「勝手に予算を爆発させて、全員まとめて破産してください」
――FORSAKEN結成以来。
常に組織を支え続けてきた苦労人による、“史上初のストライキ(ボイコット)”だった。
その数時間後。
FORSAKEN本部は、驚くほどあっさり機能停止した。
給与処理停止。
食材搬入停止。
武器調達停止。
スペクター専用高級コーヒー豆の発注停止。
さらには厨房で、
「おい!! アズールの承認がねぇから最高級魔界バター倉庫が開かねぇぞ!!」
と1eggsがフライパンをガンガン叩いて絶叫し、
「アズール様がいないと、僕のミキサーの業務用メンテナンスオイルが注文できないよぉ……」
とジョンドゥが右腕のミキサーをシュン……と寂しげに回転させていた。
もはや組織ではない。
終末である。
その頃――。
本部最深部『暗黒植物園』。
巨大シダ植物の陰に、アズールは体育座りで隠れていた。
毒々しく発光する魔界植物の光が、疲弊しきった横顔をぼんやり照らしている。
「もう放っておいてください……」
「私は今日から、光合成で生きます……」
完全に社畜の最終形態だった。
だが、その静寂を破るように、
カツ、
カツ、
カツ――。
感情を一切感じさせない、完璧に整った足音が近づいてくる。
シダ植物の葉がそっと開き、
そこに立っていたのは、赤いシルクハットを被った男――スペクターだった。
赤いスーツ。
磨き抜かれた革靴。
皺ひとつない完璧な佇まい。
その顔には、相変わらず1ミリの情緒も浮かんでいない。
「……アズール」
「こんなところで何をしているのかね」
「……ボイコットです」
アズールは死んだ目のまま答えた。
「これ以上、狂犬のヨダレ掃除と、厨房カップルの接触事故処理で胃を破壊されるのは御免です」
「どうかこのまま、魔界シダの養分にしてください……」
組織No.2による悲痛な訴え。
しかしスペクターは眉ひとつ動かさない。
ただ静かに懐から、小さな箱を取り出した。
綺麗にラッピングされた、高級感あふれる小箱。
「アズール、戻りなさい」
「おやつに、人間界の最高級ショコラをあげるから」
「…………は?」
あまりにも場違いな単語だった。
“ショコラ”。
世界を恐怖に陥れる支配者の口から飛び出していい響きではない。
「君が淹れるコーヒーが無いと、朝が少々退屈でね」
「それに、君がいないとノスフェラトゥのヨダレを掃除する者がいない」
「廊下が不衛生で道徳的に不快だ」
真顔。
完璧な真顔。
なのに内容だけ妙に甘い。
「ほら、ヘーゼルナッツに、オレンジピールもある」
「食べて、報告書の続きを書きなさい」
それは命令の形をした、不器用すぎる労いだった。
アズールはしばらく沈黙し――やがて、植物園中の酸素を吸い尽くす勢いで深く溜め息を吐いた。
「……相変わらず、人使いが荒い主だ」
そう言いながらも、彼はちゃんと高級ショコラの箱を受け取る。
その瞬間。
死んでいた魚の目に、“労務管理者の光”が戻った。
「ああ、もう……分かりました、戻ります」
「ただし」
「ノスフェラトゥ様は給与三ヶ月分没収」
「厨房のあの二人は、“勤務時間中の接触半径2メートル以内禁止”です」
「構わないよ」
スペクターは即答した。
「好きに粛清しなさい」
こうして――。
FORSAKENに再び、“苛烈な正論”が帰還した。
その頃、食堂前の廊下では。
「スペクター様が直々にアズールをお迎えに……!? ああ、なんという慈悲!! 愛!! 救済!!」
ノスフェラトゥが床で悶えていた。
そして数分後。
帰還したアズールによって、
300ページの報告書の角が――
ゴンッッ!!!!!
という極めて重厚な音と共に、ノスフェラトゥの脳天へと完璧に叩き込まれるのだった。
#エリオット
あおあお
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