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そういえばここ一週間くらい投稿してなかったなって。
思い出したんで投稿します。
太宰って181cm67kg? え、・・・軽っ
吹き抜ける潮風には、常に鉄と硝煙の匂いが混じっていた。
横浜の港湾地区、その一角に位置する古びた倉庫の屋上は、彼らにとって数少ない「静寂」が許される場所だった。もっとも、その静寂はいつだって、どちらかの軽口か、あるいは重々しい溜息によって容易に塗り潰される類のものではあったが。
中原中也は、傍らに立つ相棒――太宰治の横顔を盗み見た。 夕闇が迫る空の下、太宰の纏う黒い外套が、風に煽られて大きく翻っている。包帯で覆われた右目と、剥き出しになった左目。その瞳は常に虚無を見つめているようでいて、同時にこの世の全てを見透かしているようでもあった。
「……おい、太宰」
「なんだい、中也。そんな熱っぽい視線を向けられると、私の美しい自殺愛好家としての美学が汚れちゃうじゃないか。気味が悪いなあ」
返ってきたのは、いつもの、どこまでも人を食ったような声だった。 普段ならここで「誰が熱っぽい視線だ、ぶち殺すぞ」と蹴りの一発でも入れるところだが、今日の中也は少しばかり調子が狂っていた。 大規模な組織抗争を終えた直後、アドレナリンが引ききっていない身体には、奇妙な高揚感と、それ以上に深い疲労が沈殿している。
ふ、と中也は無意識に手を伸ばした。 それは、ただの気まぐれだった。あるいは、隣に立つこの「得体の知れない塊」が、本当に実体を持ってここに存在しているのかを確かめたかっただけなのかもしれない。
中也は太宰の背後から、その細い肩を抱きすくめるようにして、腕を回した。
「……? 中也、ついに頭のネジが全部吹き飛んだのかい? それとも、私を絞め殺して心中でも企んでいるのかな。残念だけど、男と心中する趣味は——」
太宰の言葉が止まった。 中也の腕に、強い力がこもったからだ。
抱きしめた瞬間、中也の脳裏を駆け巡ったのは、戦慄に近い違和感だった。 腕の中に収まった感触が、あまりにも、あまりにも頼りなかった。
外套越しであっても分かる。太宰の身体には、驚くほど肉がついていなかった。 肩の骨は尖り、背中を這う脊椎の感触が、布地を隔ててなお生々しく伝わってくる。中也の腕が回る範囲に対して、太宰の体躯はあまりに薄く、華奢だった。
(……なんだ、これ)
中也は愕然とした。 自分よりも背が高く、いつも飄々と自分を翻弄し、ポートマフィアの最年少幹部候補として恐れられる男。その「中身」が、これほどまでに脆いものだとは思いもしなかった。
中也は無意識に、太宰の胸元に回した自分の腕を凝視した。 自分の手は、戦いの中で鍛え上げられ、重力操作という異能を抜きにしてもそれなりの質量と力を備えている。一方で、その腕に抱えられている太宰の胴体は、少し力を込めれば、容易に折れてしまいそうなほど細かった。
「……おい、手前……。ちゃんと飯食ってんのか」
掠れた声で問いかけると、太宰が少しだけ首を傾けた。中也の腕の中で、その細い首筋が頼りなく揺れる。
「食べてるよ。昨日は蟹の缶詰を食べたし、今日は……ええと、何を飲んだかな」
「食ったか訊いてんだよ。飲むんじゃねえ、食え」
中也は苛立ちを紛らわせるように、さらにぎゅっと腕に力を込めた。 すると、太宰の身体から「ひっ」と小さな吐息が漏れた。それは苦痛というよりは、あまりの圧迫に肺の空気が押し出されたような音だったが、それが余計に中也の胸をざわつかせた。
こいつは、こんなに細かったのか。 こいつは、こんなに軽かったのか。
今まで何度も、喧嘩の延長でこいつを殴り飛ばしてきた。 腹を蹴り、壁に叩きつけ、胸ぐらを掴んで揺さぶった。 その度に太宰は「痛いなあ」「野蛮だなあ」と笑いながら受け流していたが、今のこの感触を知ってしまった後では、自分の過去の振る舞いが信じられなくなった。
(俺は……こんな、折れそうな枝みたいなやつを、全力でぶっ飛ばしてたのか?)
中也にとって「強さ」とは、肉体の頑強さや破壊力と結びついたものだった。 だが、目の前の相棒は、その真逆をいっている。 精神の底知れなさ、謀略の冷徹さ、異能無効化という絶対的な切り札。それらを支えている器があまりにも危うい事実に、中也は言いようのない恐怖に似た感情を抱いた。
もし。 もしも、自分が重力の加減を一つ間違えたら。 あるいは、太宰が自分の守りきれない場所で、誰かの無慈悲な暴力を受けたら。 この細い身体は、一瞬で砕けて散ってしまうのではないか。
「中也、苦しいんだけど」
「……黙ってろ」
「黙ってるのはいいけど、君、さっきから震えてるよ? まさか、私のあまりの美しさに感動して泣き出しちゃったのかな? それとも、ついに子犬並みの知能も失って、震えることしかできなくなった?」
いつもの減らず口。だが、その声はどこか硬い。 太宰もまた、中也の異変を感じ取っているようだった。普段なら即座に振り払うはずの接触を、なぜか拒まずに甘んじている。
中也は太宰の肩に顎を乗せた。 耳元で、太宰の心音を、あるいは呼吸の音を感じようとする。 ドク、ドク、と。 確かにそこに脈打つ生命の鼓動。だがそれは、中也自身の力強いそれとは対照的に、どこか儚く、砂時計の砂が落ちる音のように静かだった。
「太宰。手前、死にたがりのくせに、なんでこんなに細いんだよ」
「質問の意味がわからないね。死にたいからこそ、肉体に固執する必要なんてないじゃないか。むしろ、このまま透き通って消えてしまえるなら本望だよ」
「ふざけんな」
中也は、太宰の腰のあたりに手を滑らせた。 そこには、皮下脂肪なんて言葉とは無縁の、引き締まっているというよりは削ぎ落とされたような細身があった。 改めて、中也は自分の手の大きさを自覚する。 これほどまでに華奢な人間を、自分は「双黒」という恐るべき二つ名の一部として、対等、あるいは自分を上回る怪物として扱ってきたのだ。
その事実は、中也の中に奇妙な保護欲と、それ以上の「納得」をもたらした。
そうか。 だからこそ、こいつには俺が必要なんだ。
この脆い器を守るために、自分という暴力の化身が存在している。 太宰がその頭脳で世界を操り、敵を絶望の淵に叩き落とす間、その細い身体に傷一つ付けさせない盾となるのが、自分の役目なのだ。
今までもそうしてきたつもりだった。 だが、その自覚の深さが、今、決定的に変わった。
「……中也?」
「おい、太宰」
「なあに」
「これからは、俺の許可なく飯を抜くな。あと、怪我もすんな。手前みたいなモヤシが傷を負ったら、治るもんも治らねえだろうが」
「ひどい言い草だねえ。私だってこれでもマフィアの一員だよ? 多少の生傷は名誉の——」
「名誉とかどうでもいいんだよ、莫迦。俺が気に入らねえっつってんだ」
中也はついに腕を解き、太宰の正面に回り込んだ。 そして、その両肩をガシリと掴む。 目の前で瞬きを繰り返す太宰の顔は、やはりどこか青白く、血の気が薄い。
「手前、さっきから『死ぬ』だの『消える』だの抜かしてるがな……。こんなに細い身体して、よくもまあそんな大層なことが言えたもんだ。俺が片手でひねり潰せるような器の分際でよ」
「おや、力自慢かい? それは聞き飽きたよ、中也」
「違う。……いいか、よく聞け」
中也は至近距離で、太宰の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「手前を壊していいのは、俺だけだ。俺以外の何かが手前に触れて、その細い骨を一本でも折るような真似は、俺が絶対に許さねえ。……分かったか」
太宰は、数秒の間、呆気にとられたように口を半開きにしていた。 やがて、その表情にいつもの皮肉めいた笑みが戻る。だが、その奥にある瞳の揺らぎまでは隠しきれていなかった。
「……傲慢だね、中也。私の死の権利まで独占しようだなんて。君は重力使いじゃなくて、ただの強欲な独裁者だよ」
「なんとでも言え。俺は決めたんだよ」
中也は掴んでいた肩を離し、太宰の頭を乱暴に撫で回した。 柔らかな髪の感触が、手のひらに心地よい。 この髪の下にある頭蓋すら、自分にとってはあまりにも小さく、守るべき対象として刻み込まれていく。
「……腹減ったな。おい、行くぞ。中華街で一番高い店に連れてってやる。残さず食わねえと、その場で胃袋に叩き込んでやるからな」
「ええー、それは勘弁してほしいな。私はもっとこう、苦しまずに死ねる薬とかが食べたいんだけど」
「んなもんあるか! ほら、さっさと歩け、この包帯無駄遣い装置」
中也は太宰の背中を、今度は力加減を十二分に考慮した強さで、ぽんと押した。 太宰は、ふらふらと、しかしどこか楽しげな足取りで歩き出す。
その後ろ姿を見つめながら、中也は自分の拳を強く握りしめた。 掌に残る、あの細く、冷たく、そして確かに生きていた感触。 それを忘れることは、もう二度とないだろう。
夕闇に染まる横浜の街。 二人の少年――あるいは二人の怪物は、並んで歩いていく。 一人は、自らの器の脆さを呪うように。 もう一人は、その脆さごと、この世の全てから守り抜くことを誓いながら。
その歩幅が重なることは、まだ少ない。 けれど、中也の視線は、常にその「細い背中」を捉えて離さなかった。
「……あ、そうだ。中也」
ふと、太宰が振り返った。
「なんだよ」
「さっきの抱擁、十点満点で二点かな。力が強すぎて、あやうく内臓が出るかと思ったよ」
「……ぶち殺すぞ、てめえ!!」
怒号が響く。 追いかけ、逃げ回り、笑い、罵り合う。 その日常が、今は何よりも愛おしく、そして重たい責任を伴って中也の心を満たしていた。
太宰治は、細い。 だが、その細さを守るための力なら、中也はいくらでも生み出せる。 重力を操る少年は、自分よりもずっと壊れやすい相棒の存在を、その日、本当の意味で受け入れたのだった。
それは、ポートマフィア史上最強のコンビ「双黒」が、ただのビジネスパートナーから、互いの生命の質量を共有する「共犯者」へと変わった瞬間でもあった。
夜の帳が下りる。 ネオンの光が、太宰の包帯を白く浮かび上がらせる。 中也はその隣を歩き、再び、その細い肩に手を置いた。今度は、壊さないように、優しく。 太宰は、嫌そうな顔をしながらも、その手を振り払うことはしなかった。
「……チッ、本当に細えな、手前」 「しつこいなあ、中也。そんなに私の身体に興味があるなら、今度解剖図でもプレゼントしようか?」 「いらねえよ、そんなもん! ……ったく」
喧騒の中に消えていく二人の声。 横浜の夜は、まだ始まったばかりだった。