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#そのじん
のりもちさん
361
1,897
仁人side
次の日。
目が覚めて。
最初に思い出したのは。
昨日の撮影だった。
勇斗の隣に立てたこと。
自分から。
半歩だけ近づけたこと。
そのあと。
不意に勇斗が近くにいることに気づいて。
身体が勝手に下がったこと。
できたと思った。
でも。
まだ駄目だった。
それでも。
前よりは。
少しだけ進んでいる。
そう思いたかった。
「おはよ」
楽屋へ入ってきた勇斗が。
いつものように言った。
「……おはよう」
目が合う。
身体は強張らなかった。
息も苦しくならない。
それだけで。
少し安心した。
勇斗は。
仁人から少し離れたところへ荷物を置いた。
最近は。
それが当たり前になっていた。
自分がそうさせている。
分かっている。
勇斗は悪くない。
むしろ。
自分のためにそうしてくれている。
昨日だって。
撮影が終わって。
自分が一歩下がったあと。
勇斗は何も言わなかった。
どうしたの、とも。
大丈夫、とも。
聞かなかった。
何もなかったみたいに。
先に歩いていった。
そのことに。
助けられた。
でも。
同時に。
少しだけ寂しかった。
以前なら。
何も考えず隣にいた人が。
今は。
自分が怖がらないように。
少し遠くにいる。
仁人は。
勇斗を見る。
大智と何かを話して。
笑っている。
いつもと変わらない。
勇斗だった。
「……」
好きだった。
ずっと。
いつからなんて。
もう覚えていない。
気づいたときには。
勇斗は。
少しだけ特別な人になっていた。
だからといって。
何かを望んでいたわけじゃない。
好きだと伝えるつもりもなかった。
同じグループで。
これからも一緒にいる。
それなら。
今のままでよかった。
勇斗が何も知らず。
当たり前みたいに隣に座って。
スマホを覗き込んできて。
肩がぶつかれば。
「近いって」
そう言って。
勇斗が笑う。
それだけで。
十分だった。
少なくとも。
あの日までは。
そう思っていた。
今になって。
分かった。
自分は。
思っていたよりずっと。
あの距離が好きだった。
当たり前みたいに。
勇斗の隣にいられることが。
嬉しかった。
なのに。
今は。
そこへ戻りたいと思っても。
身体がついてきてくれない。
勇斗に拒まれたわけじゃない。
離れていったわけでもない。
むしろ。
仁人が戻れるように。
ずっと待ってくれている。
行けないのは。
自分だった。
そのことが。
苦しかった。
午後。
収録の合間。
勇斗がソファに座っていた。
隣には柔太郎。
二人でスマホを見ながら話している。
そこへ舜太もやってきた。
後ろから。
二人の間へ顔を出す。
「何見とんの?」
「近い近い」
「俺にも見せてよ」
「だから近いって」
笑い声が上がる。
仁人は。
少し離れた椅子から。
その様子を見ていた。
勇斗の反対側。
一人分。
空いている。
少し前まで。
あそこは。
何でもない場所だった。
空いていれば座る。
勇斗がいても。
気にしない。
むしろ。
勇斗がいるから。
何となくそこを選ぶことだってあった。
今なら。
それが分かる。
仁人は立ち上がった。
行きたい。
今日は。
そう思った。
仕事じゃない。
スタッフに言われたわけでもない。
誰も。
そこへ座れとは言っていない。
それでも。
行きたかった。
一歩。
足を出す。
胸の奥が。
少しざわついた。
もう一歩。
勇斗がこちらに気づいた。
目が合う。
身体に。
僅かに力が入る。
それでも。
勇斗は何も言わなかった。
来る?
とも。
大丈夫?
とも。
聞かない。
すぐに視線を戻した。
何でもないことみたいに。
仁人が。
昔みたいにそこへ来ることを。
ただ待っている。
もう一歩。
仁人は歩いた。
そして。
勇斗の隣に座った。
少しだけ。
隙間を空けて。
「じんちゃんも見る?」
スマホが向けられる。
「何?」
「これ」
仁人も画面を覗き込んだ。
「……何これ」
「はやちゃんが違うって言うんよ」
「いや、絶対違うじゃん」
「俺も勇斗だと思う」
「ほら」
「じんちゃんまで?」
また。
笑い声が上がる。
仁人も笑った。
勇斗も。
隣で笑っている。
その声が。
近くで聞こえる。
仁人は。
誰にも気づかれないように。
ゆっくり息を吐いた。
大丈夫。
勇斗が隣にいる。
近い。
でも。
苦しくない。
身体も。
強張っていない。
座れた。
自分から。
勇斗の隣に。
そのことが。
思っていたより。
ずっと嬉しかった。
しばらくして。
二人だけになった。
さっきまで騒がしかったソファが。
急に静かになる。
勇斗はスマホを見ている。
仁人も。
何となく自分のスマホを開いた。
でも。
ほとんど見ていなかった。
隣にいる勇斗の存在が。
妙に気になった。
近い。
少し動けば。
肩が触れそうな距離。
それなのに。
触れない。
勇斗が。
自分に触れないようにしている。
腕を動かすときも。
少し身体の向きを変えるときも。
仁人の方へは来ない。
以前なら。
そんなこと。
考えてもいなかった。
肩が当たれば。
近いと言えばいいだけだった。
スマホを覗き込まれれば。
押し返していた。
それで。
終わっていた。
今は。
違う。
近くにいてほしい。
それなのに。
身体は。
まだ時々。
あの日を思い出す。
仁人は。
勇斗の腕を見る。
少しだけ。
手を伸ばせば届く。
触ってみたい。
そう思った。
前みたいに戻れるか。
確かめたい。
それだけじゃない。
今。
自分から。
勇斗に触れてみたかった。
そのことに気づいて。
少しだけ。
心臓が速くなる。
仁人の指が動く。
でも。
あと少しのところで。
止まった。
——離して。
自分の声が。
一瞬。
頭の中を過ぎる。
呼吸が浅くなる。
指先に。
力が入った。
やっぱり。
まだ。
無理なのか。
仁人は。
手を戻しかけた。
そのとき。
勇斗が。
スマホの画面を指で送った。
ただ。
それだけ。
仁人を見ない。
手も伸ばしてこない。
何もしない。
仁人は。
勇斗の横顔を見る。
勇斗だ。
嫌だと言えば。
絶対に止まってくれる。
何も聞かずに。
待ってくれる。
あの人とは。
違う。
仁人は。
一度。
ゆっくり息を吐いた。
それから。
もう一度。
手を伸ばす。
指先が。
勇斗の服の袖に触れた。
「……」
身体が。
僅かに強張る。
でも。
手は引かなかった。
布の感触。
それだけ。
掴まれない。
引かれない。
何も。
起こらない。
勇斗が。
ゆっくりこちらを見た。
「……何?」
「……別に」
「別に?」
「うん」
「じゃあ何で掴んでんの?」
言われて。
初めて気づいた。
触れただけのつもりだったのに。
いつの間にか。
勇斗の袖を。
指先で少し摘んでいた。
「……うるさい」
「俺、何も言ってないじゃん」
「言っただろ」
「聞いただけじゃん」
勇斗が笑った。
いつもの。
笑い方だった。
仁人は。
その顔を見て。
少しだけ。
肩の力を抜いた。
袖から。
指を離そうとする。
でも。
やめた。
もう少しだけ。
このままでいたかった。
そのことに気づいた途端。
今度は。
別の意味で。
心臓が速くなる。
仁人は。
誤魔化すように目を逸らした。
「……勇斗」
「ん?」
「ちょっとだけ、このままでいて」
一瞬。
勇斗が黙った。
「うん」
それだけだった。
勇斗は動かない。
仁人の手へ。
自分から触れることもしない。
ただ。
袖を掴まれたまま。
そこにいてくれる。
仁人は。
指先にある布の感触を確かめた。
怖くない。
今。
胸が速いのは。
あの日を思い出したからじゃない。
それが。
ちゃんと分かった。
「……平気だった」
「うん」
「何、その反応」
「何て言えばいいの?」
「知らないけど」
「じゃあ、よかったじゃん」
「……まあ」
仁人は。
まだ。
勇斗の袖を摘んでいた。
今なら。
もう少し。
近づける気がした。
でも。
今日は。
これでよかった。
「次は?」
勇斗が聞く。
「何が?」
「袖の次」
「調子乗るな」
「はい」
すぐに引いた勇斗に。
仁人は笑った。
「勝手に触ったら怒るから」
「分かってるよ」
「……うん」
分かってる。
勇斗なら。
ちゃんと分かってくれる。
だから。
自分から。
近づいていける。
少しずつ。
仕事が終わった。
荷物を持って。
二人で廊下を歩く。
少し前まで。
勇斗は。
仁人より少し前を歩いていた。
無理に隣まで来なくていいように。
仁人の歩幅に合わせて。
少しだけゆっくり。
今日は。
仁人から。
その隣へ並んだ。
勇斗が。
一瞬こちらを見る。
「何?」
「別に」
「今日それ多くない?」
「うるさいな」
「はいはい」
二人で歩く。
肩は。
まだ触れない。
でも。
近い。
少し前まで。
この距離に。
意味なんてなかった。
勇斗が隣にいることは。
あまりにも当たり前だった。
それが。
今は少し違う。
失いかけたからなのか。
それとも。
ずっと。
気づかないふりをしていただけなのか。
仁人には。
まだ分からなかった。
「……勇斗」
「ん?」
「何でもない」
「また?」
「呼んだだけ」
「何それ」
勇斗が笑う。
仁人も。
小さく笑った。
そして。
ほんの少しだけ。
勇斗との距離を縮める。
肩は。
まだ触れない。
でも。
それでいい。
今日。
自分から隣に座れた。
自分から。
勇斗に触れられた。
ほんの少し。
袖だけ。
それでも。
怖くなかった。
最後に残ったのは。
あの日の感覚じゃなかった。
仁人は。
隣を歩く勇斗を見る。
次は。
もう少しだけ。
コメント
1件
うわ、第6話めっちゃ良かった……!仁人の「勇斗の隣に座りたい」って気持ちが少しずつ形になっていく過程が丁寧で、特に袖を摘むシーンは震えたわ。自分から触れたくて、でも怖くて、それでも勇斗が何も言わずに待ってくれる優しさにじわじわ来た。最後の並んで歩く距離感、めっちゃいい。