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大地を覆う、緑色の絨毯。
その正体は雑草なのだが、美しいことに変わりない。
マリアーヌ段丘と命名されたここは東を海に、西を険しい山脈に面しており、この地にも例外なく魔物が生息している。
草原ウサギと呼ばれるそれは、魔物でありながら温厚だ。不用意に近寄らなければ人間を襲わないことから、年間を通して死傷者は少ない。
しかし、ゼロではない。
その理由は、若者が命を散らすためだ。
傭兵を目指すためには、草原ウサギを狩ることから始めなければならない。
傭兵試験の討伐対象であり、これを仕留めることがスタートラインと言っても差し支えない。
草原ウサギは最弱の魔物だ。光流暦千十八年において、これよりも弱い魔物は見つかっていない。
いかに弱かろうと、凡人が素手で挑めば返り討ちにあってしまう。
容姿そのものは動物のウサギと大差ない。鼻がいくらか発達しており、体も一回り大きい程度か。
しかし、その脚力は人間を蹴り殺せてしまう。防御の体勢で受け止めようと、その部位が骨折するほどには強烈だ。
後ろ足でピョンピョンと跳ねるように移動するため、走る速さは案外遅い。体力が尽きなければ、追い付かれる心配はないだろう。
傭兵の一歩目が草原ウサギを倒すことなら、二歩目もまた、この魔物だ。腕を磨くため、ただひたすらに狩り続けなければならない。
そういう意味では、彼女はこの段階を越えている。
坂口あげは。長い黒髪を揺らす、日本人。
本来はワンピースのようにゆったりとしたチュニックをベルトで絞めており、大きな胸を含めて体のラインが晒されている。
茶色いリネンチュニックと真っ黒な長ズボン。どちらも着こなす姿は美しいのだが、猫背のせいで陰湿さは誤魔化しきれない。
その姿を眺めながら、少年は物思いにふける。
(確かに、僕ってアゲハさんのことをわかってなかったかも……)
緑髪の少年はエウィン・ナービス。カーディガンも若葉色ゆえ、立っているだけで風景に溶け込めてしまう。
(鍛えたつもり……って言っちゃうと偉そうな感じだけど、出会った頃と比べたらめちゃくちゃ育って……、にしても胸でっか)
今のアゲハはただの日本人ではない。
マラソン選手を上回る体力。
短距離走においても世界記録は確実だ。
さらには転生時に能力をプレゼントされたのだから、戦う相手を選べば傭兵として生計を立てられる。
少なくとも、以前のエウィンを上回ってしまった。
この少年は草原ウサギしか狩れなかったのだから、アゲハの成長曲線はかなりの急こう配と言えよう。
それでも、彼女は自信を持てない。エウィンの方が遥かに強いのだから当然と言えば当然だ。
(見慣れたはずなのに。いや、そうであってもドキドキしちゃう。ただ大きいだけじゃなくて、腰まわりは引き締まってるから目の保養ってレベルじゃない。見るなって言う方が無理な話であって……。しかもそういうお年頃ですし)
この少年は六歳の時点で浮浪者に落ちぶれた。両親を失い、故郷を追われた結果だ。
以降は城下町の片隅で、捨てられた廃墟に住み着いている。傭兵になれたことで飢えは凌げたが、色恋沙汰とは無縁の人生だった。
一人で生き続けて十二年が経過した頃合いに、運命の出会いを果たす。
エウィンの目にも、アゲハは魅力的に映った。
泣き腫らした瞳と毛先だけが青い黒髪が不気味ではあったが、その肉付きは思春期の少年を惑わす。
しかし、手は出さない。
付き合おうとすら、思わない。
なぜなら、行き着く先が決別だと理解しているためだ。
彼女を、元いた世界へ帰す。これこそが旅の目的であり、オーディエンと名乗った炎の化け物を倒すことで手がかりが得られることから、それの討伐を当面の目標と定めた。
最終的にはそれぞれの人生を歩むのだから、自分達の関係性を発展させるつもりなど毛頭ない。
ましてや、この少年はその過程で死にたいとすら考えている。
母親がそうしたように、自分も誰かを庇って死ぬ。
そうすることが救いであり生きる理由だと決めつけている以上、女性との色恋沙汰には興味を持てない。
それでも、アゲハの大き過ぎる胸部には釘付けだ。そういうお年頃ゆえ、本能には逆らえない。
(一度でいいから触ってみたい。いったいどうすれば……)
邪なことを考えたその時だった。
彼女と向かい合うように立っていた魔女が、平然と言ってのける。
「私にパンチ一発でも当てられたら、アゲハちゃんの勝ちね。逆に私が勝ったら、その乳を揉ませてもらうゼ」
「え?」
「え⁉」
この提案が、当事者だけでなく観客すらも驚かせる。
そのリアクションに、発言者は首を傾げずにはいられない。
「なんでエウィン君もビックリしてるの?」
髪の色は土色で、その長さは顎の下まで。顔の輪郭をなぞるようにカーブしており、いわゆるボブカットと呼ばれる髪型だ。
両腕と胸部を鋼の鎧で守っていることと両手剣を背負っていることから、三人の中では最も傭兵らしい。
軽鎧を装着していることから、上半身は肌着も兼ねた黒いタイトロングスリーブ。
一方で下半身はオレンジ色のしゃれたロングスカートを履いており、脚部のほとんどが見えない。
彼女の名前はエルディア・リンゼー。長身ゆえの迫力とは裏腹に、性格は非常に人懐っこい。
そうであろうと、先ほどの提案が認められるか否かは別問題だ。
「い、いやいや、勝ったらおっぱいうんぬんなんて、許されざる行為ですよ。アゲハさん、嫌なら嫌って言っちゃってください」
エウィンの主張は至極まっとうだ。むしろ、らしくないとさえ言える。
両腕を組み、取り繕うように反論するも、最終判断は彼女に委ねた。
ゆえに、二人分の視線がアゲハに向けられる。
「あ、わたしは、その、それくらいなら、かまわないけど……」
「やったゼ」
「ええ⁉」
対照的なリアクションだ。
女性でありながら、無邪気に喜ぶエルディア。
当事者ですらないにも関わらず、悔しがるエウィン。
二人の新鮮な反応を眺めながら、アゲハは黙るように萎縮する。
ゆえにここからしばらくは、醜い応酬の時間だ。
「ふっふっふー、絶対に勝つ!」
「く、ずるい!」
「ずるいって言われてもなー。女同士だからこそってやつー?」
「自分のを揉めばいいでしょう!」
「そりゃー、私もけっこう大きいけどさー。それはそれ、これはこれなわけ。アゲハちゃんの方がちょびっと大きいっぽいしねー」
「ぐぬぬぬ……。アゲハさんが嫌がってますよ!」
「えー、本当にー?」
「わ、わたしは、その……」
「ほらほらー」
「照れてるだけに見えるけどー? あ、だったら……」
エウィンの野次に根負けしたのか、エルディアが整えるように息を吸い込む。
黙るためではない。妙案を思いついたからだ。
「次の手合わせでエウィン君が私に勝てたら、私のを揉ませてあげる」
「な……んですと……」
ありえない提案が魔女の口から飛び出す。
その結果、少年は目を見開いて硬直するも、一瞬の沈黙は嵐の前の静けさでしかない。
実は、アゲハも心底驚いているのだが、エルディアは火に油を注ぐように両腕を動かし始める。
「よいしょ。ほれ、ほれほれ」
ブラジャーを外すように、胸部アーマーを慣れた手つきで脱着する。
たったそれだけの動作なのだが、エウィンは目が離せなかった。その動作には色気が漂っており、スチールアーマーの下にはタイツのようなタイトスリーブを着ているのだが、露わになった山脈二つはアゲハに勝るとも劣らない標高ゆえ、そういう意味でも目が離せない。
「な……、ほ、本当ですか?」
「もちろんだゼ」
魔女に二言はない。そう言い切るように、大きな胸を見せつける。
その言動がアゲハをさらに狼狽させるも、エウィンのテンションはついに限界を突破してしまう。
「この戦い、死んでも負けられない……」
先ずはアゲハがエルディアを戦うのだが、この少年は既に正気を失っている。
それゆえに、ここからの暴走も必然だ。
「色褪せぬ記憶は、永久不変の心を顕す」
「え?」
「え?」
女性陣だけが驚くも、エウィンは淡々と儀式を進めてしまう。
「争いの果てに、涙を散らす者達よ……」
「え?」
「え?」
もはや止まらない。
止まれるはずもない。
「我らの旅路を指し示し、絢爛の明日へと導きたまえ」
エルディア達もついに黙る。
何を言っても無駄だと、気づいてしまった。
「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」
エウィンを中心に、台風のような突風が吹き荒れる。
その闘志はマリアーヌ段丘を揺らすも、詩はまだ道半ばだ。
「揺蕩う理想郷で、色褪せぬ想いに寄り添う者よ……」
緑色の髪を揺らしながら。
緑の大地を賑わせながら。
手続きはついに完了する。
「祝福されし幼子達を、見守りたまえ。蔑みたまえ!」
傭兵が力むように叫ぶと、地殻変動のような騒々しさがついに鳴り止む。
それを合図にエウィンが真っ白な闘気をまとうも、エルディアは冷静に指摘せざるを得ない。
「盛り上がってるところゴメンなんだけど、君の相手はアゲハちゃんの後だからね」
「あ……」
ここで食い下がれば、結末は変わったのかもしれない。
先に戦ってくれ。
そう主張すれば検討してもらえたのかもしれないが、正論をぶつけられた結果、エウィンは石像のように硬直する。
同時に思考も停止してしまったため、おおよそ十秒しか維持出来ないこの能力は当然のように時間切れだ。
「んじゃー、戦おっか」
「あ、は、はい……」
わき道に逸れたが、ついに模擬戦が始まる。
アゲハ対エルディア。
わかりきった手合わせながらも、これはそれを確認するための手順であり、今後の方針を決めるためにも必要だ。
一方、エウィンは直立不動のまま泣く。
(僕のリードアクターが……。一日一回しか使えないのに……)
先ほどの異能は、この少年の身体能力を別人のように向上させる。
時間制限と使用回数に厳しい制約があるのだが、引き換えにその強化幅は類を見ない。
リードアクター。命名者は宿敵のオーディエンなのだが、エウィンは気に入ってしまったため、その案を採用した。
魔法とも戦技とも異なるこれは、言ってしまえばこの少年専用の神秘だ。
いかに劣勢であろうと、これを使えば覆せてしまう。
それほどの切り札なのだが、先走って発動させてしまった。我を忘れたがゆえの失態であり、煩悩に抗えなかった結果だ。
エウィンが一人ポツンと肩を落とそうと、一試合目は止まらない。
「さぁ、打ち込んできて。おねえさんが受け止めてあげる」
挑発のようで、そうではない。
エルディアとアゲハの実力は、天と地ほどの差だ。
この戦いは実力テストでしかないのだから、打撃は最初の一手に相応しい。
それをわかっているからこそ、茶髪の魔女はそれを促し、黒髪の日本人はぎこちない動作ながらも殴りかかる。
「うー、とぉー」
「ふむ……。え⁉」
絵に描いたような素人のパンチだ。右腕だけを可動させた、子供にすら当てられないような右ストレート。
エルディアはそれを当然のように左手だけでせき止めるも、彼女は二つの事実に心底驚かせる。
パシンと鳴り響いた衝突音は、一見するとチープだ。
実際には見た目以上の威力が込められており、もちろんエルディアはこれっぽっちも痛みを感じてしないのだが、傭兵や軍人ではない庶民がこれを受ければ、通院は免れない。
そして、もう一つの要因が彼女を硬直させる。
(こんな大迫力に揺れるなんて。え? 大きいだけじゃなくて柔らかい? それって私の胸が硬いってこと? いや、私のだって普通に弾むけど……。ポヨポヨ揺れるけど……。と言うか、近くて見るとやっぱりでけえ)
巨乳が走り、巨乳が殴ったのだから、二つの果実が水風船のように跳ねる。
当然の帰結なのだが、エルディアの魔眼は見逃さないばかりか、吸い付くように観察する。
それでもアゲハの打撃を受け止めた力量は本物なのだろうが、対戦相手の胸だけを凝視する姿は変質者でしかない。
この状況は、ある意味で好機だ。格上のエルディアが眼前で呆けているのだから、アゲハは不服そうに次の一手を繰り出す。
右手をグーからチョキへ。
構えを変えた理由は、じゃんけんに勝つためではない。
自身の胸に釘付けの対戦相手へ、必殺の目つぶしをおみまいする。
「う⁉ ぎゃー!」
勝負ありだ。
そして、大番狂わせでもある。
敗者が両目を抑えながら大地を転がる一方、アゲハは勝者でありながら戸惑ってしまう。
その様子を眺めながら、エウィンは一人静かに感想を述べる。
「アホだ」
自分を棚に上げての発言ながら、今だけは許されるはずだ。
「目がー! 目がー!」
痛くて当然だ。
アゲハの細腕は飾りではない。この世界に転生して以降、大量の魔物を狩って腕を磨き続けた。戦い方を知らないだけで、その身体能力は並の傭兵には劣るものの、決して侮ってはならない。
「あ、あ、やりすぎ、ちゃった。ごめん、なさい……」
「目がー!」
「アホだ」
模擬戦、その一試合目はアゲハの勝利。
それは同時にエルディアがお触りの権利を手放したことを意味するのだが、今は駄々をこねる子供のようにのたうち回っている。
青々と晴れた空の下、ここはどこまでも続く草原地帯。あちこちに小さな丘があるのだが、平和の二文字が似合うことは変わりない。
その雰囲気を壊すように、愚者の悲鳴が響き渡る。両眼を傷つけられたのだから、仕方がないのだろう。
無意識とは言え、アゲハは己の武器を総動員させて勝利をもぎ取る。これは殺し合いではないのだから、こういうことも許される。
そうであろうと、収穫がなかったわけではない。
やはりアゲハは素人だ。身のこなしがあまりにも拙い。
それを確認出来ただけでも上出来だ。引き換えにエルディアが泣き叫んでいるが、自業自得ゆえ、仕方ない。
(次は僕の番か。リードアクターは使えないけど、なんとかなるはず……)
このタイミングで、エウィンは楽観的な予想を立てる。エルディアの姿がそう思わせてくれた。
残念ながら、浅はかな思考だ。
なぜなら、この少年は知らない。
エルディアの本当の実力を。
魔眼の真なる能力を。