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第81話:在宅ワーク。「お悩み相談室」始動〜元社畜の矜持と、社会との繋がり〜
雪解けのぬかるみもすっかり乾き、十勝の山々に新緑の息吹が混じり始めた頃。
俺が全財産を叩き込んで買い上げた限界集落の古民家は、今日もシロの『適温25度の絶対防壁』によって、究極に平和で怠惰な空気に包まれていた。
「ふぁぁ……。お兄さん、ぽかぽかして気持ちいいですねぇ」
縁側では、小春ちゃんが春の陽射しを浴びながら、コン吉とコン次郎のブラッシングをしている。
キツネ兄弟は気持ちよさそうに目を細め、「キュゥ……」ととろけるような声を漏らしていた。
そんな至福の春の午後。
俺は一人、居間に置かれたローデスクの前に正座し、パソコンのモニターと睨み合っていた。
そして、おもむろに黒いヘッドセットを頭に装着し、マイクの位置を調整する。
ジンバルに固定されたiPhone miniの画面では、三百万人のリスナーたちがその見慣れない光景にざわつき始めていた。
『主、急にヘッドセットなんか付けてどうした?』
『まさかのゲーム実況デビュー!?』
『FPSでも始める気かww』
『シロ様も「何事?」って顔で見てるぞww』
チャット欄の予想を裏切るように、俺は極めて真面目な顔で、カメラに向かって口を開いた。
「皆さま、ゲーム実況ではありません。実は今日から、新しい仕事のシフトが入っているんです」
「……えっ? お仕事、ですか?」
ブラッシングの手を止めた小春ちゃんが、目を丸くしてこちらを見た。
『仕事!?』
『嘘だろww 山を丸ごとキャッシュで買うくらいMeTubeで稼いでるのに!?』
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)=”Work!? Why!? If you need money, I will send you a billion yen right now!“(仕事!? なぜだ!? 金が必要なら今すぐ10億円送金するぞ!)』
『石油王がガチで心配してるww』
『遊んで暮らせる資産あるだろww』
コメント欄が「なぜ働くのか」という疑問と驚きで埋め尽くされる中、俺は静かに首を横に振った。
「勘違いしないでください。皆様からいただいたMeTubeの収益は、この限界集落の山林と、動物たちが安心して暮らせる聖域(サンクチュアリ)を維持するための『公金』です。俺個人の欲望のために手を付ける気は、一ミリもありません」
俺はデスクの横に置かれた、今日の昼ご飯の残りの入ったタッパーを指差した。
「俺自身の生活費……毎日の玄米と、大豆ベースの代替肉パティの代金。そして、この最強のYAMAHAルーターを稼働させるための通信費や電気代は、俺自身が額に汗して稼がなければならないんです。それが、元・陸上自衛隊需品科としての、己のロジスティクスに対する最低限の矜持です」
『主……!!』
『玄米と大豆パティのためだけに働く男』
『質素すぎるww もっといいもん食えよww』
『でも、そのブレないストイックさが最高にカッコいいぜ!』
『大金手にしても全く狂わないの、本当に尊敬するわ』
俺の言葉に、リスナーたちは感嘆の声を漏らした。
小春ちゃんも「お兄さん、立派です……!」と尊敬の眼差しを向けてくれている。
「それに」と、俺は少しだけ言葉を区切った。
「社会との繋がりを完全に絶ってしまったら、この古民家での温かい生活の『ありがたみ』が薄れてしまう気がするんです。誰かの役に立ち、社会の歯車として少しだけ機能することで、この静かなスローライフがより一層輝く。……まぁ、一種のスパイスみたいなものですね」
俺の柄にもない本音に、チャット欄には温かい拍手の絵文字が連なった。
ゆうき あきや
3,596
259
#心理描写重視
「それで、お兄さん。在宅でどんなお仕事をするんですか?」
「フルリモートの『お悩み相談室』の受電業務だ。孤独な人や、心に悩みを抱えた人の話を電話で聞き、解決の糸口を一緒に探す仕事だよ」
俺はパソコンの専用システムを立ち上げながら答えた。
「俺は過去に、ブラック企業での過酷なクレーム対応はもちろん、公務員として窓口に立ったり、介護の現場でたくさんのお年寄りの話を聞いてきたりした経験がある。コールセンターでの受電スキルも叩き込まれているからな。この『傾聴』と『問題の切り分け』のスキルを活かせると思ったんだ」
『主の経歴、改めて聞くとガチで波乱万丈だなww』
『ブラック企業から介護、公務員、そして限界集落の山主へ』
『クレーム対応のプロが悩みを聞いてくれるのか!』
『俺も主に相談したいわ……』
「さて、そろそろ待機状態(ログオン)になる。配信の音声には俺の声しか乗らないように設定してあるから、相談者のプライバシーは守られる。皆は適当に、庭のキツネたちでも眺めていてくれ」
俺がシステムをオンラインにした直後。
ピロッ、とヘッドセットから着信音が鳴った。
「はい、お電話ありがとうございます。お悩み相談窓口の、アキヤと申します。本日はどのようなご相談でしょうか?」
俺は瞬時に「元社畜のフラットボイス」から「プロのオペレーターの洗練された声」へと切り替え、淀みなく応対を始めた。
『うおおおお!! 主の声が急にイケボになった!!』
『ガチのプロのトーンだww』
『スイッチの切り替えが鮮やかすぎる』
『さっきまで「玄米と大豆パティ」とか言ってた男とは思えないww』
電話の向こうからは、疲れ切ったような、若い男性の声が聞こえてきた。
『あ、あの……。仕事が、どうしても上手くいかなくて……。毎日怒られてばかりで、もう自分が何のために生きているのか、わからなくなってしまって……』
「……はい。毎日、本当に大変な思いをされていらっしゃるのですね」
俺はゆっくりと、相手の呼吸に合わせるように、深く相槌を打つ。
否定せず、遮らず、まずは相手の心に溜まった泥をすべて吐き出させる。
これは介護の現場で学んだ、傾聴の基本中の基本だ。
「上司の方からの厳しい言葉……それは、あなたご自身の価値を否定するものではありません。環境が合っていないという、ただの事実の羅列に過ぎないのです。……ご自身の健康と尊厳を最優先の『物資』として捉えた場合、現在の職場は、適切な補給線が維持できない危険地帯と言えますね」
俺は相手の心に寄り添いながらも、需品科仕込みのロジカルな戦術分析を交えて、状況を客観的に整理していく。
約三十分の通話の末。
『……ありがとうございます。なんだか、少しだけ視界が開けた気がします。休日はゆっくり休んで、自分のこれからをもう一度考えてみます』
男性の声には、最初のような絶望の色は消え、微かな希望の光が宿っていた。
「はい。あなたの人生という長期戦において、一時的な撤退は決して敗北ではありません。しっかりと休息を取ってください。お電話、ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をして、通話を切る。
『主、凄すぎる……!!』
『マジでプロのカウンセラーじゃん!』
『寄り添いながらも、謎のミリタリー用語で論理的に解決する新しいスタイルww』
『聞いてるこっちまで心が軽くなったわ……』
チャット欄は、俺の完璧な受電対応に対する称賛の嵐となっていた。
「ふぅ……。久しぶりの業務だったが、なんとかなったな」
俺がヘッドセットを外して首を回していると。
『ミャウ』
いつの間にか、シロが俺の足元にやってきていた。
そして、俺のジャージをよじ登り、膝の上でくるんと丸くなって香箱座りをキメる。
「おいおい、シロ。仕事中は邪魔するなって言っただろ」
『ゴロゴロ……ゴロゴロ……』
シロは俺のお腹に頭を擦り付けながら、マイクにギリギリ拾われるか拾われないかの絶妙な音量で、極上のマイナスイオンを含む『ゴロゴロ音』を響かせ始めた。
「お兄さん! シロちゃん、お兄さんが頑張ってるから、癒やしてあげようとしてるんですよ!」
小春ちゃんが、庭から嬉しそうに声をかける。
限界集落の静かな古民家。
莫大な富を得ても決して変わらない、俺の質素な生活と、社会とのささやかな繋がり。
次回からのお悩み相談枠は、俺のロジカルな回答と、神獣の『ゴロゴロ音』という物理的な魂のヒーリングが組み合わさり、世界中から相談者が殺到する伝説の窓口へと進化していくのだが……それはまた、別のお話である。
コメント
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お疲れ様です、寺島あおいです🕊️ 第81話、読み終えました。 「働かないでいいお金」があっても、自分の生活費は自分で稼ぐ——その矜持、すごく好きです。大金を手にしてもブレない主人公のスタンスに、静かなカッコよさを感じました。 そして電話対応のシーン、驚きました。介護と需品科の経験を『傾聴』に活かす発想が斬新で…「危険地帯」という言葉で仕事の辛さを伝える手法、ロジカルなのに優しくて、なるほどなあと。 シロのゴロゴロ音がBGMになるお悩み相談室、次回からが楽しみです☺️