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それから、何となく顔を合わせづらくなり、学校を出る時間をずらすようになった。
フミヤは五限が終わるとすぐに帰るため、それにかち合わないよう、教室でしばらく時間を潰す。
 大抵リョウスケも特に用事もなく残っていたため、時間潰しに付き合ってもらっていた。
 フミヤとは、校内ですれ違った時には挨拶ぐらいは交わすが、それ以外での接点はほとんど無くなった。
 奴の顔を見かけるたびに、腹を押さえつけられるあの感覚と、奴の下卑た笑いと、屈辱的な羞恥心とが鮮明に蘇るのだ。
 その最悪な記憶を誰に打ち明けることも出来ずに一人で抱えていたある日の放課後、リョウスケが「あのさ」と何かを言いかけ、それから言いづらそうに口籠った。
 どうしたのかと先を促すと、彼は声を潜めて言う。
 「お前隣のクラスのあいつと仲良いの?」
 「隣…フミヤのこと? まぁ、幼馴染だから」
 「ミナが言ってたから、多分ほんとだと思うんだけどさ」
 ミナとは、リョウスケと仲の良い金髪の女子生徒の名前だったはずだ。
 「なに?」
 「この前な、道路で猫が死んでたんだって」
 猫という言単語が出て、俺の心臓がどくんと跳ねる。
 「ミナが埋めてやろうと思って、 近所の家からシャベルとか新聞紙とか借りて戻ってきたら、お前の幼馴染が猫の前でしゃがんでたんだって。そんで、埋めるの手伝ってくれって声かけようとしたら、そいつ、猫の腹に手突っ込んだんだと」
背中を汗が流れ落ちるのがわかった。
 猫は冷たくなっていたと、あいつは言った。
 内臓に触りたいと言ったあの時、既に、内臓に触ったあとだったのだ。じゃあ、あいつがあの時本当に触りたいと思っていたのは──。
 「気をつけた方がいいぜ」
 リョウスケの声で我に返る
 彼は眉を寄せながら、俺の顔をじっと見つめながら言う。
 「最近、うちの学校の近くで犬猫の惨殺死体がよく見つかってんだって。いや、思い違いだったら悪いし、偶然だったらいいんだけどさ」
 「……うん」
 眩暈がして肌が粟立った。
 思い違いでも偶然でも無いのは、誰の目から見ても明らかだった。
 校内で、校外で、フミヤを見かけても声をかけなくなった。フミヤから俺に接触してくることもなく、時間は過ぎて行く。
 俺はほとんど毎晩、あいつの夢を見た。
 あいつが俺の腹の皮膚を突き破り俺の胎内に手を突っ込んで、臓器をまさぐる夢だ。
 俺がいくらやめろと叫んで暴れても、あいつは俺の抵抗なんてもろともせずに、はらわたを掻き回し、そのひとつひとつに触れて感触を楽しむのだ。俺は夢の中なのに痛くて恐ろしくて、泣き叫んでいる。
 毎晩毎晩そんな夢を見続け、次第に夢の中でなくとも、あいつに腹の中を暴かれる想像に取り憑かれるようになった。
 しかし、俺の頭の中のフミヤとは違い、現実のフミヤは学校の廊下ですれ違っても家の近所で鉢合わせても、俺に関心を示さない。
 俺が目を逸らす前に、あいつも見ていなかったふりをする。
 犬猫の死体が頻繁に見つかったのもあの一時だけで、最近はそんな話を聞かなくなった。
 それでも俺は、フミヤに腹を暴かれる夢ばかり見た。
 「犬猫殺してたのってさ、お前?」
 ある日の帰り道。
 真っ先に学校を出てフミヤの家の近くで彼を待ち伏せた。チャリンコに乗って現れたフミヤは、俺を見るとのっそりとチャリから降りる。
 「久しぶりだと思ったら、何だよ急に」
 「殺して触ったんだろ、中身」
 俺は心臓をバクバクさせながら声が震えるのを必死に堪えて言った。
 なのに、フミヤはそんな俺の努力を踏み躙るようにやらしい笑顔を浮かべて不愉快な笑い声を漏らす。
 「お前ってさあ、死ぬほどチョロいな」
 「はぁ?」
 フミヤの反応が想定外のものだったので、俺は素っ頓狂な声をあげた。
 彼は細い目を一層細めて俺に湿っぽい視線を向け、口角の上がりきった顔で言う。
 「動物ごときに、妬くなよ」
 「何言ってんの、お前」
 「自覚ない?お前と俺に力の差なんて、ほとんどねえだろ」
 心臓が、ばくんと一度大きく跳ねた。
 目の前の幼馴染が、恐ろしい悪魔に見える。
 俺の人生を人格をめちゃくちゃに破壊し尽し、俺を俺でなくしようと企てる、最低最悪の悪魔に。
 リョウスケの心配そうな顔と、冷たい目でこちらを見下ろすフミヤの顔が同時に思い出される。早く逃げなくては、と思った。
 そして今後一切、こいつと関わることをやめなくては、と。
 誰も信じてくれなくとも、リョウスケならば信じてくれる。
 フミヤしか味方のいなかっ たあの頃とは違って、今の俺にはリョウスケがいる。
クラスメイトがいる。
 だから、こいつを失ったところで、俺に痛手はない。
 しかし、
 「あがってくだろ?」
 フミヤはそう言って庭にチャリを止めて、自宅の玄関の戸を開けた。
 行くわけねえだろと、言うつもりだった。
 踵を返してチャリに跨り、家に帰ればいい。
 そしてもう二度と関わることもなく、高校を卒業すればいい。
 頭の中ではそうわかっているのに、俺はそれしか選択肢がないみたいに、自分の乗ってきたチャリをフミヤのチャリの横に止めた。
 フミヤが玄関からこちらを見下ろして笑っている。
 恐ろしいと思った。
 思ったが、俺は心の中で頭をもたげ始めた期待と歓喜に逆らえず、黙って彼の家へと足を踏み入れた