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集中すると、時間の感覚がなくなる。
それは昔からで、良い癖なのか悪い癖なのか、いまだに判断がつかない。たぶん、悪い癖のほうだと思う。
東京都O田区O森。自分の部屋。
六畳。机は小さく、やる気だけが無駄に大きい。
狭い机の上には、ネタ帳のノートとペンと付箋。
それから開きっぱなしのタブレット。
お気に入りの、魚の漢字がたくさん書かれたマグカップ。
閉め切ったカーテン。外が夜なのか朝なのかも、もう判断できなかった。
ネタ帳どころか机中に貼られた付箋は、
何を書いたか判別不能のものや、
自分で書いておいて覚えていないものも多く、
もう付箋の意味をなしていない。
タブレットで『春の☆湯煎式』の動画を再生する。
歌、ダンス、トーク…そしてファンサで盛り上げ、締めに握手、チェキ、サイン…アイドルって、やること多いな。
一時停止。巻き戻し。また再生。
「……今の、0.5秒くらいか」
誰に聞かせるわけでもなく、呟く。
独り言が増えるのは、集中している証拠だと思いたい。
決して陰キャの特徴ではない。
「ここ、絶妙な間を取ってる……」
ノートに書く。
えーと、寿司で例えるなら…
──いや、寿司で例えようとするのが、もう安直かもしれない。
アイドルが言いそうで言わないこと…それを見つける為にじっくり観察する。
声のトーン。間。表情。視線。語尾。
動画の再生回数を見て、少しだけ現実に引き戻される。
「……そりゃ売れるよね」
再生回数、百万回の内、私は何回見てるんだろう。
数えるのをやめた時点で、たぶん負けている。
「……そんなに似てるか?」
動画にアップで映るセンターのリソを見つめる。
私のほうが可愛い…わけないか。
覇権取ったアイドルと駆け出し芸人…月と月餅くらい違う。
アイドルなんて全く興味なかったなぁ…それが私と似てる?
同じ格好して踊れって?
無理無理無理無理かたつむり。
などと、とりとめもなく考えていたら、スマホが震えた。
リコからのLINE。
『今日は来んかったな。ウチは、ここで待ってるで』
画面を見つめて、止まる。
え、ちょ、今何時?
ちょっとネタ書いたら午後からでも行こうと…ぅゎ、初めてサボってしまった…。
頭の中で言い訳が三つ浮かぶ。
どれも送信するには、少し情けない。
「ネタがまとまらなくて」
「気づいたら夜で」
「宇宙と交信してた」
三つ目は論外だ。
返信欄に「ごめん」と打って、消す。
次に「今、すごくいいネタができそうで」と打って、消す。
頭を振り、スマホを伏せて、またネタ帳に向き直り、ペンを走らせる。
そのうち、カーテンの隙間から白い光が入り込んできた。
朝だ。
コーヒーは、とっくに冷えている。
一口飲んで、思ったよりまずくて、少しだけ目が覚めた。
ネタ帳は付箋で厚さが3割増。
それでも完成には程遠い。
ネタの断片。オチ未満。ボツ以上。
ネタを考えるのは好きだ。
人と向き合うより、ずっと簡単で、正直で、裏切らない。
スマホを見る。
未送信のLINE。
「……あとで送ろう」
この「あとで」は、だいたい信用できない。
『春の☆湯煎式』の動画を、もう一度再生する。
再生ボタンの位置だけは、完璧に覚えた。
ネタは増えた。
独り言も増えた。
でも、たぶん私は少しだけ、『一人』になった。
──続く