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ガチャ、扉を開く音を鳴らす。フョードルが横に避け、そっと手で玄関を示す、まるで『お入りください姫様』とでも言うように。紳士的な所作に思わず青年は眉を顰める。「いや、わざわざそうしなくても良いんだけど。てゆうか君が入りなよ、家主は君だろ?」
緩慢かつ上品に顔を上げ、青年を紫水晶で捉える。かぱりと口を開き、フョードルは言った。
「いえ、紳士たるもの姫より先に入るなど___」
「姫じゃ無いってば」
顔を顰めて言う、遮ったその声はいじける幼子の様でいじらしい。ふとフョードルは思った。嗚呼、なんだか、いじめてやりたくなる、と。
「ふふ、すみません、貴方の反応が見たくて」
微かにぐしゃりと乱される加虐心、その裏腹にフョードルは柔く笑んだ。青年は不覚にも錯覚する。嗚呼、おうじさまみたい。そんな莫迦な思考を振り払う様に頭を振り、琥珀をずらす。
「なにそれ」
一歩、二歩と玄関に入っていく、カツンと音が響いた。だが、ふと止まる。フョードルがこちらを見てる事にも気付かず、青年の脳に一つの文字が、ポツリと落ちる。
もどれなくなるんじゃ、ないか。
怖がりな私が、私の中の別の私が、涙ながらに言っている、気がする。
「何ボサっとしてるんです、ほら早くお入りなさい。寒いんですよ」
フョードルの声で、はっと意識が浮上する、その刹那。とん、と背中を押され、体が室内の暖かさを感知する。また別の人並みの暖かさが体に当たった、すると、ガチャリ。鍵を閉める音が聞こえた。
嗚呼、そうだね、もうもどれない。
僕が言う、怖がりに云う。弱虫な私は何も言えず、俯いていた。
暫くリビングにて楽にしていろとフョードルに催促され、青年はただソファにぼうと座っていた。ぐるぐる、ぐるぐる、頭が、脳味噌が回る。
これからどうしよう、フョードルに言われた通り天人五衰に所属するか、また別の仕事を探すか、嗚呼、でも空いた2年が怪しまれる、マフィアの経歴を消していたなど言えない。では天人五衰に行くか?だがそれじゃあ約束は、友達との約束は?
無理だよ、どうせ
僕が言った、悲しそうに、忌々しそうに。
僕には無理だ、善い人に成るだなんて。
青年の顔がくしゃりと歪む。
___嗚呼、でも、でも私は。
彼が、織田作が残した言葉を、無かったことにしたく無い。
ぐ、と掌に爪が食い込むくらいに手を握りしめる。そっ、と拳の上に手を重ねられ、弾かれた様に顔をあげると。端正な顔に嵌められた紫水晶に、捕まえられた。
「駄目でしょう、傷になったらどうするんです?」
不機嫌に歪められた声に、眉に、口角に。少し安心感を覚えた。
みている、僕を、観てくれている。
声が脳に鳴る。嬉しそうに、いやらしく。
「せっかく綺麗な手なんだから、お大事になさい」
瞳が輝く、艶やかに、それで居て真っ直ぐに。僕に向かって輝く。妙な優しさを含んだ声が耳をそっと撫でた。綺麗だった、見た事がない程に。
「、、、うん、ごめん」
紅潮した脳から搾り出した声に、フョードルは微笑む。優しく、暖かく。妙な安心感のある笑みに、何故かどくりと胸が鳴った。なんだ、これは。
混乱する青年を他所に、フョードルは立ち上がる。
「分かったなら良いんです。」
「さて、太宰君」
「何?」
「お茶を沸かしておいたので、一緒に飲みましょ」
ぽすり、頭に掌を乗せて。優しく微笑んだ。フョードルは台所に向かい、二人分のコップを持って戻ってきた、青年の隣に腰掛ける。
「どうぞ」
空いた両手にコップが挟まる、掌から伝わる温度が、なんだか心地良かった。
「ありがとう」
口元にコップを寄せる、香るアプリコットが鼻を掠め、ふと柔らかい息が流れた。うとりと青年は目を細める。
「美味しいね、アプリコットティーかい?」
「ええ、知り合いから頂いたのです」
フョードルは紫水晶の瞳を解かし、心地の良さそうな青年を見遣る、陶器の様な美しさに見惚れていた。すっとクッキーの乗った皿を差し出す。
「こちらも貰い物です、お茶をしている時にでもどうぞと」
きらり、青年の目が少し、輝いた気がした。ジャムの付いた物を一つ掬い上げ、彼の口元へ運んでやる。
「ほら太宰君、あーん」
怪訝そうに歪んだ口角にむくれながらフョードルは桃色の唇にクッキーを押し付けた。さく、青年が少し口を開き、小さく食む。リスの様だな、とフョードルは食事中のリスと青年とを重ね合わせ、ふふと愛しげに笑う。青年はフョードルの指先から奪い取ったクッキーを咥えながらフョードルを軽く睨んでいた。
「どうしたんですかそんな顔して、甘いものはお嫌いです?」
「そうじゃないよ、君が僕の顔見て笑うからだろ」
咥えたクッキーをまた持ち替えて、青年はフョードルを軽く睨む、いじけた幼子の様に。
「ふふ、すみません。リスに見えてしまって」
「猫だよ、あんま揶揄うと君みたいな鼠なんか噛み殺しちゃうんだからね」
意地悪に笑って、小さな犬歯を覗かせた、妙に色っぽいな。とフョードルは目を瞬く。すると青年の目が眠たそうに弛んで、うるりと琥珀みたいに輝いた。
「どうしました?眠たそうですが」
「うん、なんか、眠くなってきちゃって」
考えすぎて疲れちゃったのかな、僕にしては珍しい。青年は回り疲れた頭で思い耽る。
「疲れてしまったなら寝なさい、君くらいなら運んでやれますから」
「虚弱はどうしたの、、、まあ良いや、ありがとう」
静かな優しさに青年は瞳を閉ざした。怪しげに笑う男は見えなかった。
気づけば暗い、暗い場所に一人佇んでいた。見渡しても見えるのは真っ暗な空間だけだった。ああ、またこの手の夢か。こんな夢を見るのは初めてじゃない、友人が死んでからよく見る様になった。初めは動揺して歩き回ったり、寝転んだり、誰かいないかと声を掛けた物だったが、五回目くらいには、何も感じなくなった。頭に浮かぶのは、またか、の三文字だけ、不安も何もなかった。だけど、今日はなんだか違う、漠然とした不安を感じていた、心なしかいつもより冷たい、雨も風も、何も無いのに。ふと振り返ると、明るい空間が見えた、暖かそうで、優しくて、眩い光。無意識のうちに歩き出していた、一歩、二歩と。人影が見える、一人、二人、三人、四人。初めましての筈なのに、安心感を覚えた。ねぇ、声を掛けたら。
光が消えた、さっきよりも暗い、真っ暗闇で、四人の見知った彼らが、声を上げた。
殺人鬼め、裏切り者、信じていたのに、なんで貴方なんかが、何故お前がここにいるんだ、最低ですね。
金髪の長身の男、長い黒髪の着物の少女、白髪の虎の少年、緋色の髪の青年。みんなが僕を見て罵倒していた、蔑む様に睨み付けて、忌々しそうに言葉を吐いて。怖くなった僕は、僕を取り囲む彼らを振り払って、走り出した、またあの光を求めて、あの暖かさを求めて、走り出した。どれほど走ったかも分からず、途中で膝から崩れ落ちた。俯いて荒くなった息に、心臓の音に、涙を堪えながら。
太宰君?
聞いた事のある、優しい声を聴いた。弾かれた様にして顔を上げると、丸眼鏡を掛けた友人がいた。心配そうに眉を下げ、僕を見ていた。気づけば涙が止まらなくなって、再び立ち上がって、君に手を伸ばしていた。あと10センチ、5センチ、1センチ。陽だまりに触れそうだった手は、空を掴んだ。
ピシリ、下から音がなる、レンズが割れる音が。バッ、と下に顔を向ける。紅く咲いた血飛沫の上に、丸眼鏡が割れていた。驚いて目を見開いた、蹲ってそれに触れる、破片がぷつりと指を刺した。彼とは違う、黒い血が、赤の上にシミを残す。手が震えた、怖い、怖い、怖い。
嫌だ、いやだよ、あんご
うわ言の様に息で言葉を吐く。視線の先に、赤髪の彼の足が見えた、顔を上げれなかった、見たくなかった、怖かったから。
太宰
優しく掠れた声に名前を呼ばれる。
お前には無理だったな
ひゅう、と息が詰まった。酷く優しい声で、彼にも諦めさせられる。そっと手を握り締めた、爪が食い込んで、黒く染まる。僕はただ嗚咽を溢した、早く覚めてくれと願いながら、ふと頭がぼんやりして、視界が白んだ。薄れる意識の中で、彼が、織田作が何か言っていた。