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「君がシルヴィーか。噂はかねがね聞いていたよ。天使のように優しく、美しい聖女がいるのだとね。あの話は本当だったようだ」
エメリアへ向けていたものとはまた違う、うっとりとして蕩けるように甘いその視線。
シルヴィーが現れてからエドモントは、他の人など目に入っていないんじゃないかと思う程、シルヴィーのことをじっと見ている。
「まあ、そのような噂があるのですか? お恥ずかしい」
「今日はお一人でいらしたのですか?」
「ええ。こういった社交場に出るのは初めてなんです。卑しい出自の私は、どうにも気後れしてしまいますわ」
「それなら僕たちと一緒にいたらいい。ねえ、エメリア」
「えっ?! 本気で言っているの?」
目を剥いて驚くエメリアに、シルヴィーは眉を八の字に下げた。
「それは心強いですわ。でもご迷惑ではないかしら? 御二人は婚約間近なのに、お邪魔をしているようで申し訳ないわ」
「そんなことは無いさ。ダンスを踊ったことは?」
「聖堂のマナーレッスンを受けておりますので、少しくらいなら」
「それなら一曲僕と踊ろう」
「エドモント様!?」
この提案に、エメリアが黙っているわけがなかった。シルヴィーとエドモントとの間に立って、怒りを顕にしている。
「なんだい、エメリア。君とはもう一曲踊ったし、お互い違う相手と踊っても問題はないだろう?」
「そっ、そうですが、 でもっ……!」
「淑女らしからぬ振る舞いは、君らしくないよ。さあ行こう、シルヴィー嬢」
シルヴィーの手を取ったエドモントは、ダンスホールへと歩いていく。互いに顔を見合せながら笑いあっているその様子を、エメリアは肩を震わせながら睨みつけていた。
「エメリア様……」
「最っ低な気分だわ! なによ、急にデレた顔しちゃって。ティナーシェも見たでしょ? 鼻の下を伸ばしちゃって。シルヴィー様もよ。私と彼が婚約するって分かっていたら、普通遠慮するでしょ?!」
確かにエドモント様の目つきの変わりようは酷かったけれど、シルヴィー様は一応、遠慮はしていたしなぁ。
「ここは社交場ですから。エドモント様も人脈を広げようとなさっただけですよ」
「ふん! 向こうがそういうつもりなら、私も人脈作りに励んでくるわ!」
そう言ってエメリアは、ずんずんと人混みの中へと消えていった。
「確かに、今日のシルヴィー様はいつも以上にお美しいわね」
シルヴィーとエドモントとが踊る姿に、男性陣は釘付けになっている。いや、シルヴィーだけにか。
フェロモンみたいな、得体の知れない魅惑の粉でも撒き散らしているかのようだ。女のティナーシェでもそばに寄られただけでドキドキしてしまったのだから、男性ならその感情にそうそう抗えないだろう。
マルスもまた、シルヴィーの方をじっと見ている。
どちらかと言うと観察している?
「マルス」
「ん?」
「マルスも誰か気になる人がいたら、お誘いしてきていいよ」
マルスにも誰かと踊る権利はある。
自分のことは気にしなくていいからと伝えると、マルスはそっとティナーシェの頬に触れた。
「俺がほかの女と踊ったら、ヤキモチ妬いてくれるなら行ってくる」
「なっ……!」
「なんて、する訳ないだろ。その間に俺のティナが、誰かに取られたら大変だからな。しっかり監視しておかないと」
「もうっ……!」
初めはただ噛み付けとだけ迫ってきただけだったマルスは、段々と糖度が増してきている。
その甘さに触れる度にティナーシェも、マルスを欲しくなってしまう。溢れ出す想いを止められなくなる。
「マルス……あのね。少しだけ話をしてもいいかな?」
ここへ来る前から、マルスに話をしようと決めていた。
目を合わせることもせず、伏し目がちに聞いたティナーシェに、マルスは短く「ああ」と返事をした。
人に聞かれたくはない話なので、ホールからそっと抜け出し庭園へ。
ホール周辺の庭園は所々に外灯が設置されていて、真っ暗で前が見えないという程ではない。近くにあったドーム型の屋根をしたガゼボの下へと来ると、長椅子が設置されていた。
「それで、話って?」
ドカッと長椅子に座ったマルスは足を組んで、ガゼボの屋根を仰いでいる。
「私、やっぱりマルスの『真の番』っていうのにはなれない」
「そんなこと言われても、ティナが折れてくれるまで永遠に付き纏うけど? 」
「付き纏ってもいいよ。けど、真の番にはなれないって言うだけ」
「なにそれ」
「お互いに噛み付いて契約を交わすとどうなるのかは知らないけど、でも周りに迷惑をかけることは出来ないし、アルテア様を裏切ることも出来ない」
自分がこれまでずっと持ってきた信仰心を捨てることは容易ではい。それにティナーシェが勝手な行動をすればシルヴィーが言っていた通り聖女と、そしてアルテア教の威信に大きく傷が付く。
「じゃあなに? 俺はティナが他の男と結婚して、仲睦まじくしているとこでも黙って見てろって?」
「違う! 違うよ。そんなこと出来ない。だって私はマルスが……」
喉がきゅうっと締め付けられる。
頭の中には、言ったらダメだという声と、言ってしまおうという声と。
気持ちを伝えたらマルスを混乱させるだけだと分かっていても、結局ティナーシェは止められなかった。
「私、マルスのこと好きになっちゃったから。だから、他の人と一緒になんてなれないよ」
瞳に映るマルスの姿が、目に溜まった雫でゆらゆらと揺れる。マルスは今、どんな顔をしているのだろう? 溢れ出てくる涙で目に見える全てが滲んで霞む。
「今みたいに、側に居るだけじゃダメかな……? 私は誰かを裏切りたくないし、迷惑もかけたくない。でもマルスとはずっと一緒にいたい。そんなの、自分勝手で虫のいい話だって分かってるよ。分かってるけど……」
マルスが悪魔だと分かっている上で、側に居続けてもらうという時点で、既に皆やアルテア様を裏切っている。黙っていれば誰にも分からないから良いなんて考えは、都合が良すぎる。それでもマルスと離れたくないし、ましてや殺すことなど到底出来ない。
「マルスはもう何百年も生きているんでしょう? 少し待っていてくれたら私は死んで、新しい番が現れるから。だから――!?」
突然立ち上がったマルスに腕を引かれ、ティナーシェの身体はマルスの胸元に当たった。
「嫌だ、断る。ティナは勘違いしてるだろ」
ティナーシェの首元に顔を埋めるマルスの声は、腕の拘束とは裏腹に、何処か弱々しく聞こえてくる。
「番と定められた奴なら誰でもいいってわけじゃない。俺はティナと真の番になりたいんだよ」
「ごめん……ごめんねマルス」
なんで私、聖女になんて生まれてきてしまったのだろう。せめて普通の人に生まれてきていたら、地獄に落ちてもいいって思えるのに。
「ごめん……」
謝ることしか出来なくなったティナーシェを、マルスはただ静かに抱き締めた。