テラーノベル
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その日の午前中、滉斗はどこか上の空だった。
エレベーターでの出来事が、頭から離れない。元貴の、あの動揺した顔。自分から目を逸らして、「大丈夫です」と乗り込みを拒否した姿。
(やっぱり、嫌われたかな…)
滉斗は、週末の夜、思わずやってしまった自分の行動を悔やんでいた。
あのキスシーンを見て、感情的になってしまったのは自分だ。元貴にしてみれば、ただの友人関係を壊しかねない行為だっただろう。
ランチタイム。
いつもなら元貴を誘うか、涼ちゃんと一緒に食堂へ行く滉斗だが、今日は気分が乗らず、一人でコンビニ弁当を買ってきて自席で食べていた。
「あれー? 若井、今日は一人?」
涼ちゃんが声をかけてきた。
「うん、ちょっとね」
「ふーん、元気ないね。もしかして、週末に何かあった?」
涼ちゃんは、悪気なく尋ねる。滉斗は、涼ちゃんの勘の良さに苦笑した。
「別に何もないよ」
そう答えたが、涼ちゃんは納得いかない様子で、じーっと滉斗の顔を覗き込む。
「ふうん。ま、いっか! 元気ない若井のために、お土産買ってきたんだ! はい、これ!」
涼ちゃんはそう言って、お菓子の袋を滉斗のデスクに置いた。滉斗は、そんな涼ちゃんの気遣いに、少しだけ心が和んだ。
午後になり、元貴は一息つくために給湯室へと向かった。
コーヒーでも淹れて気分転換しようと、電気ポットに水を注いでいると、背後から明るい声が聞こえた。
「やっほー、元貴くん!」
振り返ると、そこにいたのは涼ちゃんだった。
涼ちゃんは、いつも通り明るい笑顔で、元貴に手を振る。涼ちゃんは、滉斗の友人ということもあり、何度か話すうちに元貴ともすっかり打ち解けていた。
その人懐っこい性格と、たまに出る天然な言動が、元貴は嫌いじゃなかった。
「あ、涼ちゃん。こんにちは!」
元貴も、少し強張っていた表情を緩めて、笑顔で応えた。だが、週末の出来事と、朝のエレベーターでの気まずさが頭をよぎり、すぐに表情が曇る。
涼ちゃんは、そんな元貴の様子にすぐに気づいたようだ。コーヒーを淹れながら、涼ちゃんは心配そうに元貴を覗き込んだ。
「あれ? 元貴くん、なんか元気なくない?…… 若井と喧嘩でもしたの?」
ストレートな涼ちゃんの言葉に、元貴は思わず「ひっ」と小さな声を漏らした。まさか、滉斗との関係を言い当てられるとは思ってもみなかった。
「え、あ、いや、喧嘩とかじゃなくて…」
元貴は、しどろもどろになる。どう説明したらいいのか分からず、視線を泳がせた。涼ちゃんは、そんな元貴の様子をじっと見つめている。
「実は…その、週末に、滉斗さんの家に遊びに行ったんですけど、その時に、あることでちょっと気まずくなっちゃって…」
元貴は、恐る恐る口を開いた。あのキス寸前の出来事については、恥ずかしすぎて涼ちゃんにも言えない。ただ「気まずくなった」とだけ伝える。涼ちゃんは「うんうん」と相槌を打ちながら、続きを促す。元貴は、気まずくなったせいで、滉斗を避けてしまっていること、そして今朝のエレベーターでのことも話した。
「それで、今日会ったら、エレベーターでも避けちゃって…滉斗さん、もう俺のこと嫌いになったと思います。きっと、傷つけちゃったし…」
元貴は、今にも泣き出しそうな声で涼ちゃんに訴えた。顔は真っ赤で、心配と後悔でいっぱいの表情をしている。
涼ちゃんは、元貴の話を全て聞き終えると、フムフムと何度か頷いた。そして、にこっと微笑んだ。
「なるほどね〜! それは、若井も落ち込んでるだろうね。」
涼ちゃんは、まるで他人事のように、あっけらかんと言った。元貴は、涼ちゃんの反応に拍子抜けしてしまう。
「やっぱり、そうですよね…。」
「うーん…若井、顔にすぐ出るタイプだからね。今日だって、なんか元気ないなーって思ってたんだよねぇ」
涼ちゃんは、楽しそうに笑う。そして、元貴の肩をポンと叩いた。
「それにさ、元貴くんも、若井のこと、避けちゃってるって言ってたけど…それって、恥ずかしいからだよね?」
涼ちゃんの言葉が、元貴の胸にストレートに響いた。
恥ずかしい、その通りだ。なぜ避けてしまうのか、自分でも分からなかったけれど、言われてみれば、ただただ恥ずかしかったからだ。
「え…あ、は、はい…」
元貴が小さく頷くと、涼ちゃんはさらに顔を近づけ、優しい声で尋ねた。
「ねぇ、元貴くん。もしかしてさ、若井のこと、好きだったりする?」
涼ちゃんの真っ直ぐな瞳に、元貴は息を呑んだ。心臓がドクン、と大きく鳴る。
好き。
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
滉斗に触れられた唇の感触、温かい手、優しい笑顔…そして、あの時感じた胸の高鳴り。
それら全てが、「好き」というたった二文字の言葉に集約されていく。
今まで、これは友情なのか、それとも偶然の出会いがもたらした高揚感なのか。自分でも分からずにいた感情が、涼ちゃんの言葉によって、はっきりと形を成した。
「……っ!」
元貴の顔は耳まで真っ赤になった。全身から熱が吹き出し、動揺を隠せない。
涼ちゃんは、そんな元貴の反応を見て、にこりと満足そうに微笑んだ。
「んふふ、やっぱりね。僕、分かってたんだぁ〜!」
涼ちゃんの言葉に、元貴は更に羞恥心でいっぱいになる。だが同時に、自分の気持ちに気づかせてくれた涼ちゃんへの感謝も感じていた。
「…どう、すれば…」
元貴は、熱い顔を両手で覆いながら、涼ちゃんに助けを求めた。
その日の業務が終わり、元貴は早々に退社準備を進めた。
自分の気持ちを自覚した今、滉斗と顔を合わせるのは、朝以上に気まずくて恥ずかしい。
フロアの端から滉斗の席をちらりと盗み見ると、まだ彼はデスクに向かっていた。
(よかった…今日は会わずに済むかも…)
ホッと胸を撫で下ろし、足早にエレベーターホールへと向かう。エレベーターを降り、エントランスを通り過ぎ、会社を出たところで、元貴は思わず立ち止まった。
会社の正面玄関から少し離れた植え込みの影に、見慣れた後ろ姿があった。滉斗だ。
滉斗は誰かと電話をしているようだ。元貴は、バレないようにそっと身を潜めようとした。
だが、運悪く滉斗が振り向いた。
「…っ」
二人の目が、再びカッと見開かれた。滉斗は電話を持ったまま、元貴をじっと見つめている。元貴の心臓が大きく跳ねた。
(好き…)
涼ちゃんに言われた言葉が、頭の中に鮮明に蘇る。その瞬間、全身の血が沸騰したように熱くなり、元貴は耐えきれなくなり、くるりと踵を返した。
「っ、元貴!」
滉斗の焦ったような声が聞こえた気がしたが、元貴は振り返らず、足早に人通りの多い大通りへと駆け出した。
背中が、まるで火が付いたように熱い。
恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
自分の感情が、こんなにも露わになるのが怖かった。
元貴に避けられた滉斗は、その場に立ち尽くした。
手から滑り落ちたスマホが、カタンと音を立てて足元に転がる。電話の相手の声が、スピーカーから虚しく響く。
『……切れた…?もしもし、若井?』
滉斗は、呆然と元貴が走り去った方向を見ていた。
朝のエレベーターで避けてきた時とは、明らかに違う。あの時の元貴の視線には、困惑と、ほんの少しの罪悪感のようなものが混じっていた気がした。
しかし、今のは、完全に拒絶だった。
「…今朝より、避けられてる…」
滉斗の声は、絶望的に震えていた。
元貴の「大丈夫です」は、やはり自分への「拒否」だったんだ…。週末の自分の行動が、元貴を深く傷つけ、嫌悪させてしまったのだと、滉斗は確信した。
俺の心は、鉛のように重くなった。
2人とも奥手すぎるから、
みんなもどかしすぎて死んじゃうかもしれない
私はしにそう
コメント
4件
やばいです… さっきまでニヤニヤしてて口角どっかいってたのに帰ってきました
すれ違いすぎる😭😭
私もしにそうです……笑 ですが、この奥手なふたりの行く末をドキドキしながら拝読してるのが楽しいのもあります←ドM魂が擽られます笑