アラインは、倉庫街の最奥──
かつてフリューゲル・スナイダーの
本拠地として機能していた
寂れた鉄骨倉庫の屋上に立っていた。
夜風が金属の壁をなぞり
薄汚れた空気を撫でていく。
天井には雨の跡がまだらに残り
足元のコンクリートは風化し
ひび割れていた。
数ヶ月前までは
〝牙を剥く者たち〟の拠点だったこの場所も
今ではすっかり
古びた亡霊のように静まり返っている。
アラインはフェンス際に立ち
遠くの都市の灯を見やった。
「それにしても⋯⋯」
声が漏れたのは、独り言とも
思考の整理ともつかぬ、曖昧な響きだった。
眼下には倉庫群が連なり
その中には今もなお
記憶を書き換えられた元ハンターたちが
大勢、控えている。
〝ノーブル・ウィル〟という名前で
上書きされた彼らは
今や善意の奉仕者として動いていたが
増え続ける数に対して
用意された資源と居場所には
限界が近付いていた。
「⋯⋯そろそろ
ノーブル・ウィルに変更させた
フリューゲル・スナイダーの子たちも
増えて来たし⋯⋯
住所の偽装も限界があるしなぁ⋯⋯」
アラインは肩をすくめ
ポケットから巻かれた紙束を取り出すと
そこに記された
偽名付きの居住地リストを軽く眺める。
「綺麗な金だけじゃ
残りのメンバーも養えなくなる⋯⋯
マネーロンダリングじゃ
時也にもライエルにも
バレたらうるさく言われそうだしな⋯⋯
今じゃ何処に目があるかわかんないし……」
冗談めかしながらも
その声音には苦笑が混じっていた。
──だが。
その次の瞬間
アラインの足がぴたりと止まり
目が細められる。
「⋯⋯時也の小切手、まだ残ってたよね?」
脳内で、計算式が走る。
利率、減価償却、固定資産税
流動資産、規模、法的逃げ道。
一瞬のうちに数十の選択肢を描き
そして──
導き出した答えに、口元が緩んだ。
「そうか⋯⋯
それで、マンション経営に回そうか」
細い指が空をなぞるように
未来を描き始める。
「家賃収入⋯⋯上層階を住居にして⋯⋯
一階には店舗を展開。
残りのメンバーをスタッフとして斡旋して⋯⋯
夜職でも日中でも働けるようにしておけば
融通が利くし⋯⋯」
既に頭の中では間取りと賃料設定
法人口座の設立手順まで明確になっていた。
「⋯⋯で、成人した保護対象を
〝優先入居〟とすれば
表向きは〝自立支援型マンション〟
行政へのアピールもバッチリ!
んー⋯⋯これは
クラウドファンディング案件だね?」
目が細まり
夜の空に浮かぶ都市の光に視線を滑らせる。
「⋯⋯喫茶桜からの提携⋯⋯販促支援⋯⋯
限定商品⋯⋯
あとは『地域貢献型カフェ』でも設ければ
〝寄付〟の言い訳にもなるし宣伝も打てる。
ふふ、これなら──
時也も、納得するかな?」
〝彼〟を欺くのではない。
──納得させる、ための演出。
アラインの目には、もはや冷酷も激情もなく
ただ静かな企図と計算の色が宿っていた。
「よし⋯⋯忙しくなるかもねぇ?」
小さく笑ったその声は、夜の風に紛れ
廃墟の静寂の中へと溶け込んでいった。
そしてその時、彼の影はもう──
ただの〝王〟ではなかった。
〝仕組まれた善〟の舞台監督として
静かに次なる幕を開けようとしていた。
「それに⋯⋯孤児院の宿直室だと
ベッドも大きいの置けなくて
辛かったんだよね」
アラインは倉庫の屋上から見える
遠くの街の灯りを眺めながら
ぽつりと呟いた。
小さな溜め息をひとつ、口元から零す。
ふかふかの羽毛布団も
しっかりしたマットレスも
寝返りを打っても
軋まないベッドフレームも──
あの宿直室にはなかった。
ライエルが寝るには事足りても
アラインの神経質な体には
あの硬い簡易ベッドは〝拷問〟に等しい。
「Schwarzと孤児院の〝中間〟に建れば──
うん、それなら仕事の動線も完璧。
勤務後も移動時間短縮!
最高だよね。
ふふっ、ベッドのための資本主義⋯⋯
悪くない」
アラインは
ポケットから取り出したメモ帳に
自筆のラフ図をさらさらと描き足した。
その中には、自室の寸法と想定レイアウト
ベッドのフレームサイズ、壁の厚み
遮音素材の型番までが書き込まれていた。
「よし、明日からキリキリ働こうかな!
ベッドのためにも!」
その声には、どこか本気の熱量があった。
不死鳥の涙よりも、他者の支配よりも
彼にとって──〝完璧な休息〟は
何よりも尊いのだ。
夜風が再び吹き抜ける。
倉庫の屋上には
アラインの小さな決意だけが
ふわりと残された。
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