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記憶の中に居る両親たちはいつも冷たい眼差しを向けてきた。友達と呼ばれる人も、道行く人も、学校の先生もみんな、私を憐れむような視線を向けてきた。助けはせず、ただ見つめるだけ。
時々通う教室の角で聞く同級生たちの話のネタにされるのはあまりいい気分ではなかった。
過去なんてだいだいそんなもの。だからいつからか自然と過去の事は忘れるようになった。
“アノ子”の事だって、もうほとんど思い出せない。白い膜がかかっているかのようにぼんやりとしか見えない彼の顔、ノイズ音が混じる彼の声。
「ほら、くっついたらもう寒くねェだろ?」
そう言って笑ってくれた“アノ子”は誰なのだろうか。
「大人になったら絶対に迎えに行く。約束。」
その瞬間頭が割れるように痛み出す。溢れ出てきそうになる感情から必死になって逃げ回る。
逃げ回って、逃げ回って、白い光がもれる方へ足を踏み込む。
「○○ちゃん!!」
その瞬間、自分を呼ぶ声が頭の中で壊れた拡声器のように大きく響く。
段々と空腹感と共に意識が浮上してくる。ズキズキと痛む喉を押さえ、私は体を起こす。
『あ、れ…私……』
言葉を紡ごうとした途端、口が不自然に痺れその先の言葉が続けられない。喉に何かがくっついているような異物感が残っている。
ゲホッと何回が咳払いをしてみてもその異物感は取り出せない。
「大丈夫か!?すまねぇ…。オレが余計なこと言ったせいで…。」
鶴蝶さんの安堵の籠った声が耳に流れ込んでくる。その途端、寝起きでぼんやりとしていた頭の中に段々と光を差していき、霧が晴れていく。
『…そっか、私……』
ぽつりと掠れた声でそう呟き、記憶を辿るとあの時のイザナさんの表情や言葉が稲妻のように頭を駆け巡る。首を絞められた時の感触が妙に生々しく脳裏と身体に深く焼き付く。
『もう大丈夫…です、気にしないでください…』
縺れる声を繋げ、痛む喉を無視し必死に言葉を紡ぐ。声を出すのがこんなにも困難に思える日が来るなんて夢にも思わなかった。
じりじりと痛みが喉に集中攻撃してくる。寝起きでぼんやりする脳で考える。
イザナさんがあんなことした理由。いくら考えても分からなかった。それ以前に直前の記憶が曖昧で頼りにならなかった。
『…あれ…そういえば、イザナさんは…?』
痛むこの首を動かすのが何となく怖くなって目だけを動かして辺りを見渡す。だけど探しても、探してもイザナさんの姿は見えなかった。
「ちょっと風に当たってくるって言ってそれっきり」
『そう、ですか。』
イザナさんが居ないことに安堵してしまう自分が居ることに気づく。
まぁあんなことされたし当然か、と結論付けることでその話は終わった。
「首、赤くなってンぞ……」
『わぁマジですか』
鶴蝶さんに渡された鏡に映る自分の首元の赤黒い痣に「うわぁ」と何とも言えない呻き声が零れる。痛みもだいぶ引いてきたし喋りにくさもなくなってきたんだけどなぁ、と思いながら自分の喉を優しくさする。触ってももうこれといった痛みは感じない。
「『……』」
それからお互い喋ることも無くなり、少しの間、静かな沈黙が私たちの間を支配した。
「…そういえばちゃんと自己紹介してなかったな。」
変に辛い静かさに気まずさを感じ始めたその瞬間、沈黙を埋めるように鶴蝶さんが口を開く。
「オレ鶴蝶、14。」
『え、年下?』
14という言葉が頭の中で木霊する。こんなに大きくてしっかりしている子が年下?と稲妻に打たれた様に驚く。それと同時に謎の敗北感が襲う。
『私、15歳です。』
「嘘だろ年上?」
意外だという風に目を見開き驚く鶴蝶さんがなんだか面白くて、つい笑みが零れる。
久しぶりに笑ったなぁ、と唇のすき間から流れる自分の笑い声を聞きながら頬が引きつる感覚にそう思い出す。
「あ、そうだ。飯食うか?買って来たけど○○ちゃん気ィ失ってるし、イザナどっか行くしで忘れてて…」
そう言ってガサコゴとレジ袋から何個か色々な種類のパンやおにぎりを取り出す鶴蝶さん。
空腹で苦しささえも感じるなか食べ物が目に入った瞬間、お腹が微かにぐぅと情けない音を発する。
『た、食べていいんですか?』
「あぁ」
笑顔でそう頷かれ、恐る恐るすぐそばにあったアンパンに手を伸ばす。
そのままパンを包んでいる袋を破り、柔らかいパンを取り出し小さくかぶりつく。
その途端、あんこの甘さが空っぽの胃に染み渡るように広がり、あまりの美味しさに頬を綻ばせる。
『美味しい…』
口が勝手にそう呟けば、ふと脳裏に初めてイザナさんと食事をした時の光景が浮かび上がった。
イザナさんが用意してくれたご飯が美味しすぎて泣いちゃったんだっけ、と思い出しパンで口元を隠すようにして小さく笑みを零す。初めて誰かと一緒に食事をした、あの日の嬉しさは今もずっと胸に深く残っている。
自分を求めてくれる人がいる事が、自分を好いてくれる人がいる事がこんなにも幸せだということをイザナさんと出会っていなかったきっと私は知らなかった。
この幸せを噛み締める様に私は手に持っているアンパンに再度かぶりつき、心置きなく味わった。