テラーノベル
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その日。
阿部は目黒の帰りを待ちながら、夕食で使った食器を洗っていた。
「あとこれで終わり。」
鼻歌を口ずさみながら最後のグラスを手に取る。
その瞬間だった。
「っ!」
手が少し滑り、グラスがシンクの縁に当たる。
――パリン。
乾いた音とともにグラスが割れた。
「うわっ!」
慌てて破片を拾おうと手を伸ばした瞬間、鋭い痛みが走る。
「いっ……!」
左手首を見下ろくと、赤い血がじわりとあふれ始めていた。
切れた場所は手首の内側。
細長く一直線に入った傷は、まるでリストカットをしたようにも見えてしまう。
「え……。」
阿部は一瞬、言葉を失った。
「まずい……。」
急いで水で洗い流し、タオルを押し当てる。
「めめに見られたら絶対勘違いされる……!」
そう思った矢先――。
ガチャ。
玄関のドアが開く音がした。
「ただいま。」
目黒が帰ってきた。
「あべちゃん?」
返事がないことを不思議に思い、リビングへ向かう。
そこで目に飛び込んできたのは、床に散らばったガラスの破片と、血で赤く染まったタオルを押さえる阿部の姿だった。
そして、その手首。
目黒の顔色が一瞬で変わる。
「あべちゃん……!」
「めめ、違うの!」
阿部は慌てて説明しようとする。
「グラスを――」
「喋らなくていい!」
目黒が珍しく強い口調で言葉を遮った。
その声に阿部はびくっと肩を震わせる。
目黒は震える手でタオルを押さえ直し、応急処置をしながら必死に傷を確認する。
「大丈夫だから。」
「今すぐ病院行こう。」
「でも、本当にこれは――」
「お願いだから。」
「今は何も言わないで。」
目黒の声も震えていた。
阿部はその表情を見て、胸が締めつけられる。
(勘違いしてる……。)
(早く違うって言わなきゃ。)
しかし目黒はそのまま阿部を抱き上げ、急いで車へ乗せた。
___________
病院までの道のり。
車内には重苦しい空気が流れていた。
目黒はハンドルを握る手に力が入っている。
信号待ちのたびに助手席の阿部を何度も確認する。
「あべちゃん……。」
「俺……。」
阿部が口を開く。
「グラスが――」
「無理して話さなくていい。」
目黒は前を向いたまま、小さく首を振る。
「何があったのかは後でいい。」
「今は傷を診てもらうことだけ考えよう。」
「だからっ……。」
阿部の言葉はまた途中で遮られた。
目黒の横顔は青ざめ、唇を強く噛み締めている。
その表情を見た阿部は、自分の胸が苦しくなるのを感じた。
(完全に勘違いしてる。)
(俺がリストカットしたって思ってる。)
(早く、本当のことを言わなきゃ。)
焦れば焦るほど頭が真っ白になる。
傷から出血したこともあり、視界が少しずつ霞み始めた。
「めめ……。」
「俺、本当に……。」
言葉の途中で景色がぐらりと揺れる。
耳鳴りがして、身体から力が抜けていく。
「あべちゃん?」
目黒が慌てて助手席を見る。
阿部は返事をしない。
青白い顔のまま、静かに意識を失っていた。
「あべちゃん!!」
目黒は血の気が引いた顔で阿部の名前を呼びながら、病院へ向けてアクセルを踏み込んだ。
___________
どれくらい眠っていたのだろう。
阿部はゆっくりと目を開けた。
白い天井。
規則正しく鳴る心電図。
病室特有の消毒液の匂い。
「……ここ。」
ぼんやりと周りを見渡す。
ベッドの横には目黒が座っていた。
その隣には岩本、深澤、宮舘、渡辺、佐久間、康二、ラウール。
メンバー全員が病室に集まっていた。
そして――。
「あべちゃん……!」
目黒が涙を浮かべたまま阿部の手を握る。
「よかった……。」
「目、覚めた……。」
その声をきっかけに、病室の空気が一気に動く。
「あべちゃんっ……!」
佐久間は目を真っ赤にしながら泣き出し、
「ほんまに心配したんやから!」
康二も目を潤ませている。
渡辺も鼻をすすりながら俯いていた。
「……よかった。」
普段強がる渡辺まで泣いている姿を見て、阿部は驚いた。
病室はまるでお通夜のような重たい空気に包まれていた。
「みんな……。」
阿部はゆっくり身体を起こそうとする。
「起きなくていい!」
目黒が慌てて身体を支える。
「まだ安静にして。」
「でも俺――」
「ごめん。」
目黒は震える声で言った。
「俺、気付いてあげられなくて。」
「一人でそんなに苦しかったなんて。」
阿部は目を丸くする。
「違う!」
慌てて否定しようとする。
「俺、これはグラス――」
「あべちゃん。」
今度は深澤が口を開いた。
「一人で抱え込まなくていいんだよ。」
「相談してくれればよかったじゃん。」
「だからっ、違っ!」
「俺たち家族みたいなもんなんだから。」
佐久間も涙を拭いながら言う。
「辛かったなら言えよ!」
「違うの!」
阿部が何度説明しようとしても、みんな心配するあまり最後まで話を聞いてくれない。
「あべちゃん。」
目黒は阿部の手を強く握る。
「もう一人で苦しまないで。」
「お願いだから。」
阿部は思わず頭を抱えた。
(違うんだってば……!)
(誰か最後まで聞いて……!)
病室には再び重い空気が流れる。
そんな中、今まで静かに様子を見ていた岩本がゆっくり口を開いた。
「阿部。」
「一つだけ聞いていいか。」
阿部はすぐに頷く。
「うん!」
「どうしてリストカットした?」
その質問に、阿部はようやく最後まで話せると思った。
「違うの!」
「リストカットじゃないの!」
病室が静まり返る。
「え?」
全員の声が重なった。
阿部は勢いよく説明し始める。
「お皿洗ってたらグラス割っちゃって!」
「切れた場所がたまたま手首の内側だっただけ!」
「説明しようとしたら、めめが全部遮って病院連れてきたんだよ!」
病室は数秒、完全な沈黙に包まれた。
そして全員が一斉に目黒を見る。
目黒は固まったまま瞬きを繰り返す。
「……え?」
「グラス?」
阿部は何度も頷く。
「そう!」
「最初からそう言ってた!」
「『グラスを――』って。」
目黒はその時のことを思い返す。
確かに阿部は何度も何か言おうとしていた。
しかし、自分が全部遮ってしまった。
「あ……。」
目黒は両手で顔を覆う。
「俺……。」
「最後まで話聞いてなかった……。」
深澤は大きくため息をついた。
「なんだよそれぇ……。」
佐久間はその場にへたり込む。
「寿命縮んだ……。」
康二も胸を押さえながら苦笑いする。
「ほんまにびっくりした……。」
渡辺は力が抜けたようにベッドへ突っ伏した。
「……よかったぁ。」
宮舘も安心したように微笑む。
「誤解で本当によかった。」
ラウールはほっと胸をなで下ろした。
岩本は額に手を当てながら苦笑する。
「今日は全員疲れたな。」
その一言に、病室中から苦笑いが漏れた。
目黒は改めて阿部の前に座り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あべちゃん。」
「ごめん。」
「ちゃんと話を聞かなくて。」
阿部は少し困ったように笑う。
「俺も。」
「もっと最初に大きな声で『グラス!』って言えばよかった。」
二人は顔を見合わせる。
そして同時に小さく笑った。
張り詰めていた空気がようやくほどける。
安心した途端、目黒は椅子にもたれかかり、大きく息を吐いた。
阿部も疲れたように枕へ頭を預ける。
病室にいたメンバー全員が、同じように安堵の息を漏らした。
誤解は解けた。
けれど、その誤解だけでこれほど心がすり減るほど、阿部はみんなにとって大切な存在なのだと、誰もが改めて実感した一日だった。
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コメント
1件
あらら、まさかのグラス誤解コメディ(笑)! 阿部が何度も「グラス!」って言おうとしてるのに、みんなが心配で遮っちゃう展開、読んでて「言わせてあげてー!」って叫びたくなりました。特に最後に岩本が真面目な顔で「どうしてリストカットした?」って聞いた瞬間のずっこけ感、好きです。 みんなが阿部を大切に思ってるからこその勘違いで、笑いと温かさが混ざった素敵なエピソードでした!