近頃、巷ではある噂が流れている。
自分が困った時、極端に言えば命の危機がある時、一人の青年が助けてくれるというもの。
信憑性は極めて低いが、いつからか語られるようになった話。
所謂、都市伝説と言うやつだ。
彼に助けてもらうには合言葉が必要であり、呟くだけでいいのだとか。
その合言葉こそ―――
「10or11」
――シーン……。
辺りを静寂が包む。
「なんもなんないじゃなん!!」
「なんだあ、やっぱり嘘じゃないか」
「噂は噂ってことかな」
「まあまあ、たまたまかもしんないし」
夜が更けた頃、コンビニの明かりの下に集まった4人の少年たちは、こぞって不満を漏らしていた。彼らの目の前には、先程隣のコンビニで購入したオカルト雑誌が開かれている。そのページには、大きな見出しでこう書かれていた。
『巷に現れた救世主!!呟くだけで現れる!?』
と。
「呟いただけで解決って。Twitterじゃないんだから」
「その呟くじゃないでしょ」
「でも読み方合ってるよね?『テン・オア・イレブン』」
「うーん。せっかく買ったのにこれじゃあなあ」
「噂は噂だからこそいいんじゃない?」
「でも単なる噂だったら雑誌に載らないんじゃないかな?」
「そうかなあ」
「だってホラここに書いてるじゃんか。『目撃者、助けて貰った人多数』って」
「あ、ホントだ」
「じゃあ本物なのかな」
「でもさあ、雑誌って盛るじゃんか」
「まあ、そんなもんじゃない?」
少年たちの会話が佳境に入ろうとした時、携帯電話の通知が鳴り響いた。
「げっ!!」
「どしたの?」
「ママからだ。『ジュース買いに行く割に遅いんじゃない?もう10時だけど』だって!やっべ!」
「マジ!?10時!?」
「補導の対象になるかもな」
「お前冷静すぎだろ!補導はヤバいって」
「土日はさむとしても月曜絶対なんか言われるなあ」
「主任怖いんだから!!早く帰ろうぜ!!」
「そうだな!!じゃあまたな!!」
4人の少年たちは足早にその場を後にし、金曜の人混みの中に消えていった。
街灯の灯りを頼りに、人通りのない道を走る少年。
母親から早く帰ってくるよう催促のあった、あの少年だ。
手には先程の雑誌が握られている。
(もう10時だったのかよお。この雑誌に夢中になったせいだな)
そんなことを考えながら、家へと急いでいる。
が、そろそろ体力が限界を迎えようとしていた。
「はっ……はあ。くそっ。疲れたあ。」
減速し、ついに歩き始めた少年。どうやら体力が底をついたようだ。かなり遠い所から慌てて走ったせいなのだ。無理もないだろう。
(それにしても、なんも起こんなかったなあ)
先程のことを思い出し、落胆しながら歩を進める。
(面白くなると思ったのになあ)
(中学のみんなに自慢出来ると思ったのに、うーん)
同じ問いを繰り返しながら歩く少年。
考えながら歩いていたせいだろうか。
その後ろに人影が近づいていることを、彼は知る由もなかった。
後ろの人影が距離を詰め、ついに少年の肩に手をかける。
振り返る少年。
その目の前にはマスクに黒帽子のいかにも怪しい男が立っていた。下に視線を落とすと、手にはカッターが握られている。おそらく通り魔か愉快犯だろう。
この間、わずか3秒。
恐怖で腰を抜かし、声も出せない少年。その拍子に手に持っていた雑誌が落ち、先程皆で眺めていたページが開かれた。
できるのは座ったまま後ずさることのみ。
その時、少年の脳内には死、という文字が浮かんだ。
(え、俺ここで死ぬの?)
(中学生で?)
(まだ少ししか生きてないのに)
(もう?)
(なんで俺なの)
(あの時早く帰っていれば)
(なんで)
(そもそも雑誌なんて買っていなければ)
様々な思いを巡らせながら後ずさる。が、逆に塀に追い詰められてしまった。男は歩を進めてくる。
「助けっ……て」
必死に震えた声を絞り出す。が、それも夜の闇に吸い込まれていった。
(もう……ダメなのか?)
(あれを買っていなかったら……ん?)
遠くに落ちた雑誌。目に飛び込んできたのは、先程のページ。
(確か、合言葉)
(でも)
そう考えているうちに、男がすぐそこに。
(っ…..もうどうにでもなれ!!)
震える手足。きっとまた声も震えるに違いない。
でも――。
少年はダメもとで、しかし助けを求め大きな声で叫んだ。
瞬間、無風だったはずの夜に風が吹き抜けた。
優しい風。
少年は思わず目をつぶった。
「おっ!?うわっ!!」
反対に狼狽えた声。男のものだった。
「なんだお前!!?どこからっ!!!?っあ…..痛っ!!」
男はなおも怯えた声色で話し続けている。
――カラン…….
音を立てて刃物が男の手から滑り落ちた。
(……あれ?なんともない?)
(誰か…….いる?誰と話して…….?)
恐る恐る目を開くと、全身黒ずくめのさっきの男とは別に、目の前にもう1人いるのが分かった。
明るい茶色のベストを着た、白髪の青年。
背を向けているため顔は分からないが、紫の手袋をした手で男の腕を捻りあげている。
「痛たたた!!痛えって言ってんだろ!!」
男がもう片方の腕を振りかぶる。が、その腕も青年によって制されていた。
「痛くしているんだから、当たり前でしょう」
優しい声色。しかし僅かに、ほんの僅かに怒りが込められた声。青年のものだった。
怯える男とは対照的に、青年からは余裕が感じられる。その背中は、とても頼もしく思えた。
少年は直感的に、先程の風が青年なのだと思った。理屈は分からないが、きっとそうなのだろうと。
――ドスッ
青年の拳が男の腹にめり込む。
「うっ!!?」
その場に苦しそうに倒れ込む男。構わず青年は声をかける。
「どうします?警察にでも行きますか?」
「えっ…..?」
「何を驚いているんです。こういう場合はそうでしょう」
この問いには少年も驚いた。この場合、問答無用で警察に差し出すのが普通だと思っていたからだ。
「僕はあくまで彼を助けに来たまで。あなたがどうしようと知ったことではありません」
流石に男も驚いたようだ。
「ってえ……。ってか、お前どこから……何も――」
「では、貴方はどうしたいですか?」
男の問いを遮り、青年は初めて少年の方を振り返った。
真ん中で綺麗に分けた白髪に、手袋と同じすみれ色に似た紫の瞳。はっきりした顔立ちの男。
人間離れしている。
少年はそう思った。
(でも、今時カラコンとか、染めるとか)
などと考えていると、頭上から
「大丈夫ですか?」
と声がかけられた。
「あ……大丈夫です」
「なら良いのですが」
青年の問いに答えなかったために、心配されてしまったようだ。
「それで、この人どうします?」
「…….警察に通報しようと思います」
「そうですね。そうしましょう」
まるで最初から通報するつもりだったかのような口ぶりだった。
その後はとても忙しかった。警察に通報するのも野次馬に囲まれるのも、何もかもが初めてだった少年にしてみれば、あっという間だったかもしれない。
警察に引き渡された男は腹に拳が入ったせいだろうか、終始大人しかった。その後、少年と青年は揃って事情を聞かれた。どうやって助けたのか、など。
青年は「近くを通りかかった際、助けを求める声が聞こえた」と答えていた。
(助けてなんて言ったっけ?)
と思ったが、話がややこしくなりそうだったため、その言葉は飲み込んだ。
それに、あの優しい風こそが青年だと謎の確信があった。
警察が引き上げ、野次馬も去った頃、青年は言った。
「では、握手して頂けますか?」
そう言うと、慣れたようにボタンを外し、手袋を脱ぐ。そこにはとても白い、悪く言うなら血行不良のような色の手があった。
「握手…….ですか?」
「ええ。僕はこれで契約完了としているのです」
「契約…….?」
(もしかして、あの雑誌の話?)
少年は、今に至るまであの話に関して半信半疑だった。しかし、合言葉を叫んだことにより来たというのも事実だろう。となると、あの話は本物だったことになる。
(オカルトがほんとだった…?でも握手なんて書いてなかったような)
未だに現実味を帯びない話。気が動転しすぎて考える間もなかったのだが、落ち着いてくると色々疑問が浮かんでくる。
しかし、助けてもらったのも事実。
少年は言われるがまま手を差し出した。
「では」
―ギュッ
「わっ!?」
思わず声が出てしまった。
手が、とても冷たかったのだ。
今まで冷え症の人の手を触ったことはあるが、その比にならないぐらい、冷たい。
「ああ、申し訳ありません。手がとても冷たいとよく言われるのです。驚かせてしまいましたね」
「っ、そうなんですね。大丈夫です」
少し長めの握手を終え、青年の手が離れた。
「では、僕はこれで」
「っ、あの!!」
夜の闇に消えようとする青年を呼び止める。
聞きたいことは沢山あった。
どこから来たのか。
名前はなんというのか。
本当に雑誌のあの人なのか。
そもそも、なんでここが分かったのか。
しかし、少年は溢れてくる全ての疑問を胸にしまって
「ありがとうございました!!」
とだけ、大きな声で言った。
振り返った青年は、その言葉を聞くと満足そうな笑顔を浮かべて、今度こそ闇の中に消えていった。
――これは、この町に流れている噂の、ほんの序章に過ぎなかった。
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