テラーノベル
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白い世界が、崩れ始めていた。
それは崩壊というより、
**「定義を失っていく」**という現象に近かった。
地平線を埋めていた無数の記録板が、
一枚、また一枚と
文字を失い、色を失い、
やがて“意味”そのものを落としていく。
管理機構《オルド・ファトゥム》の円環は、
不規則に脈打ち、
もはや完全な形を保てていない。
「……システム矛盾、拡大」
「世界線安定率、急落」
「原因――
自由意志の重複選択」
声は、
もはや無数ではなかった。
削ぎ落とされ、
掠れ、
恐怖に近いノイズを帯びている。
ノアは、
ルミの前に立ったまま、
彼女を背に庇っていた。
「……来るぞ」
彼自身も、
何が来るのかは分からない。
ただ――
**“戻れない”**ことだけは、
はっきりしていた。
ルミは、
ノアの背に手を当てる。
「ねえ……」
「私、怖い」
その声は、
子どものように正直だった。
ノアは、
一瞬だけ目を伏せ、
それから低く答える。
「……俺もだ」
「でも」
「君が、ここにいる」
「それだけで……
前に進める」
ルミの指が、
わずかに強く握られる。
「……一緒に、落ちるってこと?」
ノアは、
振り返らなかった。
「落ちるんじゃない」
「行くんだ」
「運命が、
触れられない場所へ」
その瞬間――
円環が、
完全に裂けた。
白い光が弾け、
代わりに現れたのは、
底知れぬ“影”。
深淵。
だが、
恐怖より先に、
ノアは“既視感”を覚えた。
(……ああ)
(ここか)
運命喰らいの声が、
影の奥から響く。
(ようやく、
ここまで来たな)
姿は見えない。
だが、
確かに“見られている”。
(選択を重ね、
観測を裏切り、
管理を壊した)
(――人間)
(いや)
(もはや、
どちらでもないか)
ノアは、
剣を構えた。
「お前が……
運命喰らいか」
低い笑い。
(そう呼ばれていた時代もある)
(私は、
“失敗作”だ)
(運命を食らい、
世界から排除された存在)
(だが……
君たちのおかげで)
影が、
ゆっくりと形を持ち始める。
無数の“断片”が集まり、
人のようで、
人ではない輪郭を作る。
(管理機構が壊れた)
(代替核も、
成立しなかった)
(つまり――)
(世界は、
次の秩序を必要としている)
ルミが、
小さく息を呑む。
「……ノア」
「この人……
世界を――」
ノアは、
静かに頷いた。
「喰うつもりだ」
影が、
楽しげに応える。
(理解が早い)
(さあ、ノア・アークレイン)
(最後の選択だ)
(私と融合し、
新たな“運命”になれ)
(そうすれば、
彼女も守れる)
(世界も、
救われる)
ノアの胸に、
重い沈黙が落ちる。
あまりにも――
合理的な提案。
ルミを守れる。
世界も壊れない。
だが。
ノアは、
ゆっくりと首を振った。
「……それは」
「“選ばされる”選択だ」
影が、
ぴたりと動きを止める。
「俺はもう、
それを拒んだ」
「運命でも、
秩序でもない」
「――俺は」
ノアは、
ルミの方を振り返る。
彼女は、
不安と決意が混ざった瞳で、
彼を見ていた。
「彼女と、
一緒に在ることを選ぶ」
「それだけだ」
ルミの目から、
涙が溢れる。
「……ノア……」
影が、
低く唸る。
(愚かだ)
(だが――)
(だからこそ、
興味深い)
影が、
一歩、退いた。
(ならば、
証明しろ)
(運命なき世界で)
(それでも、
互いを呼び続けられるか)
深淵が、
口を開く。
引力が、
二人を引きずり込む。
ルミが、
叫ぶ。
「ノア!!」
ノアは、
彼女の手を掴み、
強く引き寄せた。
「離すな!!」
二人の身体が、
影に呑まれる。
光も、
音も、
時間も失われ――
ただ、
互いの存在だけが残る。
闇の中。
ノアは、
必死に声を出した。
「ルミ!!
聞こえるか!!」
返事は、
遅れて届いた。
「……聞こえる……」
「でも……
あなたが……
遠い……」
ノアは、
歯を食いしばる。
「呼べ!!」
「名前を呼べ!!」
「俺も、
呼び続ける!!」
闇が、
二人を引き離そうとする。
それでも。
「ノア!!」
「ルミ!!」
声が、
重なる。
何度も。
何度も。
運命も、
管理もない世界で。
それでも――
名を呼ぶという行為だけが、
二人を繋ぎ止める。
遠くで、
影が呟いた。
(……なるほど)
(これが、
“Fate”の残滓か)
闇が、
裂け始める。
世界が、
まだ形を持つかどうかは、
分からない。
だが。
二つの声は、
確かに――
同じ方向を向いていた。
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