テラーノベル
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教室に、また笑い声が響いていた。
昼休みも終わりかけの、だらけた時間。
女子たちの話し声の合間に、いくつかの名前が──わざとらしく──出される。
「蓮司」「あれ」「あの顔」「ほんと飽きないよね」
遥の名前は、あえて口に出さない。
でも、全員がそれを知っている。
遥は、気づかないふりをしていた。
視線を宙に泳がせ、机の端を指でなぞっていた。
誰かが、自分の“恋人ごっこ”を笑っている。
──それでいい。それを望んだ。
でも、心は別のところで、静かに擦り切れていた。
「……おまえ、最近、笑い方下手だな」
ぽつりと、その声が耳に落ちた。
振り向くと、そこに日下部がいた。
立ったまま、ノートも持たず、ただ遥を見ていた。
「何、急に」
反射的に返す。
できるだけ素っ気なく。
でも声が少しだけ掠れていた。
日下部はそれを見て、何も言わずに目を細めた。
それだけで、遥は息が詰まる。
──見ないで。
──でも、見捨てないで。
矛盾が喉元に絡みつく。
「帰り、どこ行くんだっけ? 蓮司と」
「……なんで、おまえに教えなきゃなんねーの」
「いや、別に。聞いただけ」
日下部はそう言って、目を逸らした。
その視線は、どこか、遥の背中の奥まで届いてしまうようで。
遥は立ち上がった。
「……ウザ」
そう吐き捨てて、教室を出ていく。
その背中を、日下部は追いかけなかった。
ただ、一歩だけ、微かに足が動いて、止まった。
廊下の先で、遥が振り返った。
ほんの少し、だけど──
日下部を待ってしまった自分に気づいて、すぐに視線を外す。
(──もう、わかんなくなってる)
何を求めてるのか。
誰に信じてほしいのか。
なぜこんな嘘を、まだ続けているのか。
その夜。
蓮司の部屋。
例の“演技”が終わったあと、遥はぼんやりと天井を見ていた。
「ねえ、遥」
蓮司が、枕元で指を這わせながら言った。
「……そろそろバレるんじゃない? “全部、嘘です”ってさ」
遥は答えなかった。
「日下部の前で、そんな顔すんなよ。……壊れてんの、見え見え」
「……俺は、別に……」
言葉が喉で詰まる。
蓮司は笑った。
「そういうとこ、かわいくなくなったね」
遥は、顔を背けた。
蓮司の指が、頬を撫でた。
「でも、俺は好きだけど。壊れてくほうが、見てて面白いし」
──逃げられない。
もう、どこにも。
けれど、頭の奥で微かに残る視線がある。
あの、教室で黙って立っていた日下部の目。
なにも言わず、なにも触れなかったあの気配が、
遥のなかの、最後の“演技できない場所”を静かに揺らし続けていた。
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