夏も間際の湿気を孕んだ風が木々を揺らす。その風に乗って、終業のベルが鳴った。
笑い声のようにも聞こえる、木の葉のせせらぎの隙間に少年はいた。
幹から枝分かれた枝の上で静かに佇んでいる。いつでも動けるように片足を立てた状態で座っている姿は、獲物を待つ獣さながらだった。
指先だけは、彼の耳に付いている無線型のイヤホンをコツコツと叩き忙しない。
眼鏡の奥に潜む瞳は一点を見つめていた。目線の先にある少し寂れた門は、人の出入りが疎らだ。
恐らく大多数の生徒は部活動に励む時間だろう。
少年が目を瞑り、深く息を吐いた。目を開くと瞳は金色に変貌している。
髪がチラチラと輝き、風が吹くように浮き上がった。
「あー、こちらおんりー
裏門配置着きました」
トン、とイヤホンを再度叩く。砂嵐のようなノイズ混じりの聞きなれた声が直に耳に入る。
『お、聞こえる』
「…ホントこのポンコツいい加減直しません?」
『だってさ、MEN』
『学校の備品じゃ無理だっておんりーに伝えといてください、ドズルさん』
くぐもった声色に、このポンコツ機械の開発主である男がマイクよりも少し遠くにいることが分かった。遠くに居たとて、おんりーの声が向こうには筒抜けであることくらい知っている。
ち、とわざとらしく舌を打てば、MENと呼ばれた男が「ブランド品でも持ってきてくださいますぅ?」と憤慨した様子で声を上げた。
「それはドズルさんに頼んでよ」
『ドズさぁん』
猫なで声で言ったところで、バリトンの声色では随分可愛げが無い。
『それは無理』
撃沈したMENの声が聞こえなくなったということは、あらかた拗ねてしまったのだろう。
ノイズの音に乗って、仰々しく咳払いの音が届く。全員が口を噤んだ。
『んんんっ、あ〜あ〜、こちらぼんじゅうる
標的、校舎から出たよ
表門に向かってる』
葉の隙間から屋上を見上げれば、雲とは違うくすんだ空気が揺らめいている。注視しなければ気付かないほど薄く拡がっていた。
(ホントこういう時だけは頼りになるわ、あの人)
おんりーは口内で呟いた。口に出せば臍を曲げるのは目に見えているからだ。
『おらふくん、表門は』
『封鎖オッケーです
もう門は凍っちゃって動きませんよ』
『ナイス』
ドズルがマイクの向こうでニヤリと笑みを浮かべているのが分かる。おんりーもまた半ば無意識に口角を上げた。
『おんりー、頼んだよ』
「了解」
おらふくんが表門を封鎖したということは、必ず標的は裏門から来るだろう。
ざわめいた葉と共に、やや足早なその姿が現れる。
ベストの胸元に付けたバッジに声を潜めて淡々と告げた。
「こちらおんりー
標的を確認、通信切ります」
無線イヤホンのチープな通信の切れる音と共に、おんりーのふくらはぎから線香花火のような光がパチパチと弾けては消えた。
木から飛び降りれば、突然現れた彼に驚くように下校中の生徒達が後ずさった。フィールドが広くなり、ありがたい。
標的は、自身が狙われている事を自覚していたらしい。即座に顔を歪めて後ろを振り返った。
薄灰のモヤを纏わせた長身の黒い少年と、空のペットボトルを持った白銀の髪の少年が後ろを通さないと言わんばかりに立っている。
標的の手のひらから炎が上がる。額に滲む汗を飛び散らせながら叫んだ。
「そこを退け!俺は捕まらねぇぞ」
余程捕まりたくないのだろう。ビリビリと鼓膜を揺らす剣幕に気圧されるように、白銀の髪の少年――おらふくんがやや後ずさった。
「ちょっと脅迫?」
標的とおらふくんの間に巨大な手が現れる。薄灰色の手の形をした煙だ。ぼんじゅうるを見た標的が炎を強めた。ニヤ、と歪にゆがむ口元は、勝利を確信するような笑みにも見える。
「ウチの後輩怯えさせないでよ」
「千本、てめぇの能力知ってんだぞ
煙で攻撃なんて出来ねぇだろ」
「あれ、俺有名人かよ
どう思う?おんりー」
「あ?…ぐっ、」
「ぼんさんは有名人ですよ」
既に標的は地面にうつ伏せで寝転んでいる。その背中に、おんりーが初めからそこに居たかのように座っていた。ご丁寧に腕を踏み、確実に動けないよう拘束している。
「悪い意味で」
「えっ」
「ぼんさん、ボクらの学年でも有名だもんねぇ」
「え、まっておらふくん
良い意味だよね?」
おんりーとおらふくんが顔を向き合わせた。それをぼんじゅうるは、引きつった笑顔で「嘘でしょ」と呟いた。
―――
「いやぁ、助かったよ
あの子補習受けずに帰る常習犯だったから」
「いえいえ、良かったです」
ニコ、と人当たり良く笑う。数学教師が不自然に口を閉じたことに都築が気づかない訳がなかった。
「じゃあありがとうね」
そそくさと標的のいる教室へ姿を消そうとする数学教師に、都築は静かに声を掛けた。
「“待って”ください」
時計が止まったように数学教師が固まる。脂汗を滲ませ、都築を横目で見た。
「助かったんですよね?
でしたら、そろそろ部に昇格しても…」
「私の権限では無理だよ」
都築が訝しげに見たところで、やはり数学教師が嘘を言っているようには感じない。小さな溜息が漏れ出た。
「じゃあせめて顧問に」
「無理無理、補習生徒で手一杯だよ
いくら都築くんの頼みだからって」
スゥ、と息を吸えば、数学教師は慌てて口を閉ざした。無理にでも言わせるか。
「ちょっと〜都築さん
先生に悪いことしちゃダメじゃないですか?」
場にそぐわないカラリとした声色の主は見なくても分かる。目を瞑って眉間を揉んだ。
「…千本さん」
「邪魔が入ったみたいな顔しないでよ」
「…」
千本に肩を軽く叩かれて、今度こそ大きな溜息を吐く。頭を乱暴に掻いた都築は能力を解いた。
「じゃあ報酬は先生にとって価値のある物、ください」
―――
夕日の差し込み始めた美術準備室に、5人の影が顔を付き合わせている。
大分片付いたものの、まだ埃臭く粗雑に置かれた塗料の臭いが鼻につく。普段あまり使われない部屋を部室替わりに集まっているのだ。
「えぇ、まだ部活として認められないんですか?」
おらふくんの残念そうな声に、ドズルが肩を竦めた。代弁するように、ぼんじゅうるが体を伸ばしながら説明する。
「もう全く、耳も貸す気ないみたい」
「なんでやろなぁ」
「ぼんさんいるからじゃない?」
「お前ね…」
じと、と睨むぼんじゅうるの目線を切るように、おらふくんがおんりーの前に手を伸ばした。
「おんりーに悪気はないんスよ」
「なお悪いよ!」
「まあ能力者排出で昔から有名な学校だし、考えが古風ってのはあるよね」
腕を組みながら唸るドズルに、3人が顔を向ける。不躾に見つめる3人の視線を払うように手を動かした。
「なんでそんな目で見るの」
「ドズさんが言うと…ねぇ?」
同意するように深く頷くおんりーとおらふくんに、ドズルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「んー、」
少し離れた場所で机に突っ伏した少年に、ぼんじゅうるが親指を向けた。
「おおはらMENも唸り始めたぞ」
「どうだった?」
「いやぁ、これダメっすわ」
おもむろにおおはらMENが万年筆を4人に向けた。空間が歪むように万年筆がねじ曲がり、形を変えていく。
カシャ、とチープな音と共に光が一瞬瞬いた。突然の光に4人が目を細める。
「まだこっちのが価値ありますね」
ヒラリと振る紙には、4人の呆けた顔が少し画質悪く映されている。
「4人の生写真
いくらで売れますかねぇ」
おおはらMENが悪ガキのように悪戯に笑んだ。
「お小遣い稼ぎのために報酬を使うなよ!
部費も無いんだから」
「肖像権で2割は俺のね」
「俺の努力無駄にすんな!」
「ボク写真写り悪いから急に撮るのやめて欲しいんやけど!」
4人それぞれの大声に、カラスが赤い空を裂くように飛んでいった。
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