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「私は今、探し物をしているの。だから、貴方を案内できないけど、許してね?」私はその人の傍を通ろうとした。
その時、肩を掴まれる。
何か鋭い刃が食い込むような感覚。
肩を見ると、それは人の手ではなかった。
鳥の足のような骨ばった手が、私を捕まえていた。
「いや!なに、離して!」
抵抗しようとした瞬間、目の前の暗闇を覗かせたフードが顔をあげる。
そこには、皮膚がただれ、服をも切り裂いてしまうような鋭く伸びた鼻。
緑の目玉が獲物を見つけたように、私の顔を覗き込んでいた。
殺される。
命の危機を感じた時、辺り一面が真白く輝く。
目がくらんだのか、怪物は手を離し、目元を覆う。
怪物は苦しんでいる。
その周りを静かに飛ぶ蝶が目についた。
「チョウチョさんが助けてくれたんだね」
私はその隙に、怪物から逃げるように駆け出す。
来た道を戻るようにして、一直線に扉に向かう。
すがるようにドアノブに手をかける。
しかし、扉は開かない。
「なんで!どうして開かないの!」
左右に捻っても、何かがつっかえているようで開かない。
絶望だった。
「そんな……キリンさん!」
扉に向かって声を投げかける。
扉をたたきながら、必死にドアノブをひねる。
「私だよ!助けて!」
焦りでドアノブが滑る。
それでも、必死にしがみついては回し続ける。
でも、うまく力が加えられない。
振り返ると、怪物は私の方へ向かってきていた。
扉に張り付き、後ずさる。
それでも詰められていく怪物との距離。
ローブの中から怪物の刃が鋭く光る。
それは、すでに血に濡れていた爪だった。
振り上げられた爪の行方に、目を瞑る。
今度こそ殺されてしまうんだと、思った。
途端、背後から手を引っ張られる。
抗うすべもなく、後ろに引きずられる。
扉の中へと引き込まれる。
勢いで倒れそうになるのを、手をついて堪える。
怪物の悲鳴や爪を立てたような音が、全て扉に飲み込まれていった。
一瞬で静寂に満ちる。
目の前にはキリンさんが全身を使って、扉を押さえ鍵をかけていた。
「大丈夫ですか?」
キリンさんが歩いてくる頃、私は助かったのだお理解した。
それから、扉が開かれることはなく、怪物の声も聞こえなくなっていた。
キリンさんは、いつもの微笑みで私の前にしゃがみこむ。
不安や恐怖を和らげるような笑みに、私の心も次第に冷静さを取り戻した。
「あれはなんだったの?」
「あれは……この世界の排除人です」
「排除人?」
キリンさんは、私の手をそっと取る。
その温もりは、私に生きている実感を呼び起こした。
「ええ、簡単に言うと、外の世界から来た者を消そうとするものです」
「どうして、そんなことをするの?」
「さあ、それは私にも分からないのです」
「じゃあ、私は外から来た人だから狙われたの?」
「そうなりますね。貴方はこの世界の住人ではいないので、奴らに狙われるのかもしれません」
私はこの世界の住人じゃない……?
じゃあ、一体何者なんだろう。
この部屋にも本来なら、入れるはずがなかったみたいだし。
ただ、私 の中で分かったことが一つあった。
それは、あの怪物と私は住む世界が違うということだ。
「じゃあ、キリンさんは?」
「はい?」
「キリンさんは、この世界の人なの?」
「私ですか……?」
キリンさんは、答えに迷っているようだった。
何を勉強しているのかと尋ねた時と同じ表情。
彷徨う視線がどこを写しているのか。
私には分からない。
「どうなのでしょうね」
その答えは、諦めに近いものだった。
考えても答えが出ないものを、割り切るような。
キリンさんは、手を離すと本棚へと向かう。
「貴方も本を読みますか?」
キリンさんの腕には、既に本が収められている。
けれど、手を伸ばす先が決まっているように、一冊の本を手に取る。
「私の眼鏡のために、怖い思いをさせてしまったお詫びをさせて欲しいのです」
彼は、本を手にして私の方へ歩いてくる。
「おわび?おもちのこと?」
「それは……わらびもちじゃないかな?」
そんな会話をしながら、目の前に差し出されたのは、小さな本だった。
タイトルは、くるくるとした文字で読むことは出来ない。
「このお話は、とても切ないものなのですが、私のお気に入りなんです」
大きな手の中に収まっていた本を受け取る。
「この本の良さを貴方にも教えたいと思いまして」
「切ないのに好きなの?」
「はい、切ないからこそ好きなんです」
「変なのー」
キリンさんは、笑顔を向けると、事務机に戻り、何かを書き始める。
一瞬のうちに、笑顔がひいていき、真剣な顔になる。
ものすごく集中しているようだ。
私は、受けとった本をめくる。
くるくるとした文字ばかりで、本文も読めそうになかった。
けれど、挿絵が多く、絵だけで物語が読めそうだ。
ページいっぱいにはみ出すように描かれている怪物が、一人の少女を愛する話。
「ねえねえ、キリンさん」
キリンさんは、作業をやめて私の傍へ腰を下ろす。
「この話のどこがいいなって思ったの?」
パラパラと本をめくっていくと、怪物と少女が別れてしまっている。
ただただ、悲しいお話に見える。
「そうですね。怪物が少女のために自分から離れてしまうところ……ですかね」
それは後半のページだった。
パラパラとめくり、先程見かけた場所へ戻る。
獣のような黒い巨大な怪物が少女を遠目で見ているシーンだ。
「どうして離れたのかな?」
「そうだね……」
キリンさんは、私の手の中から本を回収する。
鳥の羽のように、はためく本がキリンさんの手の中だと生きているみたいだ。
「ここを見てください」
キリンさんは、あるページを私に見せた。
それは怪物が大きく描かれ、少女がページの隅に追いやられている場面だった。
「怪物が自由になるほど、彼女は萎縮する」
キリンさんは、過去を懐かしむような表情で語る。
「怪物は本来、人から嫌われている存在なんです。だから、彼が彼女と一緒にいたいと思っても、彼女は他人から変な目で見られてしまう」
絵の中を見ると、小さくなっている女の子の周りを黒いモヤが漂っている。
目がついているから、人間が囲っているようにも見える。
まるで、いじめの現場だ。
「だから、怪物はこう思うんです」
次のページをめくる。
キリンさんの世界には、怪物が女の子を遠目で見つめている場面。
「少女が他の人間から虐められない為に、怪物が彼女の元を離れるんです」
物陰から小さくなって見つめる怪物と、対照的に女の子は笑顔だった。
その瞬間の女の子は、どのページよりも生き生きとしている。
「悲しい話だね」
「けれど……怪物の願いはここで叶うんです」
「どういうこと?」
キリンさんは、めくる手を止め、本の後ろから顔を出す。
「愛した人が幸せになることは、何よりも大切なことです。たとえそれで、自分が傍に居られないとしても……」
声色は寂しげだった。
まるでキリンさんが、実際にその体験をしてきたように。
それを拾い上げるように、顔を覗く。
「大丈夫?キリンさん」
「えっ」
不意を突かれたのか、一際大きな目で私を見つめる。
どことなく、切ない顔をしていた。
「大丈夫だよ、キリンさん。私がずっと傍にいてあげるから」
私は、キリンさんの大きな手を握る。
「怪物さんが女の子の幸せを望んで離れるなら、きっと寂しくもないんだよね……?女の子も幸せそうだったもんね?」
そう言っておきながら、自分の言葉では無いように感じた。
幸せという言葉に違和感を抱くのは、どうしてだろうか。
二人ともが本当に幸せだったのか……。
今更浮かんでくる疑問を振り払う。
「そ、そうですね……」
どこか不安そうで寂しそうなキリンさん。
もしかすれば、それは、少女を忘れられないでいる怪物さんの表情なのかもしれない。
「私、このお話気に入ったよ!」
キリンさんから本を受け取る。
確かにこのお話は切なくて悲しいものだった。
でも、キリンさんが好きというものを私ももっと、好きになりたかった。
「このお話、大事にするね!」
私がさっき感じた疑問を解決するためにも、もう少し深く読んでみたかった。
「気に入ってくれたのなら、良かったです」
キリンさんは、微かに悲しみを残した微笑みを向ける。
何事も無かったかのよう振舞っているが、
言葉の節々から悲しみが滲み出ていた。
きっと、このお話は、キリンさんにとって過去を振り返るような、特別な話なのだろう。
隠しきれないものがある。
私はキリンさんのそれに気付かないフリをして、微笑みを返した。