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それから1週間。
私はがむしゃらに今ある仕事を頑張った。
目の前にある仕事をしている時は蓮のことを考えずに済んで楽だったから。
仕事で蓮に会うことはほとんどなかったけど、学校では時々彼を見かけることがあった。
「花、大丈夫?」
りんちゃんの声にはっと我に返る。
「あ、うん……」
蓮に別れを告げてから私たちは、当然連絡をとることも話すこともしていない。
自分から別れを告げたのに、急になんでもない関係になってしまうことがこんなに辛いんだって思い知った。
しかし、未だに世間からの声は静まっていなかった。
【付き合ってるとか残念】
【蓮が好きだったのに応援する気になれない】
【ふたりのイメージ変わった】
今でも目にする言葉は針みたいに鋭く刺さって痛い。
シーンとした授業の中で、前を向いていても蓮が視界に入る。
いつもなら難しい顔してるとかなんか今日は機嫌がいいなとか思いながら授業を受けるのが好きだったのに。
今は視界に映るのが辛いや。
好きじゃないと口にして、本当に好きじゃなくなれるのならよかったのに。
どんなに好きじゃないって、演技をしても目では彼を追ってしまうんだ。
1時間目の授業が終わる。
トイレに行って教室に戻ろうとした時、廊下で誰かにぶつかってしまった。
「あっ、ごめ……っ!」
「ワリっ、」
ごめんと謝った瞬間、目を見開く。
だってそこには蓮がいたから。
目があってどうしていいか分からなくなっていると、彼は静かにこちらを睨んだ。
そう、なるよね……。
ズキンと心が痛む。
でも傷ついちやダメだ。これでよかったんだ。
蓮にとって私は最低な人なんだから。
顔もみたくないに決まってる。
彼を見るのは辛い。
去っていく彼の後ろ姿を見て、追いかけて好きだと伝えてしまいそうだから。
苦しい。
終わってしまった恋を忘れる方法はどこにあるんだろう。
仕事が終わり、三上さんのいる部屋に向かおうとした時、彼が電話をしている声が聞こえて来た。
「まさか東堂がそう思ってるなんてなかったよ」
東堂さんとの電話……?
私は壁に身を潜めて三上さんの話を聞いていた。
「彼女の選択は大人でも厳しい選択だった。それを1日で決断して選んで見せたブロと言えばそうかもしれない」
三上さんは私と蓮のスキャンダルに対してどう思っているだろう。
たくさん迷惑をかけた。
それでも嫌な顔ひとつせず寄り添ってくれる。
「ただ俺は……そういう部分で西野花の強さを見たかったわけじゃない」
三上さんの言葉が胸に響く。
そういう部分で、見たかったわけじゃない?
どういう意味だろう。
「俺だって若い子の純粋な気持ちを潰したくない。でも大人になればなるほどもっと伝えたい気持ちを伝えられないことは増えてくる。誰かに邪魔をされ、何かをとって何かを捨てなくちゃいけない。
この業界にいる限り全てを自分の思うままに進めて行くのは無理だ」
そう、私には無理だった。
何が相手にとって大事なのか、考えればすぐに分かってしまったから。
身を引くしかないと思った。
「だからこそ厳しい言葉をかけなくちゃいけない。本当は応援してあげたいのに。まったく嫌な役まわりだよ……」
三上さん……。
そんな風に思っていたなんて知らなかった。
いつまでも、三上さんに助けられてばかりだ。
私は何も返せていない。
ぼーっと三上さんの言っていたことを考えながらたたずんでいると。
「聞かれちゃったかな?」
戻ってくる彼と鉢合わせになった。
「三上さん……」
私のつぶやいた言葉に三上さんは諭すように言う。
「言い方は悪いけれど、僕らはね、商品が傷つかないようにマネージメントしていかなくちゃいけない。それは時に残酷に。応援したくても、ダメだと否定しなくてはいけない職なんだ」
分かってる。
それでも三上さんは私に寄り添って応援してくれた。
「だからね、花ちゃん。自分の意思は自分がしっかり伝えてあげないとダメなんだよ」
「えっ」
「人間として、ひとりの西野花として、気持ちにウソはつく必要はないんだから。花ちゃんは本当にいい子だよ。だけど、たまには悪い顔が出たっていい」
本当にそんなことしてもいいんだろうか。
いつだって優しい三上さん。
私はこんな人にマネージャーをしてもらうことが出来て幸せだ。
でも、だからこそ。
これ以上は迷惑をかけたくないの……。
守るもの。
それがある限り私は自分の気持ちにウソをつき続けなくちゃいけない。
どんなに苦しくても。
どんなに悲しくても耐えなくちゃいけない。
私は女優だから。
それからさらに1週間が経った。
時間が解決してくれるなんてよく言うけれど、ちっとも彼を忘れることは出来なかった。
広告に映る彼と別の女優との恋愛ドラマの予告を見て、胸がチクりと痛む。
蓮はもう、前に進んでいるんだ。
彼と見ると、どうしてもドキドキと心臓が動き出してしまって昔のことを思い出してしまう。
好きって言ってくれた言葉や笑いかけてくれたこと。
忘れられるわけがなくて、いつまでも消えてくれない。
「花ちゃん、少し疲れてない?」
今日撮影がある楽屋で、三上さんは心配そうに言った。
「ちゃんと休んでないでしょう?休みの日は休むために作っているんだから、しっかり休まないと」
だって、なにかしている方が蓮を考えなくてすむから。
「休みなんて、いらないです。家で考えてる時間がない方がいいんです」
変に隙が見つかってしまえば無駄なこと思い出しちゃう。
「仕事ももっと入れてください」
疲れなんていくらでも忘れられる。
蓮とのことに比べたら……。
「花ちゃん」
三上さんはさとすように優しく私の名前を呼んだ。
「それじゃあ前の花ちゃんに戻ってしまうよ」
前の……?
「そう、心が死んでしまった前の西野花だ。前に言ったよね?花ちゃんは自分を追い詰めることで輝くタイプの女優ではないって」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
泣きそうだった。
忘れるためにどうすることも出来ない。
もうどうしていいか、分からなかった。
「もっと自分のことを考えなさい。人のことじゃなくて自分をもっともっと大事にしてあげなさい」
「自分を……?」
「そう。今の花ちゃんにはそれが足りてない」
三上さんはそう言うと、私の肩をポンと叩いた。
蓮にあんなことを言った自分を、大事にする必要なんてあるんだろうか。
もう、分からなくなっちゃった……。
仕事が終わり、スタジオを出てスマホを開くと、三上さんから連絡が入っていた。
【今度出演する会社と打ち合わせをしているから、先に車に乗って待ってて】
分かりました、と返事だけ打つと、私は奥のエレベータに乗りこむ。
エレベータの閉めようとした時。
「すみません、乗ります」
誰かの声が聞こえてきた。
私は慌てて開けると、開いた扉から乗って来た人を見て目を見開いた。
蓮……っ。
どうしてこんな時に、ここでふたりきりになってしまうんだろう。
蓮も驚いた表情を見せた後、ふいっと目を逸らしてボタン側に立つ。
沈黙が気まずい。
私は自分の手をぎゅっと握りしめた。
ふたりきり。
心臓がドキドキと動きだす。
もう好きじゃないって、何度言い聞かせたって全然意味がない。
蓮の顔を見るたび、彼に会う度に隠していた気持ちはすぐに開いてしまう。
「……っ」
苦しい。
慣れているはずのエレベータが。
早く、ついてほしい。
この場所にいると好きだと伝えてしまいそうだった。
震える唇を隠すように必死でうつむいた。
すると、それに気づいた蓮は吐き捨てるように言った。
「そんな意識しなくたって、もうお前に興味なんてないし」
「……っ」
そんなこと分かっていた。
ひどい言葉で別れを告げたのは私の方だ。
彼よりも仕事を取ったんだ。
最低な女だと思われるのも無理もない。
「……私こそもう、なんとも思ってない」
チクチク痛む心臓。
嘘をつくたび心が壊れていく。
泣きそうだった。
泣いたら、ダメ。
写真が週刊誌に乗った日。
私は蓮と別れることを覚悟した。
好きじゃないフリをして、彼を捨てる。
そうすればお互い何も残らない。
必死に我慢してエレベーターが着くのを待っていると……。
「……本当、お前って最低だよな」
蓮から放たれた言葉はひどく冷たいものだった。
もう、蓮が私に笑いかけてくれることはないんだろうな。
好きだと気持ちを伝えてくれることも、ないんだろうな。
私が視界に映るたび、嫌な顔して冷たいまなざしで私を見るだろう。
私だってあんなこと言いたくなかった。
なんでもない関係だったら、この手を伸ばすことが出来たんだろうか。
普通の高校生だったら、自分の今の気持ちを伝えられただろうか。
……なんて、考えても仕方ないのにね。
そう思った瞬間。
──バチッ。
突然電気が消えた。
それと同時にガシャンと音がして、エレペーターはそこで止まってしまった。
「きゃっ!」
ぐらりと身体がよろけつつ、とっさに壁に手をつく。
「チッ、なんだよこんな時に」
停電が起きたらしい。
さっきスタッフが雷雨が来たって言っていたから雷が落ちたんだろう。
モニターの電源もつかない。
暗闇と、静かな空間。
スマホを開いて連絡しようとするも圏外になっていた。
どうしよう、怖い。
このままエレベーターのドアが開かなかったら。
「……っ、」
ずっとここに閉じ込められたままになる。
暗い、怖い。
私はその場で小さくうずくまる。
「……っ、はあ、」
早く、早く、動いて。
願うように重ねた自分の手は小刻みに震えていた。
浅くなる呼吸を必死に整える。
なんとかしなくちゃ。
だんだんと酸素が薄くなっている気がして、呼吸が乱れていく。
寒い、苦しい。
「はあ、はあ……」
ぐらりと視界が揺れ、蓮の方に向かってバランスを崩した。
「……ひっ」
とっさに私を受け止めてくれた蓮は自分のパーカーを脱ぐと、私の身体にかぶせて来た。
「バカ、無理すんな」
ふわりと香る蓮の匂い。
彼は私の背中を優しく撫でると、耳もとでささやく。
「吸って、それからゆっくり吐いて」
静かに、優しい声に涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
「大丈夫だ、必ず助けは来るから」
前の蓮だ……。
ぶっきらぼうで、でもいつだって優しい蓮。
呼吸が楽になってくる。
温かい。安心する。
「……まさかこんな状況になるなんて、なんのイタズラだろうな」
彼の悲しそうな瞳が目に焼き付いて離れない。
どういう意味?
蓮は何を思っているの?
切なげな瞳とー瞬だけ目が合った瞬間。
──ガシャン。
エレベーターが突然動き出した。
電気が回復したらしい。
「……動いた」
エレベーターは何事もなかったかのように、下ヘと下がっていく。
「もう大丈夫だ」
目的地に止まると、ドアが開いた。
蓮は私を支えてエレベーターから出ると、私にスマホを貸すように言う。
そして私のスマホで三上さんに電話をかけ始めた。
「西野が体調を崩してます。すぐに来てもらえますか?」
電話を切ると、彼は私の方に向き直って言う。
「すぐ来るってさ。それからそのパーカー、捨てていいから」
「えっ」
それだけを伝えると、彼は背中を向けてすぐに立ち去ってしまった。
「待って、蓮……!」
まだお礼だって言えてないのに……。
しかし、その時。
「花ちゃん!」
三上さんが慌ててこっちにやって来た。
去っていく蓮の背中を見つめる。
彼の優しい手のぬくもりだけがそこに残ってしまった。
「花ちゃん大丈夫?とりあえず医務室に行こう」
こんな彼の優しさに触れてしまったのに、忘れることなんてできない。
それどころか蓮のあの表情が忘れられない。
呼び止めてもし彼が止まっていたら私は何を言おうとしていただろう。
もっと、ずっとー緒にいたら思わず好きだと伝えてしまいそうだった。
蓮から借りたパーカーをぎゅっと握りしめ、その香りに包まれながら心臓の音は加速する。
「蓮……」
優しさに触れたとたん、彼の笑顔が蘇ってしまった。