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プロローグ ―
春が来るたびに、思い出す。
あの日のことを。
まだ少し冷たかった風の匂いと、
咲ききらない桜と、
そして――
小さな手の、あの温度を。
“家族になる”なんて、簡単に言えるものじゃない。
血が繋がっていれば、それでいいのか。
一緒に暮らしていれば、それでいいのか。
そんなこと、誰も教えてくれなかった。
私は二十歳で。
大人になったばかりで。
誰かを守る方法も、
誰かを育てられる強さも、
まだ何ひとつ、持っていなかった。
それでも――
あの時、確かに思ってしまったのだ。
「この子を、一人にしたくない」と。
小さな女の子だった。
よく笑う子でも、よく泣く子でもなくて。
ただ静かに、そこにいるような子。
まるで、自分の居場所を
どこにも持っていないみたいに。
名前は、つむぎ。
その名前を初めて聞いた時、
どうしてか、胸が少しだけ痛んだ。
“つむぐ”という言葉の意味を、
その時の私は、まだちゃんと理解していなかったけれど。
あの子には、“ママ”がいた。
ちゃんと、いたはずだった。
でも――
その呼び方が、
どこか遠くて、どこか寂しそうに聞こえたのを覚えている。
私は、“母親”じゃない。
最初から、そう思っていた。
なれるはずがない、とも思っていた。
だって私は、
まだ自分のことで精一杯で。
誰かの人生を背負うなんて、
そんな覚悟ができる人間じゃなかったから。
それでも。
それでも――
あの子の「帰る場所」が、どこにもないのなら。
せめて。
ほんの少しの間だけでもいいから。
私が、その場所になれたらいいと。
そう、思ってしまった。
あの日の選択が、正しかったのかなんて、今でも分からない。
たくさん迷って、
何度も間違えて、
泣かせてしまったことも、きっと一度や二度じゃない。
それでも――
「……ママ」
あの子が、そう呼んでくれた日のことを。
私はきっと、一生忘れない。
これは。
帰る場所をなくした少女と、
帰る場所になろうとした一人の未熟な大人の、
不器用で、あたたかい――
春のはじまりの物語。
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