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ゆ
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#specter
ゆ
953
明るいSWAPSAKENの領域。
今日も二人は、まるで子供の頃に戻ったかのような追いかけっこを続けていた。
「待ってよ、シクサー! 今度こそ捕まえるからね!」
「ハッ! お前みたいな鈍くさい足で、俺に追いつけるかよ!」
木々の間をすり抜けながら、シクサーが笑い声を響かせて逃げていく。
サバイバーとなった彼には、キラーのような攻撃手段はない。
だから、ひたすら逃げる。
時には慌てて物陰に隠れ。
ヌーブの重たい足音が近づけば、ビクッと肩を震わせ。
見つかれば――。
「お、おい……手加減しろよ……」
そんな弱々しい声を漏らしながら、縋るような目でヌーブを見る。
そのたびに、ヌーブは笑っていた。
「もちろん!」
昔に戻ったみたいで、楽しかった。
何も考えず、一緒に遊んでいられる。
あの頃と同じように。
……最初は、そう思っていた。
けれど。
「…………」
木々の間を走りながら、ヌーブの胸の奥に小さな違和感が生まれていた。
チリッ。
ほんの小さな棘。
「……あれ?」
自分でも、なぜそう感じるのか分からない。
自分を恐れて。
自分から逃げて。
自分が守らなければ、簡単に傷ついてしまいそうなシクサー。
弱くて。
脆くて。
そして――安全なシクサー。
最初は、それが嬉しかったはずだった。
でも。
(……僕が欲しかったシクサーって……本当に、こんな感じだったっけ?)
脳裏に浮かぶ。
かつてのシクサー。
自分を強引に引き寄せた、大きな身体。
低く響く声。
「俺から目を離すな」
そう言って、自分を守るように立っていた姿。
周囲からどれだけ恐れられても構わない。
強さに執着し。
己の力を追い求め。
狂気すら飲み込んで、そこに立ち続けていた――。
あの孤高の姿。
恐ろしい。
なのに。
目を逸らせない。
胸が締めつけられるような恐怖と、それ以上の存在感。
「…………」
ヌーブは走りながら、無意識に拳を握った。
今のシクサーには、それがない。
あるのは、怯えた表情。
細い身体。
自分の後ろに隠れる姿。
「……」
なぜだろう。
それを見ていると――。
胸の奥が、ざわつく。
答えが出ないまま、チェイスは開けた広場へと差しかかった。
その瞬間だった。
「死ね、ハッカーめ!」
「……え?」
物陰から、別のサバイバーが飛び出した。
手にしているのは、サバイバー用のアジリティアイテム。
重厚な鉄パイプ。
標的は――。
シクサー。
「シクサー!!」
考えるより先に、身体が動いた。
ドガァァァン!!
激しい金属音が広場に響き渡る。
ヌーブがシクサーの前へ飛び込んだ。
振り下ろされた鉄パイプを――。
自分の背中で受け止める。
「……っ!」
鈍い衝撃。
巨大な身体が僅かに揺れる。
黒いキャップが衝撃で深くずれた。
けれど、ヌーブは倒れなかった。
「……」
ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間。
鉄パイプを振り下ろしたサバイバーの顔から血の気が引いた。
キラーの身体。
そして――。
今までとは明らかに違う殺気。
「ひっ……!」
サバイバーは鉄パイプを放り捨て、一目散に逃げていった。
「…………」
広場に静寂が戻る。
「ハァ……ハァ……」
ヌーブは荒く息を吐いた。
そして振り返る。
そこには――。
地面にへたり込んだシクサーがいた。
「ヌ、ヌーブ……?」
シクサーは震える声で呟く。
「なんで……俺を庇っ……」
その顔は、恐怖と驚きで青ざめていた。
細い肩が浅く上下している。
黒いパーカーの隙間から覗く首筋が、緊張で小さく脈打っていた。
「…………」
ヌーブは、その姿を見つめた。
自分を庇って傷ついたキラーを見上げる目。
怯えている。
震えている。
そして――。
自分の存在に怯えながら、それでも自分を見上げている。
「ハァ……ハァ……」
シクサーの荒い息。
その「弱さ」が、目の前に剥き出しになっていた。
その瞬間。
ヌーブの視界が、ぐらりと揺れた。
「…………ああ」
何かが。
胸の奥底で。
ゆっくりと目を覚ます。
(……そうだ)
自分を守る術を持たず。
自分の背中に隠れ。
自分の顔色を窺い。
自分の存在に怯えている。
そんなシクサーを見ていると――。
どうしようもなく、愛おしい。
守ってやりたい。
自分の手で。
自分の力で。
ずっと。
けれど――。
それだけではなかった。
胸の奥に、もっと暗い感情が混ざり始めていた。
(……違う)
今のシクサーは弱い。
何もできない。
自分に守られるしかない。
それは――。
「…………」
ヌーブの指が、長剣の柄をゆっくり握り直す。
(……僕が知ってるシクサーじゃない)
あの恐ろしい強さ。
あの圧倒的な存在感。
あの、誰にも屈しない姿。
「……ねぇ、シクサー」
ヌーブが歩き出す。
ズル……。
長剣の切っ先が地面を擦る。
ズル……。
金属音が静かな広場に響く。
「大丈夫?」
声は、優しかった。
「怪我……なかった?」
「……あ、ああ」
シクサーが頷く。
けれど――。
何かがおかしい。
ヌーブの声は穏やかなままなのに。
その瞳には、もう先ほどまでの無邪気な光がなかった。
黒いキャップの陰。
そこから覗く瞳に宿っているのは――。
冷たく、深い光。
まるで獲物を見つめる、本物のキラーの眼差し。
シクサーの喉が小さく鳴る。
「……ヌーブ?」
一歩。
ヌーブが近づく。
シクサーは反射的に後ずさろうとした。
しかし――。
身体が動かない。
怖い。
さっきまでとは違う。
これは、遊びのチェイスじゃない。
「…………」
ヌーブは静かにシクサーを見つめる。
守りたい。
傷つけたくない。
なのに――。
この弱さを、そのままにしておきたくない。
元のシクサーに戻ってほしい。
あの恐ろしいほど強くて。
誰にも媚びず。
自分の足で立っていた、あのシクサーに。
「……ねぇ、シクサー」
ヌーブが微笑む。
「僕から、離れないでね」
優しい言葉。
けれど――。
その言葉の奥に潜む感情は、もう以前のものではなかった。
SWAPSAKENの明るく穏やかな世界。
その世界で初めて。
二人の間に、目には見えない亀裂が入った。
小さく。
静かに。
けれど、確実に。
それはやがて、この「あべこべの世界」そのものを揺るがすことになる――。