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深淵の王冠が姿を現した瞬間、世界の空気はひび割れるように震えた。
亀裂は夜空に走り、星は軋み、都の中心に立つ誰もが息を呑んだ。
まるで世界そのものが、これから誕生する“何か”に怯えて後ずさりしているかのようだった。
リリスは胸元を押さえ、崩れ落ちそうになった。
第二の咬痕が、まるで心臓そのものを噛みつぶすように痛む。
(また……呼ばれてる……
影喰らいの時より……ずっと深い……)
足が震えた。
カイラスがすぐに支える。強い腕が、彼女を落とすまいと抱き寄せる。
「リリス、立って。ここからが本番だ……影王が来る」
その声は低く震えていたが、恐れではなかった。
怒りと焦燥、そして――奪われることへの拒絶があった。
深淵の底から這いあがる巨大な“王冠”は、金属のように硬いのに、どこか生き物のように鼓動している。
暗闇の奥で蠢く影たちが、それに向かってひれ伏していた。
影喰らいでもなく、深淵の影でもない。
この王冠が象徴するのは――
第三の影。“影王(シャドウロード)”。
深淵に君臨する、すべての影の主。
そしてその眼下にあるのは、ただ一人の“花嫁”。
リリス。
大地が鳴動し、王冠の下から、ゆっくりと人影が立ち上がった。
黒い霧がまとわり、輪郭は揺れ動くが――
その存在は、二つ目の影など比べ物にならないほど巨大だった。
その声は、頭蓋の奥に直接響く。
“赤の巫女……リリス”
リリスが息を呑む。
呼ばれただけで、膝が砕けそうになる。
“来い。おまえの影は……もう私のものだ”
その瞬間、リリスの体が前のめりになり、
意識がふっと遠のきそうになった。
胸の咬痕が灼けるように燃え――
――その痛みは、影王に引き寄せられた兆候だった。
リリスの身体が吸い寄せられようとした瞬間、
カイラスは怒号とともにリリスを抱き寄せた。
「ふざけるな……ッ!!」
彼はリリスの肩を押し抱き、影王を睨む。
その瞳は真紅に燃え、吸血種の王族すら怯えさせるほど鋭かった。
「リリスを呼ぶな。あいつはおまえのものでも、深淵のものでもない。俺の――」
影王の影が一斉にざわめく。
カイラスは続けた。
「――俺の伴侶だ」
リリスの心臓が跳ねる。
影喰らいで刻まれた第一の咬痕、深淵の影で刻まれた第二の咬痕。
どちらも、カイラスと結ばれた“絆”の証だった。
だが。
影王は静かに言った。
“伴侶?違う。その咬痕はただの入口だ。そこから深淵は入り込み、少しずつ、おまえの女を奪っている”
リリスが息を呑んだ。
「な……にを……」
“その苦しみ、感じているだろう。おまえの中に、影の欠片が宿っている。それは呼び声だ。おまえ自身が、深淵を求め始めている”
その囁きは、リリスの心の奥の“弱さ”に触れる。
孤独。渇き。
満たされたいという願望。
影はそこへ滑らかに入り込もうとする。
身体が熱く、重くなり――
影王の方へ一歩だけ、足が動いた。
「リリス!!」
カイラスの叫びが、影よりも強くリリスの耳を貫いた。
次の瞬間――
カイラスはリリスの背を抱き寄せ、
その首筋へ牙を深く突き立てた。
「……ッ‼」
灼ける痛みと、甘い震えが身体を貫く。
影王でさえ一瞬動きを止めるほど、強烈な“契約”だった。
「第三の咬痕……?」
影王が低く呟いた。
カイラスの声が、リリスの耳元で震えた。
「リリス……影に持っていかせるくらいなら……俺のものにする。三度目でも四度目でも……何度でも刻む」
それは支配の誓い。
奪われる前に奪うという、吸血種特有の原始的な愛。
リリスの身体はふるふると震え、 影王の呼び声は確かに遠のいていく。
咬痕から溢れた赤い光が、影王の力を押し返していた。
影王はゆっくりと歩み寄った。
その姿はついに明瞭な人の形となり――
黒い王衣に身を包み、 王冠から滴る闇が肩に垂れ、 瞳の奥には空洞のような闇が広がっていた。
美しく、禍々しく、 吸血種ですら魂を奪われるほどの存在感。
“……面白い”
影王は初めて笑った。
“咬痕ごときで、私の声から逃れようと?”
カイラスが影王に向き直る。
「おまえが何者だろうと関係ない。リリスは渡さない」
“渡さない?違う。赤の巫女は世界の“鍵”。影喰らいは“夜”を、深淵の影は“魂”を、そして私は“世界”を支配するために生まれた”
影王はリリスへ手を伸ばす。
“鍵は……私の手に戻る”
その瞬間、リリスの胸の奥で影が渦を巻いた。
(いや……いや……! 私は……カイラスと……!)
咬痕が赤く脈打ち、呼吸が乱れる。
カイラスはリリスをしっかり抱きしめた。
「リリス、こっちを見ろ。影じゃなく……俺だけ見ていろ」
リリスは震えながら彼を見つめた。
その瞬間、影王の囁きが一瞬止む。
影王は冷たい声で言った。
“……よかろう。ならば奪ってみせろ。赤の巫女を守れるものなら守ってみるがいい”
影王が腕を広げると、夜空が一気に赤黒く染まった。
都の屋根が軋み、 塔の影が伸び、 地面の至るところから影の手が生え出す。
リリスは思わず叫んだ。
「なに……これ……!」
“私の戴冠だ。世界を夜へと変える儀式”
影王はリリスを見つめたまま、静かに宣言した。
“赤の巫女――おまえが私の玉座に触れれば、この夜は永遠になる”
カイラスはリリスを抱き寄せ、影王を睨む。
「リリスはおまえの戴冠の道具じゃない!」
“ならば力ずくで奪え。それだけのことだ”
影王が手を振ると、無数の影の獣が地面から現れた。
カイラスは剣を構え、前に出る。
「リリス、俺から離れるな」
「……うん!」
咬痕が、二人をつなぎ止める。
影王の呼び声よりも、カイラスの手の温かさの方が強かった。
影王は戦乱の中心で、ただリリスを見つめていた。
その瞳は飢えにも似た渇望で満ちている。
“赤の巫女。おまえの血と魂は、世界の夜明けと夜の境界に立つ唯一の存在”
“私が世界を支配するには……おまえが必要なのだ”
リリスは震えた。
(私……そんな……)
だが胸の奥の疼きは、否定できなかった。
影王の声は続く。
“影喰らいが夜を呼び、深淵の影が魂を呼び、そして私は――おまえを呼んでいる”
“来い。おまえは私の“永夜の女王”だ”
影王の声を打ち消すように、 カイラスがリリスの肩を掴み、強く言った。
「リリス。たとえ世界がどうなろうと……おまえを渡すくらいなら――」
彼はリリスの手を握り、その額に自分の額を合わせた。
「俺が、おまえの影そのものになる」
リリスは涙を浮かべた。
「カイラス……」
「影王でも倒してやる。おまえを連れていくなら……世界ごと相手してやる」
その誓いは、影王の支配すら揺るがすほど強かった。
影王の瞳が細くなる。
“……面白い。吸血種ごときが、影王に立ち向かうと?”
「リリスが俺を呼んだ。それだけで十分だ」
リリスの胸が熱くなる。
影王はゆっくりと手を伸ばし――
“試してみろ。彼女を奪い返せるものなら”
夜が裂けた。
影の海が広がった。
世界は、影王の戴冠と、吸血種の王の叛逆に震えた。
影王は王冠を頭上に掲げた。
“今ここで決める。赤の巫女は、誰のものか。”
カイラスは剣を抜き、影王へ走る。
リリスは胸の咬痕を押さえながら叫んだ。
「カイラス――ッ!!」
そして世界を呑み込む闇の中で、
影王の戴冠と、カイラスの反逆が激突する――。