テラーノベル
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朝の光が、リビングに差し込んで、レースカーテン越しの白い光が、床に柔らかい影を落としていた。まだ完全には温まりきっていない部屋の空気が、少しだけひやりとしている。
てるとが目を覚ます頃、キッチンからは、パンの焼ける匂いが漂ってきた。チン、とトースターの中でパンが焼き上がった合図を知らせる小さな音。コンコンと卵を割って、フライパンに落ちた卵がじゅっと鳴る音が響く。
「牛乳、もうない?」
欠伸をしながら、冷蔵庫を開けたばぁうが顔をしかめる。
「ある。二段目の右奥」
あっとが、振り返らずに言う。
「あるある」
「ばぁう、これ今日の弁当。忘れんなよ」
「お、サンキュー」
「仕事は慣れたか?」
ばぁうは牛乳パックを傾けながら、少しだけ肩を回した。
「んー…慣れたっちゃ慣れた。けど毎回現場ちがうからな」
ばぁうは、フリーのスタントマンとして最近働き始めた。映画やドラマで、高い場所から落ちたり、炎の中を駆け抜けたり、車に跳ね飛ばされたりする。そういう“危ない瞬間”をする仕事。
てるとは乗り気ではなかったが、ばぁうは身体能力は常識からはみ出している。反射神経も、バランス感覚も、異常なくらい正確。きっと、あの頃の名残なんだと思う。
「昨日も高いとこから落ちてたんだろ?」
「落ちてたって言い方やめろよ。ちゃんとマットあるし」
「まあ、気は抜くなよ」
あっとはコーヒーを一口飲みながら、淡々と言う。ばぁうは小さく鼻で笑った。
「俺を誰だと思ってるんよ」
「確認しても、事故は起こる」
「……あっと、俺の保護者みたいじゃん」
「何かあったら、俺よりもてるちゃんが悲しむだろ。だから、言ってんの。」
「…分かってる。」
あっとはそれ以上何も言わず、テーブルに出来上がった朝食を並べ始めた。
やなとは床に座って、タオルを丁寧にたたんでいる。指先で角をそろえて、ふわっと空気を抜く。
その横に、メルトはリビングの床にぺたりと座って、頭をかきながらぼそっと言った。
「俺、昨日やなとの農業バイト一日体験したんだけど、マジ無理」
やなとが農業バイトを始めたって聞いて、最初は冗談かと思った。
「やなとさ、“〇〇さん!僕が運びます!”って言ってたんだよ。しかも笑顔で。おばちゃん達めっちゃ嬉しそうだった笑」
その光景を思い浮かべて、また笑ってしまう。
人と話すのは苦手でも、誰かの役に立つことは好きなんだろう。自分の居場所を見つけているんだと思うと、胸がじんわり温かくなる。
やなとは、タオルをたたむ手を止めて少し笑う。
「そんな大げさな…」
「俺には無理。野菜運ぶの本気で重いし、腰も痛いし!」
メルトが両手を広げてジェスチャーすると、やなとは思わず吹き出した。
「メルト途中飽きて虫取りしてたよね」
「いや、それは…目の前にカブトムシいたから仕方ない」
「…写真まで撮ってたよね」
「撮った撮った!記録用だし!」
「記録用?」
「そ!」
メルトの顔が少しぱっと明るくなる。
「畑仕事は微妙だったけど、野菜の育て方とか、土のこととか、おばちゃんが教えてくれてさ!面白かったんだよなー」
「じゃあ今日も来る?」
「ううん、今日はあっとと一緒に図書館って所に行ってみたいからさ」
「なるほど!じゃあ、今日は図書館で勉強会なんだね」
メルトとあっとの二人は、独学タイプだ。養成所に通っているわけでも、誰かに正式に習っているわけでもない。
ただ、気になったことをとことん調べて、試して、また調べる。時々二人で議論し合ったりしている。
メルトは特に、興味を持つと止まらない。
昨日は土壌の成分について熱弁していたかと思えば、今日は体の重心移動について真剣な顔をしている。
あっとはそれを横で冷静にまとめる役だ。
資料をきれいに整理して、「それは根拠が弱い」とか平気で言う。
元猫のくせに、やたら理屈っぽい。
「そうそう、あと歴史の本とかも面白そうでさ。前から気になってたんだよね」
メルトの目がキラキラしている。
「……図書館でも飽きて虫捕まえたりしないでよ」
やなとは小さく突っ込む。
「しないしない!たぶん!」
メルトは手を振って、少しだけ照れた笑顔を見せる。
てるとは、布団の中でみんなの会話を聞いていた。日常の会話が心地良くて自然と笑みを溢した。
眠たいのを少し我慢して目を擦り、伸びをしながら小さく声を出す。
「おはよう」
声に反応して、リビングの方から笑い声が少し高くなる。
「あ、おはよう!」
ローテブルに並べられた朝食を囲ってそれぞれ座る。てるとはパンを頬張りながら、テーブルの向こうでコーヒーを啜るあっとへ自然に言葉を添えた。
「あっと、朝ご飯ありがとう」
「うん。最近やっと焦がさずに出来るようになったよ」
「めっちゃ上達してるよね」
「てるちゃんが教えてくれたおかげだよ」
ばぁうは牛乳を注ぎながら、少し真剣な顔で問いかけた。
「てるとは、最近帰り遅いけど、ちゃんと体大丈夫なん?」
「うん、なんとか……」
てるとは少し肩をすくめ、笑顔を作ろうとするけれど、疲れが滲んでいた。
あっとがフォークを置き、軽く眉をひそめる。
「仕事、合ってないんじゃない?」
「んー…実を言うと、少し悩んでるんだよね」
てるとは小さく息を吐き、パンをかじりながら続ける。
「でも、そんな簡単に辞められるわけじゃないし…辞めても次の仕事見つけるの大変そうだし」
ばぁうは少し声を低くして、真っ直ぐてるとの目を見る。
「辞めればいいじゃん。」
「……え」
てるとは驚いたように目を見開き、ばぁうを見ると平然と語る。
「俺たちをもっと頼っていい」
「…でも、」
「俺も、今回はばぁうの意見に賛成だな」
「あ、あっとまで……」
その様子を見て、メルトが手を挙げる。
「俺も賛成!てるとくんに早く帰ってきて欲しいし…なんならずっと家に居てほしいもん」
少し甘えた口調だけれど、いつもより真剣な目でてるとを見つめる。
「俺も、辛そうな顔見たくない。てるきゅんには笑ってて欲しい」
やなとが少し照れながらてるとを見つめる。
てるとは困惑しながらも、みんなの言葉が胸の中で温かく広がってくる。息がゆっくりと整い、自然と肩の力が抜ける。
目の奥がじんわり温かくなり、頬が少し赤くなるのを感じた。
「……うん、考えてみるよ」
小さく呟く声は、リビングの穏やかな光に溶けていくようだった。その声に反応して、4人も微笑みを返す。
てるとは朝食を食べ終えて牛乳を一口飲むと、あっとがリモコンに手を伸ばしてテレビをつけた。
チャンネルを切り替えると、朝のニュース番組が流れ始める。
「お、ニュースだ」
メルトが興味深げに顔を上げる。
画面には、ペットの失踪事件の小さな特集が映し出されていた。
公園や住宅街で、犬や猫が行方不明になっているとの報道だ。
「あれ…最近、そんな事件が増えてるんだ」
てるとが呟く中、他の4人も画面を食い入るように見つめる。
「市内で室内飼いの猫や犬が姿を消す事件が相次いでいます——」てるとは、画面の犬や猫を見つめながら、ふっと声を出した。
「早く、見つかるといいね」
自然に家族全員の視線がてるとに向く。
あっとが横から言った。
「でも、警察も捜査してるみたいだし、きっと大丈夫だろう」
リビングに、家族の穏やかな時間と、ほんの少しの違和感が混ざる。
ニュースの画面の明るさが、ほんのわずかに影のある未来を映しているかのようだった。
「僕、仕事行かなきゃ」
「てるちゃん、俺も一緒に出るよ」
「え?ばぁうくん出勤には早いんじゃ、」
「てるちゃんと出勤デートしたいの」
ばぁうは無言でてるとの隣に歩幅を合わせ、さりげなく守るように立つ。
てるとはいつも通りに歩きながらも、その存在を自然に感じる。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
玄関のドアが閉まる音が、家の中に響く。
残った3人は互いに顔を見合わせ、小さくため息をつく。
「……外、最近静かじゃない?」
「うん…なんか、変な感じ。」
メルトとやなとが窓際でじっと外を眺める。
「ほら。二人とも、片付け手伝って」
「「はーい」」
あっとは皿を片付けながら、少し眉を寄せて表情を曇らせていた。
確証はない。
だが、家族だけのこの空間に、じわじわと不穏な空気が入り込み始めているような気配がする――得体の知れないものが、確かに迫ってきているような。
朝の通勤道を、てるととばぁうが並んで歩く。
人通りはそこそこあるけれど、まだ朝の光は柔らかく、街路樹の影が揺れている。
「……何も会社まで見送らなくても。」
てるとは少し照れくさそうに言う。
「言ったでしょ?デートだから」
ばぁうは淡々と返す。
でも、その声には少しの柔らかさと、無言の守る意思が滲んでいた。
二人は朝の街路を歩く。
てるとは自然に歩幅をばぁうに合わせ、少し前かがみで鞄を肩にかける。
ばぁうは無言でその隣に立ち、時折視線を周囲に巡らせながら歩く。
「…ばぁう?」
「ん?」
「なんか、変じゃない?」
「何がー?」
「…なんか周り見てると言うか…」
「てるきゅんがナンパされないように周りの奴ら威嚇してんの♪」
「だる笑 しなくていいから」
ふと背筋に冷たい感覚が走った。
——誰かが、てるとを意識している。
人混みの中、遠くの影の中に、視線を感じる。
計算されたような静かな視線。
(……誰かいる?)
ばぁうは軽く振り返る。
でも通勤道はいつも通り、人々は忙しそうに行き交っている。
影も、姿も、気のせいに思える。
「……」
「…ばぁう?大丈夫?」
「……ああ。…てるちゃん今日帰りも迎えに行くわ」
「それは流石に悪いよ…今日もたぶん残業あるし」
ばぁうは一瞬だけ視線を逸らし、すぐにいつもの軽い調子に戻した。
「悪くない。俺が勝手に行くだけ」
「いやいや、勝手にって…」
てるとは呆れたように笑うが、ばぁうの目がほんの少しだけ真剣なのに気づいて、言葉を止めた。
「……本当に大丈夫?」
小さく問いかける。
ばぁうは数秒だけ黙り込む。
さっき背筋を走った冷たい感覚が、まだ消えていない。
——見られている。
はっきりとした悪意ではない。
けれど、ただの偶然でもない。
何かを測るような、値踏みするような視線。
「……念のため、な」
そう言って、ばぁうはてるとの頭をぽん、と軽く叩いた。
「今日はなるべく人通り多い道歩けよ」
「え、子ども扱い?」
「てるきゅんは保護対象なので」
「だる笑」
会社のビルが目の前に迫る。
ガラスに映る自分たちの姿が、一瞬だけ歪んで見えた気がした。
「……」
「じゃあ、そろそろ行くね」
てるとの声に、ばぁうはゆっくり息を吐いた。
「行ってこい。帰り、待ってるから」
「うん」
てるとは少しだけ振り返りながら、ビルの中へ消えていく。自動ドアが閉まる。
その瞬間。
遠くの影が、静かに動いた。
——今だ。
ばぁうの身体が、ほとんど反射で動いた。
地面を蹴る音も小さく、数歩で道路を横切る。
向かいのビルの陰へ、一気に距離を詰める。
さっきまで、確かに“いた”。
計算されたような静かな視線。
気配は、ここだった。
ばぁうは壁際に手をつき、素早く死角を覗き込む。
……誰もいない。
敵意かどうかも分からない。
ただ、こちらを“測る”ような何か。
ばぁうはしばらくその場に立ち尽くし、拳を握る。
(偶然か……?それとも……)
「……面倒くせぇのに目つけられたか」
ばぁうは会社の中へ入っていくてるとの背中を、いつもより長く見送った。
高層ビルの一室。
カーテンの隙間から差す朝の光が、床に細く伸びている。
窓の前に立つ人影。
そして、その背後——椅子に腰掛けるもう一人。
「確認出来ましたか?」
「……なんか貧弱そうな子だったよ?早く捕まえればいいのに」
椅子に腰掛けたまま、冷静な微笑みを浮かべる。
「だからといって、無計画に暴走するのは得策ではありません。何事も計画的であるべきです」
窓の前に立っている少年は肩をすくめ、ちょっと生意気そうに口を尖らせる。
「計画とかさー、面倒くさいよ。俺は復讐したいだけなの、人間に」
座っている男は書類に目を落としながら、淡々と言った。
「……焦る必要はありません。あなたの力も、無駄にはなりませんから」
「どーでもいいよ。面白ければさ。あの人間が困る顔、見たいだけだから」
「今は観察だけで大丈夫です」
少年はふっと笑い、少しだけ身を乗り出した。
「観察? ふーん、俺はもっと直接的に楽しみたいんだけどな」
少年は机にあるiPadの画面に、ニュースで報道された失踪したペットの犬や猫の画像を指でなぞり、くすっと笑う。
「世間は騒いでるね…この人間たちが必死に自分のペットを探してる姿見るのが最高なんだよね。」
「これも理想を現実にするためですから。」
「成功例あんの?」
「…まだ、実験段階です。全てが計画通りに進んでいるわけではありません」
男の声には冷静さの奥に、わずかな期待が滲む。彼はiPadの画面を軽くスワイプする。映し出されるのは、通勤途中のてるとの姿。
「……特異点。理想的な被験体です」
その言葉には、計算された冷たさと、静かに膨らむ好奇心が混ざっていた。
少年は机に肘をつき、少し笑みを浮かべる。
「早くこいつの歪んだ顔、見てみたいなー♪」
部屋の静けさの中で、ふたりの視線だけが画面の中の一人を追う。
外の世界は、まだ何も知らない――けれど、この日常も、確かに観察されている。
窓から差し込む光のように、平穏な時間は淡く揺れている。
そしてその先には、ほんの少しだけ、運命の予感が重なっていた。
続く。。
コメント
3件
待ってました!!! 何かが起こりそうな予感🤔 続き楽しみです🥰
ありがとうございます✨わーい

続きめちゃくちゃ楽しみにしています!いつも主さん神です!