Side.黒
「はい、宿題やろうね。早く終わらせちゃおう」
そう言っても嫌なものは嫌だと逃げ回る。
「じゃあ先に漢字しようか。算数はあとでやろ」
樹は本棚から絵本を取り出し、開いている。
「あぁ…」
本ならまあいいか、と見すごす。
先生も宿題をやりなさいと子どもたちには怒れないから、面談のときに俺が言われるんだろうなぁと思う。
そのあと何とかダイニングに座らせ、ドリルを開く。漢字なら自分も得意分野だ。
「丁寧になぞるんだよ」
最初のほうこそよかったものの、10分も経たないうちに鉛筆を放り投げてしまう。
「樹、もうちょっとね」
また椅子に戻しても、ぴょんっと飛び降りた。
「こらっ、ちゃんとやって」
思わず大きな声を出していた。
樹の顔が歪み、瞳に涙がにじむ。
「あっ、ごめん、びっくりしたね」
そっと頭を包み込む。こうしてやると気持ちが落ち着くんだ。
「いいんだよ、ゆっくりで。ちょっとずつやろうね」
絵本読もうか、と先ほど見ていた本を出してくるが、どうやら違ったようで別の絵本を取り出す。この間買ってきたばかりの動物の絵本だ。
「1人で読める?」
そう問うと、
「ん」
少し曖昧な返事を残して、視線を落とす。そっとしておこう、とそばを離れたそのとき。
「パパ」
あまり樹から呼ばれることはないから、驚いて振り返る。
樹は開いたページを指差し、「…ラインさん」
うん?とのぞき込む。人差し指の示すところを見て、やっと何が言いたいかがわかった。
「樹、これはライオンさん。言ってみて、ライオン」
「…ライ、オン」
そう、と髪を撫でる。
「じゅり、会いたい…」
今度はえっと小さく声が漏れた。
「本当? ライオンさん、会いに行く? 動物園にいるよ」
樹は目を輝かせた。
「どうぶつ、えん!」
俺は嬉しくなって笑いかけた。
「じゃあお休みの日に行こうね」
ベランダで干していた洗濯物を取り込んで戻ってくると、樹は本を持ったままこくりこくりと首を傾けている。
やがてこてんと横向きに倒れ、眠りに入った。
仕方ないなあ、とその小さな身体を抱えてソファーに寝かせる。
かわいらしい寝顔を眺めながら、大きなライオンは怖くないかな、と不安になる。鳴き声も怖がるかもしれない。
でもせっかく自分から「行きたい」と言ったのだから、叶えてあげたいと思った。
続く
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