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「さあ、挨拶はその辺でお話に戻りましょう」とベルニージュの母が促す。
アクティアはいつの間にか天幕の奥に現れた玉座のように豪華な椅子に座り、ベルニージュの母は脇に退いた。
アクティアの座りざまは高貴であり、絵にかいたような、誰もが想像したような姿だった。古き神々の中でも貴き神に愛されし女王の謁見の間のように、天幕の内が気品と栄誉に満ちた。
「戦の発端、というと少し難しいですわね」とアクティアは語る。「古き治世より幾度も、さまざまな理由でこの二国は戦をしております。占いで吉と出たから、かの国を亡ぼすべしという時代もありました。蛮族の共同討伐の際の負担で揉めたために、奴らの財を奪えという時代もありました。野心に基づく志ゆえに、邪なる者どもを誅せよという時代もありました。それもアルダニ同盟の盟友となってからは紛争にまで発展することはなかったのです。とはいえアルダニ同盟は東方の同盟の例に漏れずあまり堅い結束とはいえないので、諍いが全く無かったわけでもありませんが」
「大王国からは遥かに遠いですから。かつてほどの脅威を感じることもありませんし」とベルニージュは何か記録でも読んでいるかのように淡々と言った。
王女様に相槌するなんてすごい、とユカリは思った。
アクティアは英雄の非業の死の歌を聞いた時のように淡い悲しみを浮かべた。その表情の移り変わりを見ているとユカリまで同じ悲しみに浸ったような気分になる。
「そうですわね。そして、とうとうわたくしたちの代に戦となってしまいました」
ユカリもベルニージュに負けじと手に汗握りながら、話しかける。「どういう理由で行われたんですか?」
「平たく言えば漁業権の解釈違いですわね」
「そういうものですか」ユカリは変な相槌を打ってしまい顔を赤くする。
アクティアはユカリの失敗を気にする様子もなく品の良い微笑みで言葉を続ける。
「そしてその戦争の終結にあたり、わたくしとテネロード王国の優しき眼差し姫を互いに人質として送り合うことで、その証としたのです。しかし昨年、テネロード王国は翻意しました」とアクティア姫は話す。「互いの王女を祖国に返そう、と。いったい今になってなぜなのか、その理由は聞かされておりませんが、我が祖国ハウシグ王国は要求に応じず、先日テネロード王国が再び挙兵し、大河の此方側に攻め込むに至ったのです」
「お互いに手出しできないようにするための人質ではないのですか?」とユカリは素朴な疑問を掲げる。
自国の王女が殺されてしまっては意味がない。
「そうだね。つまり何か別の事情があるのかもしれない」とベルニージュが補うように答える。
ベルニージュの母が物憂げに話す。「テネロード王国も私に対して具体的な話は避けるのです。何か思惑があるようですが、一体何を隠しているのやら。そもそもが、この軍を率いる将軍とて、どこまで聞かされているのかも分かったものではありませんが。ともあれ、私としては図書館に入ることができればそれで構いません」
「その際にはわたくしに先生をご案内させてくださいませ!」とアクティアが目を輝かせて言った。「わたくしにとっては幼い頃より、十二の年までもっとも長い時間を過ごした場所ですから。時に数学や天文、歴史を学び、時に遥か彼方の不思議な都の伝説に目を輝かせたものです」
これから祖国に襲い掛かるかもしれない人間に向ける表情ではない、とユカリは思った。一国の王女様がベルニージュの母にどれほどの憧れを感じているのかユカリは推し量れずにいた。
「戦争は回避できないのでしょうか?」とユカリは三人に尋ねる。
ベルニージュの母は答える。「ユカリさん、でしたね? 回避も何も、戦争はすでに起きているのですよ」
「ああ、いえ、すみません。そうですね。つまり私が言いたいのは、ベルニージュさんのお母さんが戦場にお出でになると被害が大きくなるというお話でしたので、できればご遠慮願えないかと思いまして」
「うふふ」とベルニージュの母は笑う。「はっきりおっしゃいますこと。でも、その通り、否定いたしません。私が出れば深き堀は蒸発し、高き城壁は砕け落ちることでしょう。例え雄大なる大河モーニアを引き入れようとも、私を押し流すことは出来ません。そして、城壁よりも頑丈な人間などいないことはご存知でしょうね。もちろん貴女にそれを阻むことも出来ないでしょう」そしてベルニージュの母は針の先ほど僅かながら語気を強める。「そもそもなぜハウシグをかばうのです? 貴女はベルニージュさんのためにここに来たのではないのですか? 大図書館に行きたいのは同じでしょう?」
どちらかというと魔導書のことしか考えていなかったことは反省すべき点だとユカリは思い、あとでベルニージュに謝ることに決めた。
「ハウシグをかばう訳ではありません」とユカリははっきり言う。「それにたとえ早く戦争を終わらせる方法だとしてもベルニージュさんのお母さんのやり方には賛成できません」
「それではどうするというの?」
「記憶に関する本を読めればいいんですよね? 私が図書館からそれを持ってきます」
ベルニージュとベルニージュの母とアクティアの視線を一身に集めてなおユカリは言いたい事を全て言えた。
「どうやって?」少しずつベルニージュの母の言葉は無機質になっている。
ベルニージュは確認するように母に尋ねる。「アクティア王女殿下をお連れしているということは、基本的には交渉のつもりで彼らはやってきたんだよね?」
お互いの人質を返し、元通りに戻すのが目的だということだ。そこで剣を交える意味はない。
ベルニージュの母は肯ずる。「そうでしょうね。私のあずかり知らぬことですが。ただし彼らは交渉の前に畑を焼いていますから、私たちの想像する優先順位ではないかもしれません」
「言いそびれておりました」アクティアは少しばかり身を乗り出す。「わたくし自身が和平交渉の使節として赴く運びとなりました」
「将軍閣下は聞き入れていただけたのですね」とベルニージュの母は確認する。
「ええ。わたくし自身が交渉に赴くという先生のご提案には感謝しております。それは王女たるわたくしに相応しい役目だと思いますもの」
「それは、それならばきっと良いお話合いとなることでしょうね」
ベルニージュが割って入るように確認する。「母上が和平交渉の使者に殿下を推薦したということ?」
「ええ、そうです」とベルニージュの母は首肯する。
「じゃあ、その交渉に同行するよ」とベルニージュがすかさず言う。「本を借りるくらい何てことないから、ワタシたちなら。ね? ユカリ」
「うん」とユカリは勢いよく頷く。「でも、同行ってどうやってですか? 本を借りることでベルニージュさんのお母さんに手を引いてもらうという目的を、テネロードの兵隊さんに知られるわけにもいきませんし」
テネロード王国が俄然有利とはいえ、ベルニージュの母という強大な戦力を手放したくはないだろう。
「それはわたくしにお任せください」とアクティアは自信たっぷりに胸を張った。「お二人にはわたくしの側勤めとして同行していただきましょう」
ユカリとベルニージュの安心も束の間、ベルニージュの母は釘をさす。
「そうしたいならそうすればいいでしょう。しかし貴方の母上はあまり気が長い方ではありませんよ。ベルニージュさん」
「分かってるけど。本を渡したら大人しく手を引いてよ」とベルニージュ。
「貴女の母上は貴女ほど好戦的ではありません、ベルニージュさん」
「ワタシだって別に戦争が好きなわけじゃないよ、母上なら知っているだろうけど」
その時、天幕の外からアクティアの侍従と思しき女の呼ぶ声が届いた。
アクティアがそれに答えて立ち上がると、ベルニージュも立ち上がったのでユカリもそのようにした。
アクティアは座ったままのベルニージュの母に向き直る。そして幼い少女のように、少しばかり恥ずかしそうに言う。
「先生には、できることなら平和な折にお招きし、美しい祖国をご覧に入れたいと、ハウシグ王国の王女として考えております。必ず和平を結んでご覧に入れますわ」
「楽しみにしております。殿下」とベルニージュの母は子に向けるような優しい微笑みで答えた。
アクティアが天幕から出て行くとユカリとベルニージュは再び椅子に座る。
「お話の通り、アクティア姫の身柄には政治的な価値が皆無だといっていいでしょう」とベルニージュの母が言った。
「つまり祖国であるハウシグ王国ですらアクティア姫が戻ってくることを求めていないんだね」とベルニージュが残酷に言い放つ。
ベルニージュの母は答える。「求めていないかどうかまでは分かりませんが、パーシャ姫とは価値が釣り合わないのでしょうね」
「どういうことですか?」とユカリは尋ねる。「それなら、そもそも終戦の証の人質交換なんて行われなかったはずです」
「そうだね。テネロード王国はそれを知らなかったか、あるいは今になってアクティア姫に価値が無くなったか。もしくは……」と言って、ベルニージュは言い淀む。「どちらにしてもワタシたちには関係ないよ。ユカリ、別にこの二つの国の争いを治めたいわけではないよね?」
「そうですけど、もうアクティア姫のことを知ってしまいましたし。無視できないです」
「じゃあ、どちらかの味方をするの?」
「それも出来ない、です」
「ユカリは良い子だね」と言ったベルニージュの言葉に憐れみと皮肉が含まれていることをユカリは聞き逃さなかった。