テラーノベル
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山道で抱き合ったあの日から、数日が過ぎた。
けれど緋八マナの胸のざわつきは消えなかった。
誰かに見られていた気がする。
あの時、木々の奥から視線を感じた。
だが確かめる前にライが離してしまい、そのまま有耶無耶になっていた。
「……気のせいやとええけど」
畑を耕しながら、小さく呟く。
空はどんより曇っていた。
まるで嫌なことが起こる前触れみたいに。
その日の夜。
マナは久しぶりに川辺へ向かった。
従者の件以来、昼間に会う危険さを知ったからだ。
やはり夜のほうがいい。
誰にも見つからず、少しでも長く話せる。
川辺へ着くと、既にライが待っていた。
「マナ」
その声を聞いただけで、胸が温かくなる。
ライは今日も美しかった。
濃紺の狩衣を纏い、月明かりの下に立つ姿は、まるで絵巻物から抜け出してきたみたいだ。
けれど、その表情はどこか疲れて見えた。
「大丈夫なん?」
「何がだ」
「最近、顔色悪い」
ライは少し驚いたように笑う。
「よく見ているな」
「そりゃ見るやろ」
「……屋敷が騒がしいだけだ」
ライはマナの隣へ腰を下ろした。
「父上が、俺の行動を怪しんでいる」
マナの心臓が冷える。
「やっぱり……」
「だが証拠はない」
「でも、もしバレたら」
「その時は――」
ライはそこで言葉を切った。
代わりに、静かにマナの手へ触れる。
指先が絡む。
それだけなのに、胸が苦しくなる。
「……逃げるか?」
「は?」
思わず変な声が出た。
ライは真面目な顔のままだ。
「遠い土地へ行く」
「何言っとるん」
「本気だ」
マナは呆れたように笑った。
「貴族様がそんな簡単に逃げられるわけないやろ」
「簡単ではないな」
「俺だって村捨てられへんし」
ライは少し黙った。
そしてぽつりと言う。
「分かっている」
その横顔があまりにも寂しそうで、マナは胸が痛くなった。
「……なぁライ」
「なんだ」
「なんで俺なん?」
ライが目を瞬く。
「もっとええ人、おるやろ」
「いない」
即答だった。
「いや、絶対おるって」
「いない」
ライは真っ直ぐマナを見る。
その紫の瞳は、迷いが一つもなかった。
「俺が好きなのは、お前だけだ」
心臓が跳ねる。
こういうことを平然と言うから困る。
「……ずるい」
「何がだ」
「そういうこと、普通に言うとこ」
マナが顔を覆うと、ライが小さく笑った。
「本当のことだからな」
「っ……」
もう駄目だと思った。
こんなの、好きになるに決まってる。
その時だった。
ガサ、と草が揺れる音。
二人は同時に振り返る。
「誰や!」
マナが立ち上がる。
だが、木々の向こうに人影が走り去るのが見えただけだった。
ライの顔色が変わる。
「……まずい」
「え」
「今の、屋敷の者かもしれない」
その瞬間、背筋が凍った。
翌朝。
まだ日も高くないうちに、村へ武装した従者たちが押しかけてきた。
前回よりも人数が多い。
村人たちは怯え、子供を抱えて家へ引っ込む。
マナは嫌な汗をかきながら前へ出た。
「……俺に何か用ですか」
すると、先頭の男が冷たく笑った。
「随分と楽しそうだったな」
血の気が引く。
やはり見られていた。
「若君を誑かした罪、軽いと思うな」
「……っ」
誑かした。
その言葉に、悔しさで頭が熱くなる。
ライはそんな人じゃない。
自分だけが一方的に縋っていたわけでもない。
「違う」
思わず声が出る。
「ライは――」
「若君を名で呼ぶな!」
怒声と同時に、腹を蹴り飛ばされた。
「っ……!」
息が詰まり、地面へ倒れ込む。
村人たちの悲鳴が聞こえた。
「身分を忘れたか、農民」
男はマナの髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「貴様のような下賤の者が、若君に触れて良いはずがない」
悔しい。
怖い。
でも、それ以上に。
ライを悪く言われるのが耐えられなかった。
「……ライは」
震える声で睨み返す。
「優しい人や」
次の瞬間、また強く殴られた。
視界が揺れる。
口の中に血の味が広がる。
「黙れ」
冷たい声。
その時だった。
「やめろ!!」
響いた怒声に、その場の全員が凍りつく。
聞き間違えるはずがない。
マナが顔を上げる。
そこには、息を切らしたライが立っていた。
普段の穏やかな面影はない。
紫の瞳には、はっきりと怒りが宿っていた。
コメント
1件
うおおおお読んだ読んだ!!身分差の壁がついに表面化してもう胸がギュってなったよ😭💔 マナが殴られながらも「ライは優しい人や」って庇うところ、涙出た…。自分のことよりライのこと守ろうとするの、健気すぎて尊い…。 最後のライの「やめろ!!」、あの穏やかな人が怒って駆けつけるのヤバすぎん??続きが気になりすぎて今夜眠れない!!ライ、マナを守り切ってくれ~~!!🔥🌸