テラーノベル
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あの満月から3週間と数日。桜は完全に舞い散り、所々小さな紫陽花が咲き始めている。
私は、桔梗さんが見守る中、割烹着から若草色の着物へと着替えお団子に髪を結いあげていた。
「似合う。似合う。春月堂らしい素敵な店員さんだわ!」
「ありがとうございます! 一年間はまだエプロンに研修中のプレートを付けさせて貰いますので、ご指導のほどを」
「おじさーん、幹太、見てみて」
「桔梗さん……」
全く私の話も聞かず、調理場から二人を呼び出す。二人も何故か素直に調理場から出てきた。
「ほーう。やっぱ若くて可愛い女の子は着物を着ると奥ゆかしくていいねぇ」
「でしょ? 美麗ちゃんみたいな控え目な子は特に似合うよね」
「ってか、いつの間に仲良くなってんだ?」
幹太さんは私の割烹着から桔梗さん達と同じ正社員用の着物になった事はお構いなしで、下の名前で呼び合うのに反応していた。
それを分かっているのに、意地悪な桔梗さんははぐらかす。
「残念ねぇ。せっかく夫婦みたいに美麗とペアだったのにね」
思い切り肩を叩かれた幹太さんは露骨に嫌な顔をしたけど、何か言いたそうな顔で黙る。
「でも良かった。私がこれからちょくちょく抜けるからさ。頑張ってね」
とうとう桔梗さんのお腹の赤ちゃんは臨月で、病院の診察も三日に一回になった。
まだ一ミリぐらいしか開いてない、とか、初産は予定日が遅れるとか、運動しなければだとか色々とあるらしいのだけど、桔梗さんは毎日笑って頑張っている。
「桔梗さんに心配かけないように頑張ります!」
「そうそう! その調子ってお腹張ってきた。いてててて」
桔梗さんがお腹を押さえると、すぐさま幹太さんが桔梗さんの腕を掴んだ。
「休憩室で休んでろ」
冷たく切り捨てるような言い方なのに、何だか労わるように聞こえてくる。
「大丈夫よ。立ってた方が楽だから」
「うるさい、来い」
短いやり取りで、そのまま二人は休憩室へ行ってしまった。
残されたのは、私との調理場の責任者である幹太さんのお父さんだけ。
「う――ん。桔梗ちゃんも綺麗なんだよなぁ」
しみじみと言うと、調理場の奥に戻り作りたてのどら焼きを持ってきてくれた。
新作の栗餡で作ったどら焼きらしく、食べてみて欲しいと言われて一口食べる。
ほんのりとした甘さと栗の風味がしっかり残っていて美味しい。
どら焼きには、春月堂の家紋、桔梗の花が焼き印されていて見た目も美しい。
「美味しいです」
「うんうん。美麗ちゃんも可愛いよねぇ」
さっきから独り言のようにおじさんが言うので、少し首を傾げてみた。
「いやあね。こんなに可愛い子が二人も居るのに、――あのバカ息子は」
それだけを言うと、小さく『はやく孫が見たい』とだけ言ってまた調理場に戻っていった。
私にはクエスチョンだらけの独り言だけど、深く追求出来ず静かにどら焼きを食べて、小百合さんが買い物から帰って来るのを静かに待つことにした。
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篠原愛紀