この街では紙の需要はあまりない。だとするならば、大量の紙の在庫がこの商業ギルドにそもそもあるのか、という疑問が出て来るが、その心配はほぼ無いと言って良いだろう。
先程ナフカの口から僅かにこぼれた、僥倖と言うセリフから、恐らくは紙の在庫は大量にあると考えて良いだろう。
考えがまとまったのかナフカが顔を上げて私に訊ねてきた。その瞳には喜色が僅かに窺える。紙が大量に卸されることが商業ギルドにとって好都合になるのだろうか?
「ノア様、現在お時間の方に余裕はありますか?現在の在庫状況を直接見てもらった方が、早いと思いますので」
「時間は問題無いよ。その口ぶりからすると、在庫には期待して良さそうだね。いや、むしろ在り過ぎて困っているのかな?」
「は、ははは…。まぁ、今はついて来ていただけると嬉しいです」
どうやら、在庫が在り過ぎるということで良さそうだ。だが、それを周囲の者達に聞かれてしまうのは商業ギルド側としては少々避けたい所なのだろう。黙ってナフカについていくとしよう。
ナフカに案内されて着いた場所は、商業ギルドの裏に建てられた、商業ギルドが所有する先程の施設と同等の大きさの倉庫だった。倉庫の内部に柱や部屋等は無く、高さも幅も非常に広大に感じさせる。
ナフカ曰く、この街にはこの倉庫以外にも後四つ同規模の倉庫を所有しているらしい。自慢げに説明してはくれているが、彼の表情はやや暗い。表情に出てしまうぐらいには深刻な問題を彼は抱えているのだろうか?
倉庫に入って少し歩くと、視界に巨大な白い直方体が見えてきた。その大きさは、一般的な3階建ての住居と同じぐらいの大きさはある。
まだ直方体まで少し距離があるが、目を凝らして見てみればそれは極薄の板が重なってできたものだと分かる。
つまるところ、あの巨大な白い物体すべてが紙だと考えて良いのだろう。この倉庫の広さが広大とは言え、3階建ての住居並みの大きさなのだ。相当、倉庫の容量を圧迫させているんじゃないだろうか?ざっと見て千立方メートルはあると見て良い。
この世界で一般的に紙と言うと、1枚の大きさがおおよそ20センチ×30センチで、厚さが0.15㎜の物を指す。もしあの紙がそのサイズならば紙の量は1億枚あると考えて良いだろう。
「ナフカ、あの白い巨大な物体、私には積み上げられた紙に見えるのだけど…。全部そうなの?」
「ここからでも分かってしまうものなのですね。ノア様は大変素晴らしい視力をお持ちのようだ」
歩きながらナフカに聞いてみると、少しぎこちなく返事をされる。白い物体の傍までたどり着いたところで彼が振り返り、ようやく詳しく説明してくれた。
「御慧眼の通り、こちらの白い巨大な物体全てが、当ギルドが保有している紙の在庫で御座います。見ての通り、紙だけで倉庫の約2割近いスペースを圧迫してしまっているのです。実のところ、大量に購入してくださると聞かされた時はかなり喜んでしまいましたよ。何せ、この街では紙は需要がほとんどありませんからね。この紙のスペースの半分もあれば、どれだけ需要の高い商品をこの倉庫に保管できることか…」
まぁ、そういうことだろうな。
この広大な倉庫の2割のスペースだ。需要の高い商品をここに保管できれば、取り寄せの手間もだいぶ楽になるだろうし、それだけ取引もスムーズに行えることだろう。
取引がスムーズに進めば、客の評価も上がり信用も得られるだろう。
信用は次の取引に繋がり、周囲にも評価が広まっていく。結果、長い目で見れば、商業ギルドにとって大きな利益に繋がっていくことになる。
と、言うよりもそれができない今の現状が、商業ギルドにとって大きな損失になっていると考えるべきだろうな。
「何故需要が無いと分かっていて、ここまで大量に紙を仕入れてしまったのかは教えてもらえるのかな?」
「身内の醜聞ですので、あまり耳に入れてもらいたくは無いのですが、そうですね…」
そう言ってナフカはこちらを伺うようにしながら言い澱んでしまった。
なるほど、知りたければ彼が満足できるだけの量、紙を購入しろ、ということか。商売上手め。
「ラ、ナフカは、どのぐらい購入してもらいたいのかな?厄介物を片付けるんだ。勿論、安くしてくれるんだろう?」
「勿論でございます。とは言え、こちらも少量は保管しておきたいので全てを卸すわけにはまいりません。時に、ノア様は『格納』の魔術を実に巧みに扱うことができると耳にしました」
「吹聴したつもりは無いけれど、随分と耳が早いんだね」
「ウサギですから。話を戻しますと、1割でも購入していただけるのであれば半額で、3割以上購入していただけるのであれば9割引きに、7割以上購入していただけるのであればそこからさらに9割引きに、そしてこちらが片付けてしまいたい9割分全てを購入していただけるのであれば、そこから更に半額でお譲りしましょう」
物凄い割引率だな。大盤振る舞いなんてものじゃないぞ。
紙という物はそれだけでも一般にとっては高級品なのだ。それが最大で200分の一の値段で買えてしまうだなんて、こちらこそ僥倖と言えるだろう。これだけの量があれば、間違いなく図書館の本を全て複製できる筈だ。
だが、確認は必要だ。この紙が紙の中でも高級紙であった場合、例え最大現に割引かれたとしてもとてもじゃないが予算が足りない。
「確認するけど、紙の品質や値段自体は一般的な紙と同じで良いのかな?」
「はい。全て同じ品質であり、本来ならば1枚で銅貨1枚の扱いとなっています。保管している紙の量は総数一億枚ありますので、その9割、9千万枚御購入いただけるのであれば、1枚につき軽貨5枚として扱い、金貨45枚でお譲りいたします」
ならば問題無い。彼が片付けてしまいたいという9割、全て買い取らせてもらおうじゃないか。というか、全て買取らなければ予算が足りない。9割全て買い取った時の金額がほぼタダ同然なのだ。余程この場所のスペースを開けたいのだろうな。
「思っていた以上にこの紙には悩まされたみたいだね。金貨45枚か。先に支払わせてもらうよ」
「っ!?ま、まさか、この量を全て『格納』に収められるとっ!?」
「可能だよ。ちなみに言うと、私の予算は金貨50枚ほど。つまり、全部買わないと予算が足りないんだ。ナフカ、貴方の提案は、私にとってこの上ない僥倖なんだよ。金貨の枚数を確認してもらって良いかな?」
そう伝えて金貨の入った袋を『収納』から取り出してナフカに手渡す。その動作と構築陣を見て彼の目が驚愕で見開かれた。
「そ、その構築陣はっ!?な、なんという…!いや、失礼しました。よもや、高等魔術の『格納』を自分に合わせて改良できる方がいるとは…。いえ、それよりも金貨の枚数の確認ですね?…確かに、お預かりいたします。では、少し離れた場所に小部屋がありますので、そちらに向かいましょう」
そのままナフカに案内されて倉庫のさらに奥へと進んでいくと、確かに小さな個室があったのでそちらに入室する。部屋の中には既に誰かいるようだが、その人物の邪魔にならないのだろうか?
ナフカにもそれが分かっているのだろう。個室の扉を軽く叩き、入室の許可を求めている。
「失礼します。少しここを使わせてもらっても良いですか?」
「構わんよ。その声はナフカか。何かあったのかね?」
「とても重要な事です。失礼します。ノア様、どうぞ此方に」
「失礼するよ」
部屋の中に入って辺りを見れば、部屋の中には書斎机に腰かけ、何かを記入している窟人《ドヴァーク》の男性がいた。
年齢は壮年期を半ばと言ったところだろうか?口調からして立場としてはナフカよりも上なのかもしれないな。
「おや?そちらのお嬢さんは、確か噂の…」
「ああ、”初級《ルーキー》”冒険者のノアだよ。よろしく」
「ああ、よろしく。此方のノアさんを連れてここまで来て、尚且つ重要なことだと言うのであれば、その重要なことと言うのは、彼女が深く関わっている、ということかな?」
「はい。本日、大量の紙を購入したいと仰られたので、倉庫内の”アレ”を案内しましたところ、我々が望む量、全て買い取っていただけるとのことです。これから預かったこちらの袋に入った金貨の枚数を数えるところです」
ナフカの説明を聞いて、目を見開き、音が出るような勢いで此方に顔を向けてきた。物凄い驚きようだな。
それほどまでにあの大量の紙は商業ギルドを悩ませていたのか。それとも、私があの量を一度に『収納』に仕舞える事実に驚いているのか。あるいは、その両方か。
「そ、それは本当かっ!?」
「ああ、あれくらいなら何も問題無いよ。自分でも上限が分かっていなくてね。金貨の確認が終わったら、早速回収させてもらって良いかな?」
「勿論、勿論だともっ!是非やってくれ!そうか…!ようやく”アレ”が片付けられるか…!そうだ、折角だから、私もその場に立ち会わせてもらって良いかな!?長年我々の悩みの種であった”アレ”が片付く瞬間を、是非この目で見たいんだ!」
窟人はとても興奮している様子だ。
長年、と言っていたから、相当あの紙の山には思うところがあるのだろう。そうなって来ると、何故紙の需要が無いこの街に此処まで大量の紙が卸されることになったのか、尚のこと興味が沸いてきた。
ここで立ち会う条件に入れなくともナフカが教えてくれそうだが、目の前の窟人の方が詳しく事情を知っていそうだ。
「それに関しては問題無いよ。ただ、正直何故この街にこんな大量の紙が卸されてしまったのかは気になるね」
「貴女が知りたいと言うのなら、喜んで説明させてもらうとも!ナフカ!金貨の確認は終わったか!?」
「ええ、袋には全部で52枚の金貨が入っていました。内45枚、このまま頂戴してしまっても?」
「ああ、構わないよ」
「承知いたしました。では、確かに金貨45枚、頂戴いたしました。此方、残りの金貨7枚で御座います。それでは、ノア様。お願いできますか?」
「うん。有り難くあの紙の山を回収させてもらうよ」
勘定を終えたラビッ、じゃなかった、ナフカだ。どうも彼の雰囲気と口調はラビックを思い起こさせてしまうな。早いところ慣れないと。今夜あたり、皆に『通信《コール》』を掛けてみるか。
まぁ、それは良い。勘定を終えたナフカから余った金貨を受け取り、早速紙を回収に向かわせてもらうとしよう。
改めてみても凄まじい大きさだな、この紙束は。
だが問題は、どうやって9千万枚を正確に回収するか、だ。まさか1千万枚を正確に数えるわけにもいかないだろう。方法が無いわけでもないが、その辺りは相談だな。
「確認をしたいのだけど、一度この紙の山、全て『格納』に入れてしまっても構わないかな?」
「全てを、ですか?それは、流石に…」
「構わん!むしろ是非ともやってくれ!一度このスペースを綺麗サッパリ、何もない状態になっている所を見てみたいっ!」
余程この場所を占領し続けていたことが悩みの種だったのだろう。
そのまま全ての紙を持ち逃げされてしまう可能性だってあるからナフカは即座に頷けなかったが、この窟人は即答してしまった。申し出た私が言うことでは無いかもしれないが、不用心すぎやしないか?
まぁ、許可が出たのならばやってしまおう。ここで私は、普段使用している『収納』では無く、別途『格納』を改良した魔術を用いることにした。
流石に私も正確に千万枚の紙を即座に数えきるのは難しい。と言うか時間が掛かる。なので、こういうことは法則に従って自動で処理をする魔術の方が手っ取り早い。
『格納・改』とでも言うべき魔術をその場で組み立て、発動させる。私の直ぐ近くに半径20センチほどの黒に近い紫色の丸い穴が出現して、その穴に紙の山が吸い込まれるように仕舞われていった。
「お、おおおおお!!あれほど、あれほど動かしようのなかった忌々しい紙の山が、みるみるうちに姿を消していくぅ!!奇跡だ!まさに奇跡だ!!」
「今、この場で魔術を…!?っ!?いえっ、何でもありません!と、とにかく落ち着いてください!?そろそろ回収が終わりますよ!」
この広大な倉庫のおよそ二割も占めていた大量の紙の山が綺麗さっぱり無くなったことによって、とても広々と感じる空間ができあがった。
魔術を発動させる際、ナフカは私が即興で魔術を改良させたことに気付いたようだが、立てた人差し指を口に当てて視線を送り、黙っていて欲しいと言う要望を伝えておいた。こんなことをエリィに知られたら、きっと、とても怒りそうだからな。ナフカも了承してくれたようでなによりだ。
もともと紙の山があった、今はがらんとしているスペースを眺め、窟人が感動に打ち震えている。感動している所悪いが、私にも用事があるからな。早いところ紙を彼等の保有する分の紙を返却するとしよう。
「こんな光景を、眺める事が出来る日が来るとは…」
「それで、そちらが保有すべき紙、千万枚は何処に置いておこう?」
「直ぐにでも出せるのかっ!?それならば、この場所に頼むっ!」
「問題無いよ。まったく、魔術というのは便利な技術だね」
そう言いながら再び『格納・改』を発動させる。先程紙の山を吸い込んだものと同じ大きさの穴が開き、穴には魔術言語で内容物が『紙1億枚』、と表示されている。
表示されている文字はそれだけでなく、『回収』、『排出』、『分別』、『統合』の4種類の文字が書かれている。その中の『排出』に触れてから『紙1億枚』の表示に触れると、排出する量を入力する表示が出現した。
良し、設計通りだ。勿論、そこには『千万枚』と入力してやれば、高さ3メートルほどまで積まれた紙の山が、窟人の指定した場所に出現した。
「そう!これぐらいで良いんだ!このギルドが保有する紙の量なんてのは、このぐらいでちょうどいいんだ!ノアさん!ありがとう!本当にありがとうっ!」
「此方こそ。あれだけの量の紙をタダ同然で手に入れることができたんだ。感謝の感情しか貴方達には出てこないよ」
「ノアさん!良ければこの後、少し早いが食事でもどうかね!?これだけの『格納』の使い手だ!是非とも頼みたいことがあるんだ!」
「生憎と依頼を受注している最中でね。これから街の外に出る必要があるんだ」
頼みたいこと、か。
これだけのスペースが空いたのだ。この場所に需要のある商品を持ってくる。ぐらいの依頼は当然として、遠くの街に大量の物資を運ぶような依頼も出してきそうだな。
私の都合が合えば構いはしないが、良いように使われるだけというのは受け入れがたい。
彼からは若干強欲な気配がする。商業ギルドでも高い地位にいそうな人物だ。ある程度強欲でなければ儲けることはできないだろうが、安請け合いはしない方が良いだろうな。
何故これほど大量の紙を卸すのことになったのかも気になるが、今は受注した依頼に集中することにしよう。
「そうか…。残念ではあるが、仕事熱心なのは良いことだ。その調子なら直ぐにでも”中級《インター》”になるだろうしな。そうすれば、ギルドを通して正式に指名依頼を出すことができる!」
「ああ、一応早ければ明日には”中級”になれるペースで依頼をこなしていく予定だよ」
「なるほど、これは僥倖だ。それならば長い時間貴女を引き留めておくのは悪手だな。いや、本当にありがとう。貴女の活躍を期待しているよ」
話もそのぐらいにして、商業ギルドの受付カウンターまで戻ることになった。
流石に、金銭と品物のやり取りをして[はい、終わり。さようなら]、と言うわけにはいかないようだ。商業ギルドでの取引はその大小に関係無く、全て内容を記録しているとのことだ。
細かいことだとは思うが、そうでなければ小さな誤差が生まれるだろうし、その誤差が積み重なれば間違いなく損失に繋がるだろう。損得勘定という面では、最もしっかりとしたギルドだろうな。
まぁ、私がやることは受付であるナフカにギルド証を渡すだけなのだが。
それとついでだ。配達依頼の荷物はここで受け取るように言われているのだから、ナフカに言って持ってきてもらおう。
「それではノア様、これにて手続きは終了となります。本日は、本当にありがとうございました。ギルド証を返却いたします」
「ああ、ちょっと待って?ついでになって済まないのだけど、配達の依頼を受注していてね。荷物はここで受け取ることになっているんだ。確認してもらえるかな?」
「配達依頼を…分かりました。確認いたします。…なるほど、確かに。それでは荷物をお持ちしますので少々お待ちください」
そう言ってナフカが依頼の荷物を取りに先程行った倉庫とは別の場所へと足を運ばせて行った。時間としては現在午前の鐘が11回鳴ったところだろう。
と言うか、辺りを見回してみたら大きな時計がギルドの中心部に立て掛けてあった。やはり、こういった商売のやり取りでは時間管理も大事なんだろうな。正確な現在時刻は午前11時13分だった。
ナフカから荷物を受け取り外へ出る。少々時間が掛かってしまったが、ここからがようやく冒険者としての本格的な活動だ。さっさと”中級”へランクを上げるためにも、手早く行こう!
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