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「外にある掲示板を見て来たんだが、ここの大家と話は出来るかな?」
丁度昼時で食事をしに来ている客でごった返し始めた店内を、真っ黒なマントで身を包んでいる男が堂々と横切っていく。身長と声的にまだ少年の様だ。いかにもなとんがり帽子を頭に深くかぶり、包帯の巻かれた右手には外にある掲示板に貼ってあったであろう空き部屋情報の書かれた紙を持っている。そのまま持ち歩くには大きなサイズの物だからか、ぐるっと筒状にしているが、よくまぁあれを剥がして持っていこうって気になったものだ。
「オーナー!賃貸の件での要件があるって方が来てますけど、奥の席に案内しておいてもいいですか?」
ホール担当の女性が厨房に戻っていたマリアンヌに声を掛ける。彼のした『OK』の合図を見て、「こちらの方でお待ち頂けますか?」と店員が声を掛け、全身真っ黒な魔法使い風の少年が僕達の座っている席の近くに案内されて来た。
「何か飲み物でもお持ちしましょうか?有料ですけど」
「じゃあ、オレンジ…… いや、ホットコーヒーをブラックで!」
「ホットコーヒーですね。今は丁度忙しい時間なのでオーナーとお話するには結構待って頂く事になると思うんですけど、お時間の方は問題無いですか?」
「あぁ、問題無い」
不遜な態度でそう言うと、少年は案内された席に座ろうとした。が、ちらっとこちらの席に視線をやったかと思うと、とんがり帽子とマントの隙間から少しだけ見えている顔を真っ赤に染めて、急にルスの方へぬっと腕を伸ばし、彼女の手を勝手に握った。
「君!——ボクの嫁にならないか?」
「はぁぁぁぁぁ⁉︎」
少年の声とほぼ同時に叫んだのは、夫(仮)である僕ではなく、丁度厨房からリアンの為の料理を運んで来たマリアンヌの方だった。その隙に僕は少年の手を叩き落としてルスの隣に席を移し、彼女の肩を抱いて自分の方へ、これ見よがしに抱き寄せておく。愛情の伴っていない仮初の夫婦であろうが、夫婦は夫婦だ。憑依先でもあるルスを盗られまいと少年の顔をキッと睨む。
「ちょ!そっちもそっちで何やってんのよ!」
怒った猫みたいに毛を逆立ててマリアンヌが怒っている。高身長のせいか、『山猫亭』という店名と同じヤマネコが怒っているみたいにも見えた。
「あ、リアンちゃんのご飯持って来まちたよぉ」
急に声を甲高くしてそう言うと、マリアンヌは持っていた大皿を丁寧な手付きでとんっとリアンの前に置いた。その瞬間、パァとリアンの表情が明るく輝き犬歯を見せながら涎をダラダラと零し出す。
「あらあら、そんなにお腹空いてたんでちゅかぁ?」と声掛けながらマリアンヌが口元をタオルで拭いてやると、尻尾をパタパタと振ってリアンが頷く。保育所にはルスが用意している質素な弁当持参だし、朝も夜もただ焼いただけの肉とレタスと林檎といった食生活だから、純粋に嬉しくって堪らないのだろう。
「先に食べてて、リアン。冷めちゃうと勿体無いから」
「わふんっ!」
ルスに対して元気に返事をし、リアンが料理に顔を突っ込んで無心になりながら食べ始めた。大皿に盛られた量はとてもじゃないが子供が一人で食べ切れるとは思えないが、勢い的には完食出来そうなペースである。
「——で?」と訊きながら、マリアンヌが当然の様な面で空いている席に腰掛ける。少年もそれに連られて通路を挟んだ隣の席に座った。
「そっちの貴方も気にはなるけど…… 」と僕を一瞥したが、すぐにマリアンヌは黒衣の少年風の男の方へ体を向け、「さっきの発言は一体何な訳⁉︎」と地声で問いただした。
「もちろん、プロポーズだ!」
自身の胸に手を当てて、少年風の男はキッパリと言い切った。
「ボクは漆黒の魔法使い・シュバルツ。残念ながら今は貴族階級ではない為苗字は無いが、いずれは此処でも手に入れてみせよう」
声の感じではせいぜい十五、六歳程度といった感じの印象だが、やけに自信満々だ。自称的にも、格好的にも、奴が魔法使いである事は間違いない様だが、感じ取れる魔力的には貴族階級に昇進出来る程の実力者といった感じではまだない。
「…… 二つ名付きなのに、初めて聞く名前ね」
此処オアーゼでは実力者や功績を挙げた者達を褒め称える場合、名前の前につくのが『二つ名』だ。だからかマリアンヌが不思議そうに首を傾げると、シュバルツと名乗った少年は「いずれはそう呼ばれる様になるからな、先に名乗っておこうかと思って!」と答えた。本人は全く気にしていない様子だが、何ともまぁ痛々しい返答だ。
「でだ、その先駆けとして様々なギルドから最も近い此処に部屋を借りたいんだ。出来れば部屋数は多い方がいいんだが、空いているだろうか」
「一人部屋じゃ駄目な訳?それとも、他にも一緒に住む人が居るの?」
「ボクの嫁達と住む予定だからな、部屋は広くないと」
「はぁ⁉︎じゃぁ何、アンタは既に嫁が複数いるのに、その子にまでプロポーズをしたって事?」
綺麗に手入れされている手でシュバルツを指差し、マリアンヌが敵意剥き出しの顔をする。当人であるルスは完全に沈黙状態だが、口を挟む間も無く二人が会話し続けている状態だから無理もないか。
「いいや、まだいない。ボクの嫁の第一号として彼女に結婚を申し込んだんだ」
「アンタァ、自分がどんだけ巫山戯事言ってるかわかってるの⁉︎」
人口増加が急務である現状、オアーゼでは一夫多妻も多夫一妻のどちらも認められてはいるが、複数の相手と婚姻関係を結んでいる者は相当少ない。ただでさえ人口の減少が原因でそもそも結婚相手が少ないのだ、『独り占めするな』という意見の方が大多数だからだろう。
「オアーゼでは一夫多妻も、多夫一妻のどちらも認められているんだし、ボクは何も変な事は言っていないと思うが?」
「初めて会った顔もわからん男にいきなり求婚されて、喜ぶ奴なんかいないって話をしてんのよ!」
(顔どころか体も無い存在に形だけの求婚をされて、愛の無い結婚をした女が此処に居るぞ?)
じっとルスの方に視線をやると、案の定少し気まずそうな顔をしていた。ボクと同じ事を思ったに違いない。
「折角獣人達が存在する世界に移住出来たんだ、嫁の一人として獣人タイプを外す事が出来ると思うか?——いいや、無理だ!」
軽く演説めいた雰囲気で、クズな発言を黒衣の少年が平気で言いやがった。『獣人だ』という理由だけで求婚される側の身にもなって欲しいものだ。
「だが、顔もわからない相手からの求婚に戸惑うと言う意見は真っ当だと思う」
うんうんと二度程頷き、シュバルツはとんがり帽子を脱ぐと、隣の席にそれを置いてずっと黙ったままでいる僕らの方へ自信に満ちた瞳を向けてきた。
マッシュボブの黒髪は帽子を被っていた割には整っていて、真っ赤な瞳はルビーを彷彿させる。声や身長から既に察してはいたがまだ随分と歳若く、顔立ちはとても幼い。とてもじゃないが多妻希望者とは思えないショタ系フェイスだ。
(悔しいが、僕よりもルスの隣に並んでいて自然なのはコイツの方だな…… )
シュバルツを認めてしまう様な事を一瞬考えたが、すぐに打ち捨てた。六年かけてやっと見付けた要望通りの憑依先を自分から他者に譲る気なんかさらさら無い。たとえ時限装置付きみたいな相手であろうが、攻略の初期段階でよくわからん発想の者に渡すとか、馬鹿のする事だ。
「ボクらはとてもお似合いだと思うが、どうかな!」
自信満々な顔で、シュバルツがルスに問い掛けた。だが彼女は「もう既婚者なので、結構です」と、今度は秒で断る。…… 僕の心配なんぞ杞憂でしか無かった様だ。